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都内ドライブ
 

8月15日 風邪が多少癒えたので深川から浅草方面へドライブした。

百花園へ行くが、狭い道加えて、駐車場がない。あらためて電車でいくことにする。

金魚坂に行ってみる。ここもパーキングがいっぱいで停められない。

休みのときは車が便利なのだが、駐車場がやはり問題である。(特に下町)

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ナビを頼りに走っていると目の前に「トウキョウ・スカイツリー」が聳えていた

現在 418m

最終的に 634mの高さになるのだそうだが、今でも十分高い。

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金魚坂から皇居を抜けるつもりで神田方向に行くと

渋滞。おかしいと思ったら 8月15日 終戦記念日、靖国神社に右翼が出て

機動隊が10台ぐらいでバリケードをはり、交通規制されていた。

皇居にはいると二重橋に多くの観光客、さらに2階建てバスがなんどかすれ違った。

東京も車がすいていると結構楽しい。

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| 散策 | 07:26 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
さらに醍醐寺 「霊宝館」の桜
醍醐寺「霊宝館」

国宝「薬師如来坐像 平安時代」、重文「千手観音立像 平安時代」などの

仏像をはじめ、国宝「五大尊像 鎌倉時代」、重文「大元帥明王像 三十六臂 

鎌倉時代」、重文「仁王経曼荼羅 鎌倉時代」などの密教仏画、工芸品を展示。

その他豊臣秀吉が開いた「醍醐の花見」の当日に詠まれた
短冊「重文 
醍醐花見短籍 桃山時代」など、
春らしい品々を含む約80点の寺宝を公開している。

 

加えて、桜は必見である。多くの種類の素晴らしい桜が満開であった。

私自身は桜について詳しくないので説明できないが、異なった種類の桜が

同じ時期に1つの場所で見られることは非常にまれで、ここはお奨めです。

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まず、霊宝館の有名な「しだれ桜」です。

桜の木でも比較的長寿な種類の木で、5〜600年の樹齢のものも少なくありません。

中には1000年を超えるものもあります。

この桜は、太閤殿下も鑑賞した木かもしれません。

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 こちらは、比較的背の低い桜です。色が濃いピンクで花びらが大きい種類です。

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| 散策 | 07:57 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
「醍醐寺」三宝院併設の憲深林苑の桜
 三宝院併設の「憲深林苑」

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ほとんどの方が、三宝院本堂の豊臣秀吉が設計した庭園のほうに行くので
ここは、意外と空いている。桜は本当に素晴らしいので穴場かもしれない。
| 散策 | 07:17 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
つづいて醍醐寺 「三宝院」の桜です
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醍醐寺は世界文化遺産にも登録されている山上の上醍醐と山麓の下醍醐から成ります
醍醐寺の歴代座主が居住する坊[三宝院]は永久3(1115年)、
勝覚僧正により創建されました。

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| 散策 | 07:12 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
みなさんに京都 醍醐寺 「特別花見の宴」をお贈りいたします

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平安時代から「花の醍醐」と呼ばれるほどの桜の名所です。

この時期、世界文化遺産の境内を背景に枝垂れ桜、染井吉野、山桜、

八重桜など1000本の桜が順番に咲き誇ります。

 

まず「総門」をくぐる

左手に「三宝院」、右手が「霊宝館」。

総門前方の仁王門(西大門)までの一直線の道を「桜の馬場」と呼びます


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朝は9時からしか開門されないが、桜の馬場は解放されており、

9時になると多くの観光客が並ぶので早く行って写真を写すといいです

9時ちょうどにならないと開門しません。

「三宝院」、「霊宝館」ともに種類の異なる桜が植えられていて壮観である。

まず、開門まえの「桜の馬場」の画像です。

 
| 散策 | 07:06 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
美しい桜の咲く時期になりました、昨年訪ねた醍醐寺の桜が忘れられない

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醍醐の花見
(だいごのはなみ)とは、

慶長3年3月15日(1598年4月20日)に豊臣秀吉が京都の醍醐寺において、

豊臣秀頼、北政所、淀殿ら近親の者を初めとして、諸大名からその配下の者など

1300名を従えて盛大に催した花見の宴である。

その日の輿の順も記録に残されており、

一番目に北政所、二番目に淀殿、三番目に松の丸殿、四番目に三の丸殿、

五番目に加賀殿、その後に側室ではないものの長くつき合いのある

まつ(前田利家正室)が続いた。

宴会の席では、正室である北政所の次に杯を受けるのを淀殿と松の丸殿が争い、

まつがその場をうまく取りおさめたという話が伝わっている。

この花見で詠まれた和歌の短冊は今も三宝院に保管されている。

 

応仁・文明の乱のあと荒れ果てていた醍醐寺を復興した中興の祖、

80代座主である義演准后は、豊臣秀吉の帰依を得て良好な関係を築いていたが、

秀吉の最期が近いことを感じ取り、一代の華美な英雄の最後にふさわしい大舞台を

しつらえるために、あちこちに手配をしてこの醍醐の花見を催させたともいう。

秀吉はこの約半年後に没する。

醍醐寺では、現在でもこれにちなんで毎年4月の第2日曜日に

「豊太閤花見行列」を催している。

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当時は4月20日に桜が満開だったのであろう。

温暖化のため毎年桜の時期が早くなってきているようだ

今日から数日ご紹介する写真は、私が昨年4月4日に撮影したものである。

 
| 散策 | 07:49 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
「おそれ入谷の鬼子母神」
  鬼子母神は、法華経の守護神として日蓮宗法華宗の寺院で祀られることが多く、

「おそれいりやの鬼子母神」で知られる。


東京都台東区入谷
の鬼子母神(真源寺)、東京都豊島区雑司が谷法明寺鬼子母神堂

千葉県市川市の遠寿院の鬼子母神が有名である。

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私が今回お参りしたのは雑司が谷の鬼子母神

「きしぼじん」ではなく「きしじん」と読むのである。


また、鬼子の鬼の字のノ=ツノが頭部から取り除かれている字が正式なのである。

しかしながらパソコンで表示ができないのでそのまま書かざるをえません。

(石柱に刻まれた鬼の文字をご確認ください)
江戸時代から子授け、安産のご利益があるとされ多くの参拝客が来ていました。


境内には日本一古い、江戸時代からの駄菓子屋
「上川口屋」さんが今もある。

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帰りは荒川線ではなく、メトロ副都心線「雑司が谷駅」があるはずだ、
探したがまったく表示がなく、歩いている地元の方に聞いたら親切に教えていただけた。
なんのことない荒川線駅の線路のすぐ横にすこし入り込んでメトロの駅入り口が
あった。新しい路線なので、表示があまりされていないため、結構道を聞かれるのだ
そうだ。
「雑司が谷」下町にありそうなのだが、東京メトロ副都心線で新宿三丁目から3つ目の駅で
ある。次が池袋。都心に近い江戸の面影を残す街である。

| 散策 | 07:46 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
鬼子母神にお参りする
 宣教師館から荒川線の方にもどり、踏み切りを渡ると「大鳥神社」がある。

鷲(おおとり)神社と同じく、お酉様で有名である。

正徳2年(1712)、鷺明神の名で祀られたのが大鳥神社のはじまり。

雑司が谷、南池袋などの氏神様として親しまれ、厄病除けの神として
尊崇されている。

江戸時代から続いている11月の酉(とり)の日に、「酉の市」を開催。

飾り物の熊の手が縁起ものとして販売され、露店やお囃子、民謡、
舞踊などの
催しが行われる。

ootori 

そこから池袋方向に歩いて行くと東京音楽大学のモダンな建物があり、
そこを左に曲がると
突き当りが「鬼子母神」であった。

kishibojin 

梵名ハーリティー仏教を守護するとされる女神の一尊。

三昧耶形は吉祥果(ザクロの実。種が多いことから多産・豊穣の象徴)。

種子(種字)はウーン (huuM)。

概説

元は鬼神・般闍迦の妻で、500人(一説には千人または1万人)の子の母でありながら、

常に他人の子を捕えて食べてしまうため、釈迦は彼女が最も愛していた
末子・愛好を隠して,
子を失う母親の苦しみを悟らせ、仏教に帰依させた。

以後、仏法の護法善神となり、子供と安産の守り神となった。盗難除けの守護とも
言われる。

インドでは、とりわけ子授け、安産、子育ての神として祀られ、
日本でも
密教の盛行に伴い、小児の息災や福徳を求めて、鬼子母神を本尊とする
訶梨帝母法が修せられたり、
上層貴族の間では、安産を願って訶梨帝母像を祀り、
訶梨帝母法を修している。

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また、法華経では十羅刹女(じゅうらせつにょ)とともに鬼子母神が、法華信奉者の
擁護と
法華信仰弘通を妨げる者の処罰を誓っていることから、日蓮はこれに基づき
文字で表現した

法華曼荼羅に鬼子母神の号を連ね、鬼子母神と十羅刹女に母子の関係を設定している。

このことが、法華曼荼羅の諸尊の彫刻化や絵像化が進むなかで、法華信奉者の守護神

としての鬼子母神の単独表現の元となった。

その像は天女のような姿をし、子供を1人(末子の愛好とされる)抱き、
右手には吉祥果を持つ。

吉祥果は人肉の味がするから、とも言われるが、これは後になって付け加えられた話である。
| 散策 | 07:50 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
都電荒川線に乗って三ノ輪から雑司が谷へ
 

東京地下鉄日比谷線三ノ輪駅から3分程歩くと、レトロな「梅沢写真館」ビルが出現する。

このビルは旧「王子電気軌道」本社ビルといわれ、飲食店などが並ぶビル1階の通路をくぐると、

昭和30 - 40年代を思い起こさせる商店街の中に、起点の三ノ輪橋停留所がある。

当初は梅沢写真館ビルの位置に停留所があったそうである。

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かつて23区内に多数存在していた都電の路線のうち、荒川線は唯一の存続路線となっている。

荒川線は、王子電気軌道東京都(当時は東京市)が買収したもので、元は27系統と32系統として別々に運行していたが、都電全面廃止の1972年11月12日専用軌道を持つ同系統が荒川線として残った。現在も年配者の中には「王子電車」や「王電」と呼ぶ人がいる。

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雑司が谷駅「雑司が谷霊園」

開設は明治5年(1872)。霊園になる前は「御鷹部屋」があった場所で、その南側一帯には、雑司ヶ谷村の農家が点在していた。墓域の間に並んだ大きな樹木は、22軒の農家の屋敷林や庭木だったという。
霊園には、夏目漱石をはじめ小泉八雲、竹久夢二、永井荷風、ラファエル・ケーベルといった著名人が多く眠る。


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霊園内を抜けて市街地にはいると「宣教師館」がある。

この建物は、1907年(明治40年)に米国人宣教師マッケーレブ氏により建築されたもので、

1941年(昭和19年)まで 自宅兼布教所として使われていました。
現存する区内最古の洋風建築物で、白と緑のモダンな建物は木造二階建。

住宅街の中の緑と溶け込むように建っています。
建築様式はアメリカの代表的なコロニアルスタイルです。

しかし、 大工が日本人だったためか、天井が割竹を使用した一松模様になっているなど、

部屋内部の随所に和風が顔をのぞかせ、一風変わった造りになっています。

この日はミニ・コンサートが開かれており、館内にはいることはできませんでした。

| 散策 | 07:20 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
神楽坂についてNo3 花街
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商店通りから、本当に細い路地「兵庫横町」に入っていくと

古い石畳の道にたどり着く

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「和可菜」の表札がみえる。

文豪がいまにも歩いてでてきそうな趣が残る道である。

 

「粋な黒塀、見越しの松に♪」昔こんな歌謡曲があった
そのままだ

また神楽坂の街は夜になると一変する。

石畳の敷かれた料亭や老舗旅館の黒塀の横を

急ぐ芸妓とすれ違う。

こんな風景が東京に残るのはここだけだろう。

| 散策 | 07:48 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

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