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分杭峠からの帰り、中央構造線上の山道を抜けると「諏訪大社」が
分杭峠の帰り道、桜の名所「高遠城」を通り、中央高速に乗るのでなく

山道を茅野市に抜ける道を選択した。

山間の道を抜け茅野市に入るとすぐ横に

「諏訪大社上社前宮」が鎮座していた。

やはり、中央構造線には、龍脈が通っているのか?

このお宮は、最も古い社の形を残した神社で、諏訪大社4社のなかで

私が最も好きな神社であった。

maesya 

「古事記」にも登場するわが国最古の神社のひとつで、

御鎮座は有史以前で明らかでない。

全国に一万以上あるといわれる諏訪神社の本源。

社格は信濃国の一之宮。

上社と下社に分かれ、更に上社は前宮と本宮、下社は春宮と秋宮があり、

2社4宮で構成される。

 maesya1

【古代信仰】

諏訪大社以前の古代にあったのは湖水の竜神あるいは霊蛇の信仰であったと思われ、

諏訪明神が姿を現す際に巨大な蛇体という形をとることは中世の『諏方大明神画詞』

にも見える。

現在でも諏訪大社の祭礼のほとんどは、先住民の守屋族が信仰したミシャグジ神に

対するものと考えられている。
その後、建御名方神を祖神とする諏訪氏一族が諏訪地方に侵攻し、先住民の

漏矢一族と共に諏訪大社の祭祀を司った。
鎌倉時代には諏訪明神を氏神と仰ぐ諏訪氏が武士団を形成し、武家社会において

軍神としての諏訪信仰が成立した。

| パワースポット | 07:20 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
「ゼロ磁場」とは、何だろうか?

「分杭峠」は中央構造線という大断層の上にあります。


zerojiba1

零磁場とは
断層には地表面のズレとしての段差並びに零(ゼロ)磁場があり、人間に例えると

皮膚の経絡(けいらく)・経穴(つぼ)と同様に気の通る道並びに気の出口・入口で

あると考えることが出来ます。


断層の両側から押し合う力によって、断層には全般的にエネルギーの蓄積があり、

また局部の突出部にはエネルギーのないゼロに近い場所(零場)もあり得ると

推定出来ます。

零は文字どおり「なにも無い、零」でありますが、(+)回転と(-)回転が一対になった

素粒子状のスピン対(気)は零にならず、逆に零場に次第に蓄積される傾向がある

と判断できます。

zerojiba

断層付近には、放射線の強い場所や地磁気変化の著しい場所があります。

実験によると、サイ(気)はラジウム等放射性物質原子の原子核内の不安定な

中性子に直接働きかけて、α線などのエネルギーを放出して、より安定的なラドン等

になる(ラジウム崩壊)性質があります。


気は不安定な物質を安定化してバランスを取る性質があり、この崩壊の際の

エネルギーを使って異常現象を起こしていると考えられています。


ラドン温泉などとして知られる低線量放射線は、免疫の機能を高め、

自然治癒力を増進させるもので、健康に良いと言われています。

 
| パワースポット | 07:06 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
奈良から伊勢、諏訪へ抜ける中央構造線上にある「分杭峠」
bunkui2 

数年前に訪ねた長野県にあるパワースポット「分杭峠(ぶんぐいとうげ)」


奈良・
三輪神社、三重・伊勢神宮、愛知・豊川稲荷、そして長野・分杭峠から
諏訪大社通っている「中央構造線」パワースポットの原点です。

 

日本最大の断層「中央構造線」が縦貫する分杭峠は、杭を分ける峠というように

長谷と下伊那郡大鹿村の境に位置し、「従是北高遠領」と刻まれた石柱が建てられ、

現在は郡境になっています。

また古くから遠州秋葉神社へ至る秋葉街道の峠のひとつでした。

標高1,424mの峠にあります。

秋葉街道は西日本の地質を内帯と外帯に二分する中央構造線の断層谷を利用した

街道であり、分杭峠は中央構造線の谷中分水界にあたる。

中国の気功師・張志祥が来日した際、分杭峠に「気場」を発見したとされています。

 

日本最大、最長の巨大断層地帯である中央構造線の真上にあり、

2つの地層がぶつかり合っている、という理由から「エネルギーが凝縮している

ゼロ磁場であり、世界でも有数のパワースポットである」と称されている。

 bunkui1

実際ここで汲んで来た水をポリタンクにつめてきて、お米をたいたり

コーヒー用に使いましたが、半年間まったく変わらない美味しい水でした。

夏に行ったのですが、この流れのなかに足をつけると5秒もつけていられなかった。

冷たいだけではない、何かがある水だと思いました。

この場所でダウジングをしている人がいましたし、コンパスがぐるぐる廻るという話も

聞きました。

bunkui3

| パワースポット | 07:00 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
奈良・春日大社の本殿左に聳える「大社大杉」に見た翠の光り
kasuga 

「春日大社」

春日山の霊峰・御蓋山の山麓に抱かれて鎮座する「春日大社」は768年に

創建された古社で、奈良・平安時代に栄華を極めた藤原氏が氏神として祭祀を努めた。

平城京の守護の為に創建された御社で本殿向って右(東)から、

第一殿 茨城県の鹿島神宮から迎えられた武甕槌命(タケミカヅチのミコト)、

第二殿 千葉県の香取神宮から迎えられた経津主命(フツヌシのミコト)、

第三殿 天児屋根命(アメノコヤネのミコト)と第四殿 比売神(ヒメガミ)は

大阪府枚岡(ひらおか)神社から、それぞれ春日の地に迎えて祀られている。

 

奈良時代の神護景雲二年(768)、現在地に四所の神殿が創設されたのが始まり。

藤原氏の氏神として有名。9世紀末には現状に近い形で盛観を呈するようになったと

伝えられている。

 

kasuga1 

そんな由緒を持つ大社拝殿の前に立つ「大社大杉」を写した写真であるが、

逆光で撮ったため、光りが写りこんだ。

しかし、緑の丸い輪が大小2個写っていることは不思議である。

 

この大杉、拝所から見える根元の姿は只者ではない風格が漂っている。

樹高23m、目通り幹周7.94mと記されている。

いにしえの奈良時代から今日に至る悠久の年月、社殿は何度も建替えられたで

あろうが、この一点に立ち続け、人と関わるままに受け入れてきた。

おおらかで逞しい生命力に感服する。

この杉は1309年に描かれた絵巻物「春日権現験記」にその姿が描かれている

ところから樹齢千年と言われている

| パワースポット | 07:13 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
奈良「東大寺・大仏殿」から飛翔する龍を見た

東大寺・大仏殿」から飛翔する龍

 偶然とはいえ澄み渡った晴天に、今まさに飛び立っていく龍の雲を見たのです。
toudaiji 

「東大寺」

東大寺は悪夢のような天平の世から人々を救うため建立されたお寺だったのです。

 

聖武天皇の願い

天平時代は、華やかな時代であると同時に、政変、かんばつ・飢饉、凶作、大地震、

天然痘の大流行などが相次ぎ、惨憺(さんたん)たる時代でもあった。

そのため、聖武天皇は人々が思いやりの心でつながり、こども達の命が次世代に

輝くことを真剣に考えられたのである。

つまり、聖武天皇が大仏造立に込めた願いを正しく把握する必要がある。

daibutu 

 

聖武天皇は、即位早々様々な政策を打ち出されるが、医療行政についても新たな

方針を打ち出されている。

神亀3年(726)には「慢性病・重病の患者に対して、全国それぞれに医師を派遣し、

薬を与えて治療にあたるように、また病の軽重により、米穀等食料を下賜するように」

と詔され、天平2年(730)には医術ほか学問や技能の後継者の養成を勧められた。


 
光明皇后も又、その1か月後、皇后宮職内に施薬院を設置していることであり、

医療・福祉に関しても目を見はるものがある。

 

盧舎那仏造立の詔と大仏開眼

 天平15年(743)10月15日、このような背景のもと、聖武天皇は

「盧舎那仏造顕の詔」を発せられる。

これにより、先ず紫香楽(現在の滋賀県甲賀郡信楽町)において

盧舎那大仏の造像事業が開始されることとなった。

「盧舎那大仏造立の詔」の中で、「乾坤相泰(けんこんあいやす)らかに万代の

福業を修め、動植咸(ことごと)く栄えん」ことを願い、国民に「一枝(ひとえだ)の草、

一把(ひとにぎり)の土」の結縁をよびかけ、知識として自主的に造営に関わることを

呼びかける聖武天皇の姿勢は、それまでの国家事業の進め方とは

大きく趣を異にするものであった。

これを受けて詔の出された4日後には、僧行基が弟子たちを伴い

勧進(寄進を募ること)をはじめたと伝えられる


飢饉、天災、疫病からのがれるよう人々が幸せを求めてこのお寺を造営していったのです。 
それだけに、民衆のパワーを感じずにいられませんでした。
| パワースポット | 07:29 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
奈良「大神神社」の御神木

miwa

大神とかいて「おおみわ」
と読む。

江戸時代の国学者、本居宣長は「大和に都があったころ、ただ大神といえば

三輪の神のことだった」と書いたが、それだけ古今東西、特別な存在だったと

いうことだろう。

 美しい円錐(えんすい)形をした三輪山は古く、おそらく太古から神の山として

信仰されてきた。

祭神は大物主神。本殿はなく、拝殿奥の特異な形の三ツ鳥居(重文)から

ご神体の三輪山を拝む。


minosugi

本殿に向かい右側にりっぱな杉の木が聳えている。

「巳の神杉」と呼ばれる御神木である。

写真を撮ったら、不思議な球体が写った

逆光でレンズがハレーションした訳でも無いし、その後の写真をみても曇りはない。

今までに御神木を何点か写したが、やはり同じような現象が複数回あった。

理由はわからない・・・

 

巳の神杉(みのかみすぎ)

江戸時代には、「雨降杉」とあり、雨乞いの時に里の人々が集まり、

この杉にお詣りをしました。

いつの時代からか、杉の根本に、巳(み)さん(=蛇)が棲んでいるところから、

「巳の神杉」と称せられるようになり、巳さんの好物とされる卵が、酒とともに

お供えされています。
蛇は、古来より三輪の神の化身として意識されており、『日本書紀』の

崇神天皇10年9月条に、「小蛇(こおろち)」と記され、

『同紀』雄略天皇7年7月条には、三輪山に登って捉えて来たのが

「大蛇(おろち)」であったと伝えています。

いずれも、三輪の神がその原初的形態として、蛇神であると信じられて

いたことを示していると考えられます。
三輪の神の原初の形とされる蛇は、水神であり、雷神ともなり、農業神、

五穀豊穣の神となり、やがては国の成立とともに、国家神的な神に至ったと

考えることができます。

 
| パワースポット | 07:04 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
1300年の古都「奈良・三輪山」に
oomiwa 


奈良における最高のパワースポットは、
三輪山であると思う。

古代よりお椀を伏せたような形(円錐形)の山に、神が降臨するといわれていました。

そしてそんな山を「神がいらっしゃる山」という意味を込めて「神奈備山(かんなびやま)」

と呼んだ。その代表が奈良県桜井市にある三輪山なのです。

 

三輪山ふもとには卑弥呼の墓かと評判の箸墓古墳や纒向遺跡があって、

「巫女(みこ)王」だったとされる卑弥呼もこの山に祈ったのだ。

oomiwa

三輪山の麓には、大神神社が鎮座する。

「大神神社(おおみわじんじゃ)」は奈良県桜井市にある神社で、

三輪明神、三輪神社とも呼ばれる。

大物主大神(おおものぬしのおおかみ)を祀る。

日本神話に記される創建の由諸や大和朝廷創始から存在する理由など

から「日本最古の神社」と称されている。

 

三輪山そのものを神体(神体山)として成立した神社であり、今日でも

本殿をもたず、拝殿から三輪山自体を神体として仰ぎ見る古神道(原始神道)の

形態を残している。

自然を崇拝するアニミズムの特色が認められるため、三輪山信仰は縄文か

弥生にまで遡ると想像されている。

 

拝殿奥にある三ツ鳥居は、明神鳥居3つを1つに組み合わせた特異な形式のものである。

 

神の山「三輪山」に登る。

摂社の狭井(さい)神社に登拝口があり、参拝証の鈴が付いた白いたすきを

かけて標高約467メートルの山頂をめざす。

三島由紀夫やドナルド・キーンも登ったのだそうだ

 miwa1
      (後ろの木の由緒掲示板にここの神巳(龍)の顔が浮かぶ、そんな気も・・・・)

緑が迫る山道を片道1時間。歩を進めるごとに場を清めるようで敬虔(けいけん)な

気分になる。途中、いくつもしめ縄をかけた巨石や大木があり、その前で祈る人も多い。

ここはまさに神域だ。

 頂上付近には高宮(こうのみや)神社が

その奥には厳粛にまつられた奥津磐座(いわくら)が鎮座し、

はるか昔の信仰のあとがしのばれる。

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キツイ往復であったが、とても清清しい気持ちになれるのはやはりパワースポットだからか・・

| パワースポット | 07:36 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
いつのまにか訪ねていたパワースポットNo2伊勢からNo3奈良へ
パワースポットが最近話題となっていますが、何故か私は前々から

幾つかの場所を訪ねていました。

パワースポットとして私の生まれ故郷の「京都」、小、中、高校と育った街

「伊勢」と紹介しましたが、京都、伊勢とも千年を越える日本の歴史の街であり、

日本のルーツとも言える地で幼年青少年期を過ごしたわけです。

 

故郷伊勢神宮の「天照大神」は、元々奈良に祀られていたのです。

奈良の都から太陽の昇る東の方向へ倭姫(やまとひめ)が、最高神天照大神を

祀るに相応しい地を捜し歩いたのです。

倭姫(やまとひめ)は、垂仁天皇の娘でした。


yamatohime 

私の出身の伊勢高校のすぐ近くに「倭姫宮」がありました

今思うと「倭」は=「大和ヤマト」だったのです。

yamato4
 

倭姫は宇陀の篠幡、近江の国、美濃、とめぐった後で伊勢に入りますが、

この地にて「この神風(かむかぜ)の伊勢国(いせのくに)は、

常世(とこよ)の浪の重浪帰(しきなみよ)する国なり。

傍国(かたくに)の可怜(うま)し国なり。

是(こ)の国に居(を)らむと欲(おも)ふ」(『日本書紀』)
という神託がありました。

そこで倭姫はここに宮を建てて天照大神をお祭りしたのです。

これが「伊勢神宮」なのです。

yamato1 

伊勢神宮のルーツは、奈良の都(奈良県桜井市)にありました。

そしてここは、現在巻向遺跡で注目されている

女王「卑弥呼」の里なのです。

 

やはり、天照大神=卑弥呼 の線が繋がってきます。

このことをベースとしてパワースポット奈良について、次回書いてみます。

| パワースポット | 07:18 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
お伊勢さんに参拝する順序をおさらいしますと
まず、「外宮(げくう)」からお参りします。

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外宮神域内にある別宮からです。

1、外宮別宮「風の宮」

2、外宮別宮「土の宮」

3、外宮別宮「多賀の宮」

4、外宮正宮


御幸通りの中ほどにある神宮別宮

5、月讀宮(つきよみのみや)

6、月讀荒御魂宮(つきよみのあらみたまのみや)
7、伊佐奈岐宮(いざなぎのみや)
8、伊佐奈弥宮(いざなみのみや) 

9、猿田彦神社


そして「内宮(ないくう)」です。

10、内宮別宮「瀧祭神 たきまつりのかみ」

11、内宮別宮「風日祈宮(かざひのみのみや)」

12、内宮別宮「荒祭宮(あらまつりのみや)」

13、内宮正宮

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伊勢神宮をお参りするには、上記13ヶ所のお宮を参拝することが正しいので、

1日まるまるかかるものと思い充分な時間をおとりください。

| パワースポット | 07:50 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
いよいよ伊勢神宮「内宮正宮」です
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杉の大木に囲まれた参道を歩き、その一番奥の広い石段を上がると正宮があります。
正宮は、2000年前、垂仁天皇26年のご鎮座です。
内宮の正殿は4重の垣に囲まれ、一般の人は直接、目にすることはできません。

わずかに垣根越しに正殿の屋根の部分を見ることができます。

ここには天照大御神がまつられております。

御神体は、八咫鏡(やたのかがみ)で、
八坂瓊勾玉(やさかにのまがたま)と草薙剣(くさなぎのつるぎ)を合わせて

三種の神器(じんぎ)と呼ばれます。

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そして、唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)と名付けられる建築様式のご正殿はじめ

付属の殿舎ならびに御垣は、20年に1度、式年遷宮の大祭を行って建て替えられて

きました。遷宮によって、2000年昔と変わらない姿を今も拝することができるのです。
(鳥居より内側では、写真は取れません)

| パワースポット | 07:44 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

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