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古くて新しい東京新発見!広重江戸百景を巡る「上野山内月のまつ」
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広重「上野山内月のまつ」(うえの さんない つきのまつ)

清水堂には不思議な松がある。


奇妙に曲がりくねった松が今もあるが、この松を「月のまつ」と呼んでいた。

何故このようになったか、よくわからないが、この松ごしに不忍池を観ることは

江戸人の風流であったのだろう。
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| 名所江戸百景 | 07:03 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
古くて新しい東京新発見!広重江戸百景を巡る「上野清水堂不忍ノ池」

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広重「上野清水堂不忍ノ池」
上野公園の中にある清水堂

上野の山は江戸一番の桜の名所であった。ここは寛永寺の開祖である天海僧正が

奈良の吉野山のように桜見物ができるように吉野桜、山桜、八重桜などを植えた。

しかし、寛永寺があるため規制が厳しく魚を食べたり三味線を弾くなど騒がしいことは

禁止され,6時になると入り口が閉められ退出しなければならなかった。

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清水堂は

京都の清水堂を摸倣して舞台の上に造られた。

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現在は家が多く建っており、不忍池は見ることができない。
| 名所江戸百景 | 07:45 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
古くて新しい東京新発見!広重江戸百景を巡る「日本橋通1丁目略図」
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歌川広重「名所江戸百景」に描かれた幕末期の白木屋


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白木屋(しろきや)とは東京都中央区日本橋一丁目に存在した、かつて日本を

代表した百貨店の一つである。法人自体は現在東急百貨店となっている。

絵に描かれた場所は、元白木屋があった日本橋1丁目、「コレド日本橋」がある位置です。

この頃は、呉服屋として大きな商いをしていたのです。

東急百貨店

1662年(寛文2年8月) - 近江長浜の材木商大村彦太郎が日本橋通二丁目に

間口一間半の小間物店「白木屋」を創業。

1665年(寛文5年) - 伴伝兵衛の店を借りて日本橋通一丁目に移転。

次第に呉服へと手をひろげ、「越後屋(現:三越)、大丸屋(現:大丸)」とならび、

江戸三大呉服店の一つになる。

1958年(昭和33年) 8月1日 - 東急傍系の株式会社東横百貨店を合併。

社名を「株式会社東横」へ変更。店名は従来通り日本橋店を「白木屋」、

渋谷店・池袋店を「東横百貨店」とした。

1967年(昭和42年)9月 - 東急百貨店に商号・店名ともに改称し、

白木屋は「東急百貨店日本橋店」となる。

しかし、現在は三井不動産と東急不動産による「コレド日本橋」になっている。

| 名所江戸百景 | 07:03 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
江戸時代から長い歴史を重ねる百貨店
江戸時代から連綿と続いている百貨店が何軒かある。

しかし開設当時は呉服屋であったところが多い。

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代表的な例は越後屋さんだろう

三越

越後屋の本体は三井家である。

三井本家は、三重県松坂市に今もあるが、松坂商人の代表的な

成功事例であろう。

1673年江戸、駿河町にあった越後屋は、当時の常識を覆し、正札附き、

掛け値なしの現金販売 (当時は銀が主要通貨であったので現銀販売)等、

斬新な経営で繁盛し金融業など多くの事業でも成功、三井財閥へと

発展していきます
越後屋の店はその後、三越呉服店、三越百貨店と名前を変えて、

今日の隆盛を見ます。

 

さらに古い歴史をもつのが、呉服小間物屋「いとう松坂屋」さんなのである。

松坂屋

1611(慶長16年)織田信長に仕えた伊藤蘭丸祐広の子、伊藤源左衛門祐道が
名古屋本町
に呉服小間物問屋を開業。(松坂屋創業)

1768(明和5年)上野広小路の松坂屋を買収し、「いとう松坂屋」として開業。

すなわち<創業4百年>なのである。

 

それに続くのが、呉服の「大文字屋」さんである。

大丸

1717年(享保2年〉下村彦右衛門正啓、京都伏見に呉服店「大文字屋」を開業。
     (大丸創業)

1726年(享保11年)大阪心斎橋筋に大阪店「松屋」を開き、現金正札販売をはじめる。
     (現・心斎橋店現在地)

1728年(享保13年)名古屋本町4丁目に名古屋店を開き、初めて「大丸屋」と称する。

1736年(元文元年〉「先義後利」の店是を全店に布告。
     京都・東洞院船屋町に大丸総本店「大文字屋」開店。

1743年(寛保3年〉江戸日本橋大伝馬町3丁目に江戸店開業。

 

明日、東急百貨店の前身「白木屋」を書いた広重の浮世絵を紹介します。

| 名所江戸百景 | 07:59 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
古くて新しい東京新発見!広重江戸百景を巡る「下谷広小路」

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広重 名所江戸百景「下谷広小路」

(浮世絵の右側に描かれているのは現在の上野松坂屋である。)
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下谷(したや)の名は、上野、湯島、本郷などの高台の下にあったことから

名づけられた。元禄時代以降、下谷広小路の両側に町屋が整い、名物を売る

店が立ち並ぶようになった。

今も上野広小路の名で親しまれている街である。

 

広重の浮世絵の右側に描かれている井桁のマークは、当時江戸に進出した


「いとう松坂屋」
現在の上野松坂屋である。


通りを真直ぐ行くと上野の森だ。

 

江戸時代

上野に「いとう松坂屋」=松坂屋

駿河町に「越後屋」=三越

大伝馬町に「大丸屋」=大丸

など

すでに現在の百貨店の基礎が築かれていたのだ。

 
| 名所江戸百景 | 07:46 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
古くて新しい東京新発見!かんだ「やぶそば」

湯島聖堂から神田へ降りていく

途中に、ここ平成? と思うようなお店があった。

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さらに淡路町の方に進んでいくと蕎麦の名店、「かんだやぶそば」の前に出た。

夕食に早い時間だったが、たべたくなり店にはいった。

もっともシンプルな、せいろそばをいただいた。少し青みがかった蕎麦だ。

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店の案内をみると

明治13年(1880年)創業のかんだやぶそばは、幕末の名舗『団子坂蔦屋』

(後に藪蕎麦)の淡路町店を堀田七兵衛が譲り受けて営業を始め、

明治時代後期に団子坂本店が廃業して藪蕎麦本店の看板を受け継ぎ

今日に至っております。
3000坪といわれた団子坂同様に、板塀に囲まれた店内は前庭、中庭を配し

風情に富んだ料亭風のしつらえで下町の情緒を醸し出しております。
青みがかったそばは、創業者七兵衛が夏場のヒネの時期にそばもやしの青汁を

打ち込んで清涼感と新そばの青みを出そうと工夫したものです。
そば粉は厳選された国産玄そば(主に長野、青森、北海道、茨城産)を

熟練した職人に挽かせ、毎日数回に分けて木鉢で練り、製麺しております。
味を決めるそばつゆは昆布、鰹節で濃厚な出汁をとり、濃口醤油、味醂などで

味を調えます。

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食べ終わり淡路町へ向かうと鳥鍋の「ぼたん」があり、さらに蕎麦の名店

「かんだまつや」もあった。
おなかいっぱいだったのでこの日は寄れなかった。

 

 
| 名所江戸百景 | 07:29 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
古くて新しい東京新発見!広重江戸百景を巡る「昌平橋聖堂神田川」
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広重名所江戸百景「昌平橋聖堂神田川」
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湯島聖堂から聖橋(ひじりばし)に出ると正面にニコライ堂の丸い屋根が見える。

そこから秋葉原方向をみたところに昌平橋がある。

この橋はもとは、相生橋と呼ばれていたが、聖堂に祀られている孔子の生まれ故郷の

昌平卿に因んで昌平橋と呼ぶようになったのだそうだ。
写真左側が湯島聖堂である

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| 名所江戸百景 | 07:54 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
古くて新しい東京新発見!湯島聖堂に立ち寄る
この広重の「昌平橋聖堂神田川」を紹介する前に立ち寄ったのが「湯島聖堂」だった。

 

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「神田明神」からさらに下っていくと立派な建物が目に入る、
「湯島聖堂」である。

さだまさしさんの歌にも出てくる湯島聖堂だが横を車で何度も通りすぎたことはあるが

中に入ることはなかった。今回徒歩で動いているので立ち寄ろうと思った。

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さださんの歌は「檸檬」だった。この白い階段に腰かけレモンに口をつけた・・
♪♪

或の日 湯島聖堂の白い石の階段に腰かけて
君は陽溜まりの中へ盗んだ檸檬細い手でかざす
それを暫くみつめた後で
きれいねと云った後で齧る
指のすきまから蒼い空に
金糸雀色の風が舞う

喰べかけの檸檬 
聖橋から放る
快速電車の赤い色がそれとすれ違う
川面に波紋の拡がり数えたあと
小さな溜息混じりに振り返り
捨て去る時には こうして出来るだけ
遠くへ投げ上げるものよ

 

湯島聖堂

1690年(元禄3年)、林羅山が上野忍が岡(現在の上野恩賜公園)の私邸内に

建てた忍岡聖堂「先聖殿」に代わる孔子廟を造営し、将軍徳川綱吉がこれを

「大成殿」と改称して自ら額の字を執筆した。
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またそれに付属する建物を含めて
「聖堂」と呼ぶように改めた。

1691年(元禄4年)2月7日に神位の奉遷が行われて完成した。

林家の学問所も当地に移転している。

大成院の建物は、当初朱塗りにして青緑に彩色されていたと言われているが、

その後度々の火災によって焼失した上、幕府の実学重視への転換の影響を

受けて再建も思うように出来ないままに荒廃していった。

その後寛政異学の禁により聖堂の役目も見直され、1797年(寛政9年)林家の

私塾が、林家の手を離れて幕府の官立の昌平坂学問所となる。

これは「昌平黌(しょうへいこう)」とも呼ばれる。

「昌平」とは、孔子が生まれた村の名前で、

そこからとって「孔子の諸説、儒学を教える学校」の名前とし、それがこの地の

地名にもなった。
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                           巨大な孔子像に驚かされる

これ以降、聖堂とは、湯島聖堂の中でも大成殿のみを指すようになる。

また、2年後の1799年(寛政11年)には長年荒廃していた湯島聖堂の大改築が

完成し、敷地面積は1万2千坪から1万6千坪余りとなり、大成殿の建物も

水戸の孔子廟にならい創建時の2.5倍規模の黒塗りの建物に改められた。

この大成殿は明治以降も残っていた。

ここには多くの人材が集まったが、維新政府に引き継がれた後、

1871年(明治4年)に閉鎖された。


教育・研究機関としての昌平坂学問所は、幕府天文方の流れを組む開成所、

種痘所の流れを組む医学所と併せて、後の東京大学へ連なる系譜上に載せる

ことができるほか、この地に設立された東京師範学校(現在の筑波大学)や

東京女子師範学校(現在のお茶の水女子大学) の源流ともなった。

| 名所江戸百景 | 07:02 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
古くて新しい東京新発見!「神田明神」

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「神田明神」

社伝によると聖武天皇の天平2年(730年)の創建という。
はじめ武蔵国豊島郡江戸芝崎(現在の千代田区大手町将門塚周辺)に

宮居が定められた。
年移り約二百年後、桓武天皇六代の皇胤なる平将門公が俵藤太に討たれ、

その御首は京都に運ばれ東の市に晒された。やがて党類これを奪いかえり塚を

築いて葬った所が、当社を離れること百歩の地であったという。
次いで延慶2年(1309年)には
将門公の霊を相殿に祀り、神田明神と名付け

この地の守護神にされた。
天正18年(1590年)徳川家康公は三河から江戸に移り幕政の地と定め

大規模な城下の造成工事が開始された。
そして元和2年(1616年)に当社は現在地に遷座し、江戸城の艮鬼門の守護神と

なり、二代将軍秀忠の命により桃山風の豪華な社殿が築かれた。
これより歴代将軍の尊崇厚く、江戸総鎮守として面目を一新した。
寛永3年(1626年)烏丸大納言光広卿が当社に参拝され、将門公が天慶の乱で

朝敵とされたことを八所御霊の例に倣い、国家鎮護の社として勅免の沙汰が下り、

神田大明神の勅額を賜った。
また明治元年には勅祭社に准ぜられ、同七年には明治天皇が御親拝された。

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末広稲荷神社、浦安稲荷神社、、三宿稲荷神社(併祀 金刀比羅神社)。
籠祖神社(猿田彦大神 鹽土翁神)は、小伝馬町の籠職人が祖神として祀ったもの。
 
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銭形平次の記念碑も・・・
| 名所江戸百景 | 07:49 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
古くて新しい東京新発見!広重江戸百景を巡る─嵜静通誠製貲祁福
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広重「名所江戸百景」

「神田明神曙之景」(かんだみょうじんあけぼののけい)

江戸開府以前、神田明神は神田橋御門近くにあった芝崎村の平将門塚近くに

鎮座していたが、江戸城の拡大に伴って駿河台の鈴木町をへて、元和2年

(1616年)この湯島台地に移ってきた。


私自身初めて訪ねたのだが同様に神田にあると思っていたが、湯島天神から

御茶ノ水駅、聖橋方向にあるいてきた湯島台地にあり、秋葉原方面が

見わたせる立派な明神様である。

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                                               広重の浮世絵にかかれた位置はここか?

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江戸東京に鎮座して1300年近くの歴史をもつ神田明神
江戸時代には、「江戸総鎮守」として将軍様から江戸庶民にいたるまで

江戸のすべてを守護されました。
そして今もなお、東京―神田、日本橋、秋葉原、大手町・丸の内など108の

町々の総氏神様として、江戸の素晴らしき伝統文化を保ちつつ、それでいて

絶え間なく発展と創造を繰り返す、この東京都心をお守りいただいております。
神田明神の氏子町である東京108の町は、江戸と東京の生活や文化が

凝縮された町々です。

御祭神は

大国主命

だいこく様。縁結びの神様。天平2年(730)ご鎮座。
国土開発、殖産、医薬・医療に大きな力を発揮され、国土経営、夫婦和合、

縁結びの神様として崇敬されています。

また祖霊のいらっしゃる世界・幽冥(かくりよ)を守護する神とも言われています。

大国主命(おおくにぬしのみこと)という別名もお持ちで、島根県の

古社・出雲大社のご祭神でもございます。

国土経営・夫婦和合・縁結びの神様としてのご神徳があります。

 

少彦名命
えびす様。商売繁昌の神様。
商売繁昌、医薬健康、開運招福の神様です。日本に最初にお生まれになった

神様のお一人・高皇産霊神(たかみむすひのかみ)のお子様で、大海の彼方・

常世(とこよ)の国よりいらっしゃり、手のひらに乗るほどの小さなお姿ながら

知恵に優れ、だいこく様とともに日本の国づくりをなされました。

 

平将門命
まさかど様。除災厄除の神様。延慶2年(1309)にご奉祀。

平将門公は、承平・天慶年間、武士の先駆け「兵(つわもの)」として、関東の

政治改革をはかり、命をかけて民衆たちを守ったお方です。

明治7年(1874)に一時、摂社・将門神社に遷座されましたが、昭和59年に

再びご本殿に奉祀され今日にいたっております。

東京都千代田区大手町・将門塚(東京都指定文化財)には将門公の御首を

お祀りしております。

| 名所江戸百景 | 07:54 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

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