スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | | - | - | pookmark |
武者小路実篤を知らない人も多くなった
musya6
 

武者小路実篤(むしゃこうじ さねあつ1885〜1976年)は、明治43年に

友人・志賀直哉らと雑誌『白樺』を創刊し、以後、60年余にわたって

文学活動を続けてきました。

小説「おめでたき人」「友情」「愛と死」「真理先生」、戯曲「その妹」「ある青年の夢」

などの代表作、また多くの人生論を著したことで知られ、一貫して人生の賛美、

人間愛を語り続けました。
musya7

大正7年には「新しき村」を創設し、理想社会の実現に向けて、実践活動にも

取り組みました。
また、『白樺』では美術館建設を計画し、昭和11年の欧米旅行では各地の

美術館を訪ねるなど、美術にも関心が深く、多く評論を著しています。
自らも40歳頃から絵筆をとり、人々に親しまれている独特の画風で、

多くの作品を描きました。
実篤はその生涯を通じて、文学はもとより、美術、演劇、思想と幅広い分野で

活動し、語り尽くせぬ業績を残しました。

musya

今多くの方が手がける絵手紙のような感覚の武者小路実篤の「絵と言葉」。文学作品より
これらの絵で知っている方も多いと思います。

musya8

| 芸術 | 07:27 | comments(18) | trackbacks(0) | pookmark |
今日10月17日42年前に川端康成がノーベル文学賞を受賞した日です

今日10月17日は、川端康成が日本で最初のノーベル文学賞を受賞した日である。

1968年(昭和43年)10月に、「日本人の心情の本質を描いた、非常に繊細な表現に

よる彼の叙述の卓越さに対して:

"for his narrative mastery, which with great sensibility expresses the essence

 of the Japanese mind."」ノーベル文学賞受賞が決定した。

12月のストックホルムでの授賞式には、モーニングではなく、文化勲章を掛け

紋付羽織袴で臨んだ。記念講演「美しい日本の私 その序説」を行った。

 

川端康成氏にはたのもしい相棒がいた

それは、いつも手元に置いていた懐中時計であった。

製造会社は、ウオルサム

時計の名前は、リバーサイド Riverside である。

w
 

みなさんはお分かりとおもいます

そう、  リバー River  = 川

     サイド side   = 端

     「川端」なのです

 

このことは、生前川端氏は、編集者によく話していたそうです。

川端康成氏愛用のこの時計は、現在、ウオルサム取扱の平和堂貿易が

ご遺族より、託され所蔵している。(この時計は 1914年製)
リバーサイドの名前は、米国ウオルサム社の工場が川のほとりに造られていた
ことによる。

同一モデルは、100年以上も経つ現在も販売されていることが素晴らしい。

w1
1900年前後のウオルサム社の全景である 
| 芸術 | 08:24 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
山本耀司さん、仏芸術文化勲章の最高位「コマンドゥール」を受章
ファッションデザイナーの山本耀司さん(68)が10月3日、仏芸術文化勲章の

最高位「コマンドゥール」を受章した。

仏文化省で行われた授章式でフレデリック・ミッテラン文化相は、

「服飾のみならず、多大な影響を与えた」と授章理由を語った。

3日が山本さんの誕生日だったことから、招待客らが「ハッピーバースデー」を合唱し、

受章を祝福した。これに対し、山本さんは、「才能さえあれば誰でも受け入れる

フランスという国なしには、ここまでやってこられなかった。

さらに自由な気分で、これからも創作に挑戦したい」と語った。

山本さんは1981年にパリコレクションに参加。以来、女性の体の線を強調する

西洋の服作りと一線を画した独創的なデザインで、世界のファッション界に

影響を与え続けている。9月30日には、パリ市内で春夏コレクションを発表した。

youji 

山本耀司

1972年、Y's(ワイズ)設立。

ヨウジヤマモトについて

ヨウジヤマモト(Yohji Yamamoto)は山本耀司が設立したファッションブランド。
山本耀司は、1943年、東京生れ。慶応義塾大学法学部、文化服装学院卒業。
69年「装苑賞」「遠藤賞」を受賞。72年ワイズ設立。
81年に発表したパリコレクションで当時タブーとされていた“黒”を前面に

押し出したショウを発表し、“黒の衝撃”と称され一大旋風を巻き起こす。

賛否両論の評価を受けつつも、時代に流されないその反骨精神はモード業界に

革命をもたらす。

山本のデザインは、彼の打ち出したアシメトリックなカッティング、身体と服の間に

空気をはらむようなシルエットは、ボディコンシャスな時代のファッションの慣習を

覆すものだった。

| 芸術 | 07:47 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
平櫛田中(ひらぐしでんちゅう)とはどんな人か
dencyu7 


平櫛田中
は、明治5年、現在の岡山県井原市に生まれ、青年期に大阪の

人形師・中谷省古のもとで彫刻修業をしたのち、上京して高村光雲の門下生

となりました。その後、美術界の指導者・岡倉天心や臨済宗の高僧・西山禾山の

影響を受け、仏教説話や中国の故事などを題材にした精神性の強い作品を制作します。

 

1937年(昭和12年)、帝国芸術院会員となる。1944年(昭和19年)、

東京美術学校(現・東京藝術大学)の教授に招聘され、第二次世界大戦後も

教壇に立つ。明治末期から大正初期にかけて、東京藝大の基礎となる

東京美術学校を創立した岡倉天心に師事した。

東京藝大構内の六角堂に田中作になる「岡倉天心像」が安置されており、

天心を敬愛していた田中は藝大勤務時代には登校のたびに、この自作の像に

最敬礼していた。


dencyu5

1958年
(昭和33)畢生の大作「鏡獅子」を戦中のブランクを経て、20年をかけて

完成する。モデルの6代目尾上菊五郎はすでに故人となっていた。

 1962年(昭和37年)、文化勲章受章

1965年(昭和40年)、東京藝大名誉教授となる。 1972年(昭和47年)、出身地の

井原市が主催し平櫛田中賞を設ける。100歳を超え長命であったが、死の直前まで

創作を続けた。没後、彼のアトリエには30年以上続けて製作できるだけの彫刻用の

材木があった。この材木を利用して、井原市の田中美術館に上野桜木町の

アトリエが再現された。

1979年(昭和54年)、東京都小平市の自宅で逝去。享年107。
dencyu6

| 芸術 | 07:02 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
平櫛田中彫刻美術館を訪ねる
dencyu 


前々から訪ねたいと思っていた「平櫛田中彫刻美術館」に行ってきた。

小平市の一橋大学のすぐ傍にあった。

平櫛田中(ひらぐしでんちゅう)は写実的な作風で、高村光雲荻原碌山

朝倉文夫などと並び、日本近代を代表する彫刻家の一人である。

代表作は国立劇場にある「鏡獅子」や、「烏有先生(うゆうせんせい)」「転生」

「五浦釣人(いづらちょうじん)」など。また、教訓めいた名言も多く残している。

dencyu2 


私が大学時代、伊勢の実家に平櫛氏がたびたびおいでになり、お付き合いの

関係で父が平櫛氏の作品も本人から買っている。

この頃、伊勢神宮の神馬と赤福のお祖母さんの像を制作中で時々伊勢においでになり、

何故か我が家にも立ち寄られるようになっていた。

dencyu1

私自身は平櫛氏とはお会いしたことはないが、たまたま帰郷していたとき

平櫛氏がいらっしゃっていて、父が作品を見せてくれた。

それは、すごい仏像で、あまりに高価で父も買えなかった。

後に、松下幸之助さんが購入したことを聞いた。

dencyu3

| 芸術 | 07:53 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
日本の芸術を調べていて、歌川国芳の浮世絵にスカイツリーが描かれていることを知った

日曜なので少しアートで心を静めよう

この作品は江戸の浮世絵師、
歌川国芳の「東都三ツ股の図」である。

天保2(1831)年ごろの作とされ、隅田川にシジミ取りの舟が浮かび、

手前には舟底をいぶす2人の職人が描かれている。

絵の左奥は対岸の江戸・深川辺りで、他の建物を圧するような

細長い構造物が二つ見える。

一つは火の見やぐらであるが、隣の高いタワーは?????

もしかして「東京スカイツリー」

 

国芳は150年後、ここ深川に「スカイツリー」が出来ることを予見していたのです。
 kuniyoshi


歌川国芳(1798〜1861年)は葛飾北斎、歌川広重らと同時代に活躍し、

奇想、破天荒な作風の絵師として知られる。

江の島を描いた作などはおどろおどろしくもあり、北斎などの写実性とは

趣を異にする。

武者絵や美人画、化け物なども得意とした国芳だけに川崎市川崎区の

砂子の里資料館の斎藤文夫館長は

「当時は江戸城より高い建物は建てられない決まりがあった。江戸の街を

見下ろしており、東京スカイツリーを予想したような恐るべき独創性に驚く」

と話している。

 

 

| 芸術 | 07:13 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
傅益瑤さんの作品で私が一番好きなのは「日月同輝」である
fu15 

この作品は日立製作所の研究所の迎賓館レセプションルームに飾られている

147×360cmの大作である。


fu16
「日月同輝」
について傅さんはこのように書いている。

当研究所所長室に掲げられていrた創業者小平波平翁の書

「生年不満百、常懐千歳憂(人間の一生はたかだか百歳に満たないが、

常に千年の憂いをいだく)」という言葉に深く感銘した。これは漢代の

西門出という詩にある句で、私はこの句の言外に

「昼は短く、夜は長い、なぜ燭をとって、遊ばないか」と翁はいっていると思う。

 

この真髄は常に真理を追求する者にしかわからない。

荘子は「天地に大美(真理)有り」といった。古くから仁者は山を楽しみ、

智者は水を楽しむという、山水の中に心法物相(心=主観、法=抽象

物=客観、相=具象)の融合を求め、円通の認識の境地に至る。

この詩の柔順潤にして趣深い味わいを繰り返し吟味することによって、

この絵が浮かび描いた」と記している。

豊かな構想力と、完璧なまでの筆の冴えを見せた作品である。

太陽と月が同じ画面にある=東西の融合 を意味した絵と私は捉えた。

| 芸術 | 08:54 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
水墨画家「傅益瑤」さんのプロフィール
中国江蘇省南京市に、中国近代画壇の巨匠、傅抱石の第五子として

生まれる。中国画を学ぶ者は古典の素養が不可欠という父の方針により

南京師範大学で文学を専攻後、江蘇省国画院で絵を学ぶ。

1980年小平氏の推薦で、国費留学生として来日。

院展の塩出英雄、平山郁夫に師事

fu10 

ライフワークとして日本の祭りを描く一方、宗教的な題材にも精力的に取り組む。

'98年NHK趣味入門「水墨画」を刊行。2003年、「奥の細道」シリーズを描きおえた。

 

 fu11 

傅益瑤画伯は日本の祭の中に、日本の庶民が秘めている

原始のエネルギーの爆発を見た。
しかも各土地の歴史と伝統文化と自然が一体となって、誇り高く、

華麗に、粋に、楽しく、賑やかに、神秘的に、又厳粛に繰り広げられる壮大な、

世界に例をみない日本民族独特の仕掛けを見出した。

その魅力を筆に託し20年、「日本の祭」を描き続けています。
観察して描くだけでなく、自分自身が祭に加わり、人間関係を作り真剣に付き合い、

祭りを一緒に楽しみ、酔い、すべてを体に染み込ませ、

アトリエに帰ってイメージを膨らませ描いたのが傅女史の「祭り絵」なのです。

fu4

| 芸術 | 07:27 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
水墨画家「傅益瑤」さん、祭りのエネルギーに魅せられた画集「日本の祭り」
fu8 

来日30年の結実 画集「日本の祭り」が発売された

 

水墨画家傅益瑤」(フーイーヤオ)さんが、来日当初から深い関心を抱いていたのは

「日本の祭り」であった。

fu6
fu7

十数年前にお会いしたときも、日本全国の祭りがとても素晴らしいと

おっしゃり、そこに入り込んで体験しながら絵を描いていく。

ここには、「諏訪大社御柱祭」をはじめ「青森ねぶた」から「博多祇園山笠」まで、

44作品をテーマ毎に収めた傅益瑤画集『日本の祭り』が遂に完成。

素晴らしい画集である。

それぞれの土地独特の自然や寺社を舞台にして、大勢の人々が繰り広げる

祭りの風景は、熱気にあふれ、人々の織り成すドラマが手に取るように伝わって

きます。

 fu9

傅さんによると、中国・漢民族の祭りは大部分が節句の祝いで、日本のように

土地によって千変万化する祭りの文化はないのだそうだ。

傅さんが日本の祭りにひかれたのは、そこに不思議なエネルギーが

渦巻いていること、自然と人間が一体化して神への感謝の気持ちが溢れていることと、

人と神の付き合い方が不思議なものだったことであった。
その中に入り込んで身体で味わうことでこのようにエネルギー溢れる作品が生まれる
のだろう。
| 芸術 | 07:49 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
水墨画家「傅益瑤」さんの「日本の祭り」出版記念の集いに出席

昨日5月25日、水墨画家傅益瑤」さんの「日本の祭り」出版記念の集いが

開催され、昔からの知り合いである関係で出席した。

会場は神田・学士会館。

この会の発起人がすごい!!“
fu11

羽田 務(元首相、衆議院議員)

海老澤勝二(元NHK会長)

田中瓦清(神宮庁副総長・岩清水八幡宮宮司)

小林隆彰(天台宗長・天台宗学問研究所長)

富山秀男(美術評論家・元ブリジストン美術館館長)

永 六輔(放送タレント)などそうそうたるメンバーであった。

china
 程永華 駐日中国大使のご挨拶

 fu1

京都比叡山・天台宗学問研究所長よりのご挨拶
会場には羽田元首相もおいでになり、また来賓として中国大使、文化庁の

役人の方もいらっしゃった。

fusan
久しぶりにお会いした傅さんは、前より若くなった気がしました。

南京にごいっしょしたのはもう10年以上前のことだが、その時より

お若くなったように感じるのは、精力的に仕事をされているからだろうか・・・

 fu5

今回出版される傅益瑤さんの画集『日本の祭り』は、

滞日30年にわたり、祭りを求めて列島を横断。

しかも傍観ではなく、自らその中に飛び込み、一体となって描き続けた

傅さんの日本の祭りシリーズ集大成。
2010年、全国展開予定の作品展に先駆け、

「青森ねぶた」から「博多祇園山笠」まで、44作品をテーマ毎に収めたもの。

| 芸術 | 00:34 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

CALENDAR

S M T W T F S
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031
<< October 2020 >>

SPONSORED LINKS

RECOMMEND

SELECTED ENTRIES

CATEGORIES

ARCHIVES

RECENT COMMENT

RECENT TRACKBACK

MOBILE

qrcode

LINKS

PROFILE

SEARCH