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今年の京都、紅葉は最高!東福寺は真っ赤
toufuku
 

昨日、小雨の中、京都の東福寺に行ってきました。

毎年訪れているが久々に真っ赤!

見頃となった東山区の東福寺では赤く染まった木々の葉がしっとりとぬれ、

谷あいをまたぐように架けられた通天橋への眺めは燃えるよう

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東福寺の境内に約2千本あるカエデは例年に比べて約1週間早い14日ごろから

見頃を迎えたという。

11月に入って朝晩の冷え込みが増し、今年の京都市内の紅葉は美しい

見頃を迎えている。

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京都紅葉の名所「東福寺」は、京都駅の南側に位置しています

東福寺

京都市東山区本町にある臨済(りんざい)宗東福寺派の大本山。

山号は慧日(えにち)山。本尊は釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)。

1236年(嘉禎2)九条道家の発願により法性寺(ほっしょうじ)跡に一堂が

創建され、宋(そう)から帰国した聖一国師円爾弁円を開山に迎え、

天台・真言・禅の三宗兼学の道場とした。七堂伽藍の完成は道家

死後3年たった1255年(建長7)で、東福寺の名は東大寺と興福寺から

1字ずつをとった。

のち京都五山の第四位に列せられ栄えたが、1319年(元応1)、1334年(建武1)、

1336年(延元1・建武3)と相次ぐ火災によって焼亡した。

1347年(正平2・貞和3)一条経通(つねみち)が仏殿を再興し、

以後足利義持、豊臣秀吉、徳川家康らによって諸堂が重修された。


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天空の橋は「通天橋」です

仏殿から開山堂(常楽庵)に至る渓谷(洗玉澗;せんぎょくかん)に架けられた

橋廊です。

1380(天授6)年、春屋妙葩(しゅんおくみょうは;普明国師)が谷を渡る労苦から

僧を救うため架けたとつたえられ、歩廊入口には同国師の筆になる「通天橋」の

扁額をかかげます。
南宋径山(きんざん)の橋を模し、普明国師が通天(つうてん)と名付けました。
その後、第四十三世住持、性海霊見が修造し、長廊を架したともいわれますが、

その後も幾度か架け替えられ、現在のものは、1959(昭和34)年、台風によって

倒壊したものを1961(同36)年、再建したものです。

| 日本を旅する・京都 | 07:06 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
今回の仕事の現場は、「ザ ソウドウ 東山 京都」であった
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「ザ ソウドウ 東山 京都」とは

西に八坂の塔、北に高台寺を望む広大な邸宅のレストランなのです。


元々は、
京都画壇の重鎮竹内栖鳳1929年に築き、

「東山艸堂(ひがしやまそうどう)」と名づけられました。

日本画家の竹内栖鳳は晩年の13年間を過ごしています。

住まいやアトリエとしてだけではなく、作品のモチーフになる草花や

動物をここで育てたり、各界の著名人が集まる文化芸術交流の場として

幅広く活用されていたのですが、栖鳳没後は公開されることなく時を止めて

いたのです。
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そんな自然美と今日の風景を愛した日本画家の美意識を継承しつつ、

現代のゲストを最大限にもてなすための空間として平成15年に誕生したのが

「ザ ソウドウ東山 京都」(以前はザ ガーデン オリエンタル京都と呼んでいた)

なのです。

| 日本を旅する・京都 | 07:59 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
今月NHK大河ドラマ「平家物語」で鹿ケ谷の陰謀が放送されていた

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例年通り紅葉の時期、また京都に来ることが出来た。

さて鹿ケ谷(ししがたに)の陰謀の舞台、鹿ケ谷は京都東山区の地名である。


reiganji霊鑑寺のお庭

哲学の道の中ほどの
「霊鑑寺」があるあたりである。

この鹿ケ谷に「鹿ケ谷山荘」という素敵な食事処があった。

2度ほど東京から食べに訪ねたが、残念ながらその店は閉店してしまった。


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前にも書いたのだが「ししがたに」の音で、いのしし(猪)の谷と思ったが

鹿(しし)ケ谷なのだ。

猪が多く生息していた谷ではなく、ししとは「鹿」なのだ。

庭にある「ししおどし」も漢字で書くと「鹿威し」なのだ。

ししおどし(鹿威し)とは、

農業などに被害を与える鳥獣を威嚇し、追い払うために

設けられる装置全般の総称。かかし、鳴子、その中でも特に添水を指す。


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この地で、安元三年(1177年)五月二十九日、摂津源氏の多田蔵人行綱が

東山鹿ケ谷の山荘における後白河法皇の近臣による平家打倒の謀議を密告。

驚いた清盛は院の近臣である西光法師、藤原成親・成経父子、

平判官康頼、俊寛僧都ら、謀議にあずかったとされる院の近臣を捕縛し、

斬首あるいは流刑に処した。

これが鹿ケ谷の陰謀である。

 

鹿ヶ谷(シシガダニ)の密議(陰謀)  

治承元年(1177)6月 鹿ケ谷の密議発覚、京都鹿ケ谷で、平氏打倒を密議した事件
  藤原成親(新大納言成親卿)    備前国に流罪・惨殺
  俊寛僧都(鹿ヶ谷の山荘所有者) 薩摩国喜界島に流罪
  西光(藤原成親の弟) 斬殺 
  藤原師高(西光の子) 斬殺 
  多田蔵人行綱(源行綱) 鹿ヶ谷の密議を密告したが、安芸国に流罪
  藤原成経(丹波少将成経 藤原成親の子) 薩摩国喜界島に流罪
     のち、許されて都に帰る途中、藤原成親の弔いを「吉備の中山」で行った。

平家物語のこともあり、また今回この地を歩いてみた。


 
| 日本を旅する・京都 | 07:06 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
私の生まれ故郷「京都」、八坂神社にお参りする
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                                                 祇園側でなく本来の正門である
京都に生まれ小学校1年生まですごした京都の街

シンボルでもある祇園「八坂神社」であるが、そのいわれを分かっていなかった。

京都の街は、

794年、『皇統譜』第50代の桓武天皇が平安京を築くよう命令した時、

その宮都は中国の都城制だけでなく、中国の風水思想をも盛り込まれた

ものとなりました。風水とは道教由来の観念で、全土に「気」が多様な状態で

流れているという自然界の世界観で、

この「気」が最もよく集まる場所に都を立てれば、その都は永久に栄える

であろうとの考えから、中国の宮都以来、この風水思想に基づいた

都市計画がなされたのでした。
 風水によれば、東西南北にはそれぞれ「北−玄武」「南−朱雀」

「東−青龍」「西−白虎」の守り神がおり、各方角には、各神にふさわしい地形が

位置しないと、気の流れが上手いこと作用しないのだと考えられていました。
京都盆地の場合は、東西南北にそれぞれ山があり、川や池など他の自然要素も

風水の示す方角に適っているため、まさに風水理念にかなった条件を持つ

「四神相応」の地だったのです。

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                                地図は、昔式で上が南である

その中でも「八坂神社」は特別な存在であった。

というのは、八坂神社の創建は斉明天皇2年(656年)で、平安京ができる以前より

この地域の守り神として崇められており、古来より「祇園さん」の名で親しまれていた。

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本殿

400坪の桧の皮を重ねた大きな屋根を持つ。その屋根は神殿と拝殿の2つの建物を

覆う建築様式「祇園造」が特徴です。

本殿の下には池があり、青龍が棲み京都を護るという伝説があります。

 

蘇民将来伝説の地
祇園祭は、7月の1ヶ月にわたり行われる疫病除けの祭である。

7月31日の夏越祓で、その全日程を終了する。

その夏越祓が行われるのが、八坂神社西桜門を入った場所にある疫神社で、

蘇民将来伝説で有名な蘇民将来を祀る。

蘇民将来、スサノヲ、牛頭天王と繋がる伝説が残る八坂の地、そこは古代からの

信仰の聖地であったのである。
| 日本を旅する・京都 | 07:37 | comments(3) | trackbacks(0) | pookmark |
秋の京都 嵯峨釈迦堂 清涼寺
清涼寺という名前のイメージで

やはり山間の小さなお堂かと思いながら自転車を走らすと

巨大な伽藍が見えた。

それが「清涼寺」であった。

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清涼寺の前身は、光源氏のモデルとされる嵯峨天皇・皇子の

源融(みなもととおる)の山荘「棲霞観」(せいかかん)で、

融が亡くなって棲霞寺と改めらたが、天慶8年(945)

醍醐天皇・皇子の重明(しげあきら)親王が亡き妃のために

新堂を建て釈迦如来を安置した。

これが釈迦堂の名前の由来とされ、京都十三仏霊場第二番礼所である。

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本堂(釈迦堂)の裏に放生池があるが、池の中の二つの小島には

弁天堂と忠霊塔が建つ。忠霊塔の地下には、各戦争犠牲者の霊を

弔う写経石が一万数千個(一石一字)、また沖縄ひめゆりの塔、

その他、各戦跡で集められた血染めの小石が納められている。

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本堂(釈迦堂)に安置されている本尊は、日本三如来の一つで

三国伝来(インド〜中国〜日本)の生身の釈迦如来として尊祟されている。

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| 日本を旅する・京都 | 07:21 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
秋の京都 奥嵯峨「祇王寺」供/燭断鬚で
白拍子「祇王」のお寺「祇王寺」

思った以上にひっそりとした、たたずまいのお寺であった。

平清盛に捨てられた祇王と仏御前の二人が余生をおくった場所

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もちろん紅葉は素晴らしいのですが

それ以上に 苔 が美しい

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ここに2匹の猫がいた

真っ白い猫が「祇王」

シャム猫が「仏御前」

そんな気がする。

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この小さなお堂に座っていると


平家物語の「諸行無常の響き」が聞こえてくる


祇園精舎の鐘の音には、
諸行無常すなわちこの世のすべての現象は絶えず変化していくものだという響きがある。
沙羅双樹の花の色は、
どんなに勢いが盛んな者も必ず衰えるものであるという道理をあらわしている。
世に栄え得意になっている者も、その栄えはずっとは続かず、
春の夜の夢のようである。
勢い盛んではげしい者も、結局は滅び去り、
まるで風に吹き飛ばされる塵と同じようである。



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娑羅双樹の花が

ひそやかに咲いていた

 

山あいにひっそりと・・・・・

(残念ながら沙羅双樹の花は、ナツツバキで今の時期咲かない。これは寒椿であろうが
 丁度美しく花開いていた)
祇王寺素敵な場所でした。

| 日本を旅する・京都 | 07:05 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
秋の京都 奥嵯峨「祇王寺」
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白拍子「祇王」の話は「平家物語」の巻第一「祇王」で語られている。


祇園精舎の鐘の声、
諸行無常の響あり。

沙羅双樹の花の色、

盛者必衰の理を顕はす。

奢れる者久しからず、
ただ春の世の夢の如し。

猛き人も遂には滅びぬ。
偏に風の前の塵に同じ。

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祇王(ぎおう)は都で平清盛の寵愛を受ける白拍子でした。
そんな折、仏御前という白拍子が清盛のもとに舞を披露したいとやってくる。

清盛は祇王がいたため門前払いするが、祇王のとりなしによって

今様を披露することを許される。

するとその素晴らしさに清盛が、仏御前に心を移し、

さらには祇王は館を追い出されてしまう。

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妹の祇女,母とともに嵯峨野の地で出家をされました。
祇王はその時21歳という若さであったそうです。
その後、仏御前も世の無常を知り尼となってこの寺を訪れます。
世を儚み、4人でひっそりと念仏を唱えてこの地で余生を送ったのだそうです。

 

仏間には、本尊のほか、祇王、祇女、二人の母、仏御前、清盛の木造が

安置されている。

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吉野窓

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祇王と平清盛の墓

| 日本を旅する・京都 | 07:26 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
秋の京都 小倉山の常寂光寺狂事な紅葉
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常寂光寺

紅葉のあまりの美しさに、もう少し撮ってきた写真をお見せしょうかとの追加版である。


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茅葺きの佗びた仁王門をくぐり、急な石段を登って本堂に向かう。

小倉山の中腹にあるので、嵯峨野から京都の街の風景を一望できる。

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紅葉のトンネルのように美しいのが印象的である。

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紅葉の色は真紅、黄色、緑とそれぞれが調和してみごとなコントラストを

みせるのだ。


秋のこの時期にだけみせる燃えるような光のシャワーだ!

もし、ゴッホがこの光景を見たらどのような絵を描いたのだろうか???

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また、小倉百人一首の撰者として有名な藤原定家の住んだ山荘跡ともいわれており、

境内には藤原定家の山荘、時雨亭跡が残っている。

| 日本を旅する・京都 | 07:51 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
秋の京都 小倉山の常寂光寺へ
今秋 いま一番紅葉が美しいのが常寂光寺である

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小倉山を背に、「常寂光土の如し」つまりひっそりとした場所にあるところから

寺号がつけられたといわれています。

文禄5年(1596)日蓮宗本圀寺の第16世日禎は、豊臣秀吉の東山大仏の

開眼千僧供養に宗制を理由に出仕を拒否し、この地に隠居してそこを寺院に改め、

当山を開いた。

 

日禎は当時日蓮宗本圀寺の住職でしたが、その後歌人藤原定家の山荘があったと

されるこの場所を隠居の地と定め、ここにお寺を建立しました。

日禎自身が歌人でもあり、平安時代の歌人藤原定家に憧れと尊敬を持っていたものと

思われます。

 

 

藤原定家は有名な小倉百人一首の選定者ですが、小倉の名前はここ小倉山から

取ったといわれています。

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境内に入るとまず目に飛び込んでくるのが仁王門です。

ここの仁王像は運慶作といわれています。

しかし、この時期 もみじがあまりに美しく、運慶の仁王像が目にはいりませんでした。

写真も撮り忘れました。

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それほど紅葉が素晴らしいのです。

 

もともとは本圀寺客殿の南門にあったものを日禎が1616年に移築したとされています。

ここの紅葉で一番美しいのが仁王門付近の紅葉で、まるで紅葉のトンネルの下を歩いているような感じです。

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土地を寄進したのは角倉了以と角倉栄可、また小早川秀秋などの大名の寄進により

堂塔伽藍が整備された。

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多宝塔 重要文化財、元和6年(1620年)建立。高さ12m、檜皮葺

 
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鐘楼 – 寛永18年建立鐘楼 – 寛永18年建立

| 日本を旅する・京都 | 07:15 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
秋の京都 竹林を駆けて歴史ロマンの舞台へ
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宝厳院から名刹天龍寺の境内を抜け竹林を走ると野宮神社がある

今や縁結びのポイントとして有名であるが、斎宮のつらい思い出の場所でもある。

境内の苔と周辺の竹林が美しいことでも広く知られる。

芭蕉や蕪村の俳句にも詠まれ、「源氏物語」でも、光源氏が六条御息所を訪ねる

くだりで野宮一帯の風景がたんねんに描かれている。

じゅうたんを敷きつめたような苔の庭園の豊かさ、美しさは京都随一との呼び名が高い。

嵯峨野を代表するといわれる竹林は、昔から「野宮竹」の名で通る。

樹皮に覆われた黒木の鳥居は日本最古の形式で、小柴垣とともに歴史の重みを

感じさせる。

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さらに落柿舎

ひなびた茅葺き屋根の庵は、松尾芭蕉の高弟である

向井去来[むかいきょらい]の別宅。

ある秋、去来が商人に庭の柿の木になっている実を売る約束をしたが、

その夜のうちに嵐ですべて落ちてしまった。いらい去来は自らを落柿舎と称するようになった。

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                        これは私が撮った写真とは思えない絵画のような紅葉であった(常寂光寺)

明日は、今時点の京都の紅葉で最も美しいといわれる常寂光寺

| 日本を旅する・京都 | 07:12 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

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