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「第54回FECJ賞」授賞式No.4「特別賞」芦田多恵さん原由美子さん

「第54回FECJ AWARDS」『特別賞』受賞された

芦田多恵さん、原由美子さんのお二人には以前お会いした事がある。


芦田多恵さんには、私が以前お父様の芦田淳先生とお仕事をさせていただいて

代官山の事務所に通っていたときであった。今回受賞式の後のパーティで

久しぶりにお話させていただきました。この日、ご主人の山東さんもいらっしゃったので

いっしょにお話が出来ました。


ashida
 
芦田多恵さん

今年ファッションデザイナーの芦田多恵さんが自身の名を冠した

新ブランド「TAE ASHIDA(タエ アシダ)」を立ち上げデビュー作となる

2013年春夏コレクションを発表。

芦田さんは昨年、既存ブランド「MISS ASHIDA(ミス アシダ)」のデザイナー

として20周年の節目を迎えたが、「さらにパワーアップするために(ブランド創設を)

決心した」という。「新ブランドは、よりクリエーティブでモードな服を目指し、

実験的な試みも取り入れていきたい」と話す。

芦田淳氏の娘ということでなく、名実共に日本を代表するデザイナーである。

 

hara  

原由美子さん

ファッションの歴史にこの人あり、スタイリストの草分け的存在として憧れの的で

ある原由美子さん

その経歴は『アンアン』創刊に参画、スタイリストとして『エルジャポン』

『マリ・クレール日本版』『フィガロジャポン』など数多くの雑誌を担当の後、

ディレクターとしても活躍するなど本当に多岐にわたります。

童顔というコンプレックスから「きちんと見える服」を意識してきた原さんの歩みは、

日本の女性の自立と重なる。

ファッションの多様化は歓迎しつつも、場をわきまえない崩れた装いが気になる。

「こんな時代だからこそ、スタイリストが再び必要になるかもしれない」

1960年に創刊、一昨年ウェブに移行した雑誌「ハイファッション」からデザイナーの

インタビューを集めたのが、『ハイファッション デザイナーインタビュー』(文化出版局)。

一線の約60人が登場、創作に込めた思いや自らの生き様について語る本も注目だ。  
| 芸術 | 07:55 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
「第54回FECJ賞」授賞式No.3「特別賞」草間彌生さん、三宅一生さん

「第54回FECJ AWARDS」『特別賞』の受賞者がまた凄い方達だ

最初に登場されたのが先日NHKで特集されていた草間彌生さんだった。

番組ではお元気だったが、この日は車椅子での登場となった。

受賞の挨拶は独特の草間ワールド炸裂だった。


kusama
 

草間彌生さん

プロフィール

長野県松本市出身。幼少時代より絵を描き始める。1958年に渡米し、

16年間ニューヨークに滞在。93年ヴェネツィア・ビエンナーレ日本代表、

98年台北ビエンナーレ、2000年シドニー・ビエンナーレに参加。

99年東京都現代美術館において大規模な個展を開催。

2004年には「KUSAMATRIX」展を森美術館と札幌藝術の森美術館で開催。

2000年第50回芸術選奨文部大臣賞受賞、2001年朝日賞受賞、

2003年フランス芸術文化勲章オフィシェ受勲、2004年信毎賞、

2006年高松宮殿下記念世界文化賞を受賞。

 

幼いころから草花やスケッチに親しむ。その一方、少女時代より統合失調症を病み、

繰り返し襲う幻覚や幻聴から逃れるために、それら幻覚や幻聴を描きとめる絵を

描き始める。草間は現在に至るまで水玉(ドット)をモチーフに制作する事が多いが

(ドット・ペインティング)、これは耳なし芳一が幽霊から身を守るために全身に

経で埋め尽くした様に、彼女が恐怖する幻覚や幻聴から身を守るために、

作品全体を水玉(ドット)で埋め尽くす儀式でもある、とされる。


miyake
 

さらに三宅一生さんであるが、残念ながらご本人は海外出張で欠席だった。

三宅一生プロフィール

広島市東区に出生。1945年7歳の時に広島市への原子爆弾投下により被爆。

同じく被爆した母親を放射能障害のため3年経たないうちに亡くした。

「破壊されてしまうものではなく、創造的で、美しさや喜びをもたらすもの」を

考え続けた末、衣服デザインを志向するようになった。

高校卒業後上京、多摩美術大学図案科に入学。

在学中から装苑賞の第10回(1961年)、第11回(1962年)と2年連続で現在の

佳作にあたる賞を受賞、頭角を現した。

1回コレクションは1963年に発表した「布と石の詩」。

当時の環境に苛立ちパリに渡り、パリ洋裁組合学校「サンディカ」で学ぶ。

1966年にギ・ラロッシュのアシスタントとなり、その後ジバンシィ

デシナトゥール(完成した服を絵にする仕事)になる。

日本に帰国後の1970年、「三宅デザイン事務所」を設立。翌年2月には

ニューヨーク市内のデパートに「イッセイ・ミヤケ」のコーナーを開設した。

1973年、「イッセイ・ミヤケ秋冬コレクション」でパリ・コレクションに初参加。

1993年、フランスレジオン・ドヌール勲章、イギリスロイヤル・カレッジ・オブ・アート

名誉博士号授与。1998年、文化功労者に顕彰、

1999年には米週刊誌『TIMEアジア版において、「今世紀最も影響力のあった

アジアの20人」に選出され、

2005年、第17回高松宮殿下記念世界文化賞(彫刻部門)、

2006年第22回京都賞(思想芸術部門)など数々の賞を受賞。

2007年3月、東京六本木に誕生した複合施設「東京ミッドタウン」内に併設された

デザイン拠点「21_21 DESIGN SIGHT」(トゥーワン・トゥーワン・デザインサイト)をオープン。

2008年度より朝日賞選考委員も務めている。

2010年11月文化勲章皇居にて鈴木章安藤忠雄蜷川幸雄らと並び、受勲した。

まちがいなく日本のファッションシーンを牽引した第一人者だと思う。

 
| 芸術 | 07:28 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
「第54回FECJ賞」授賞式No.2
kiko
 

最初にご紹介したのは『セレブリティ・オブ・ザ・イヤー』武井 咲(タケイエミ)さんでした

2年ぶりの「第54回FECJ AWARDS」でしたので、多くの芸術家が受賞されました。

『デザイナー・オブ・ザ・イヤー』高橋盾(タカハシジュン)さん
『モデル・オブ・ザ・イヤー』水原希子(ミズハラキコ)さん
『新人賞』山縣良和(ヤマガタヨシカズ)さん

『特別賞』

三宅一生さん

芦田多恵さん

草間彌生さん

原由美子さん

 

高橋盾(タカハシジュン)さん、モデルの水原希子(ミズハラキコ)さん
山縣良和(ヤマガタヨシカズ)さん
3方については、ファッションに疎い私は
あまり知りませんでしたが、すごい方たちだそうです。


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まず、高橋盾(タカハシジュン)さんについてですが

Tシャツにジーンズといった街の若者の装いに触発されたストリートファッションを

発表して人気を集め、1990年に「アンダーカバー」ブランドを設立。

10年前からパリコレクションにも参加している。今や海外にも熱心なファンの多い、

日本を代表するブランドだ。

「ユニクロ」との協業にもつながり「家族」をテーマにした新ブランド

「UU(ユニクロ アンダーカバー)」をスタート。

大人向けのカジュアルな服はもちろん、部屋着、子ども服やベビー服も手がける。

 

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水原希子(ミズハラキコ)
さん

見覚えがあると思ったら映画『ノルウェイの森』で女優として出演していた。

1990年、アメリカ合衆国テキサス州ダラスで、Daniel・Audrie・Kikoとして出生。

父親はアメリカ人で母親は在日韓国人のハーフ

2003年、ファッション雑誌『Seventeen』の専属モデルオーディションにて、

ミスセブンティーンに選ばれ、専属モデルとなる。3年間専属モデルとして活動。

一旦芸能活動を休業し、2007年に再びモデルとして活動する決意を固め、

同年7月から、『ViVi』に専属モデルとして登場するようになった。

2010年、ビューティー雑誌『MAQUIA』の専属モデルとなり、国内外問わず様々な

雑誌に出演し、多くの表紙を飾っている。

 

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山縣良和(ヤマガタヨシカズ)
セントラルセントマーティンズを卒業後、ジョンガリアーノのアシスタントを経て

writtenafterwords」(リトゥンアフターワーズ)代表、ファッションデザイナー。

加速する資本主義経済の中でファッションは自由になったが、ファッション

デザイナーは自由ではなくなってしまったんじゃないか。そんな疑問を抱きながら、

ときにユーモラスに、ストーリー性を持って社会の表象や文化としてのファッションを

デザインしている。
これからの日本を背負っていく力を大いに期待する。

| 芸術 | 07:19 | comments(0) | trackbacks(1) | pookmark |
哀愁誘う胡弓「おわら風の盆」1000人が優雅に舞う

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豊作を祈って三日三晩を踊り明かす富山市八尾(やつお)町地区の伝統行事

「おわら風の盆」が昨日9月1日から始まった。
江戸時代から続く祭り。編み笠(がさ)を目深にかぶった約1000人の男女は、

哀愁を誘う胡弓(こきゅう)や三味線の音色に合わせ、蔵の並ぶ古い街を優雅に練り歩く。

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おわら風の盆の幕開け

二百十日の初秋の風が吹くころ、おわら風の盆の幕開けを迎えます。

毎年9月1日から3日にかけて行われるこのおわら風の盆は、

今も昔も多くの人々を魅了します。

涼しげな揃いの浴衣に、編笠の間から少し顔を覗かせたその姿は、

実に幻想的であり優美で、山々が赤くもえる夕暮れを過ぎると、

家並みに沿って並ぶぼんぼりに淡い灯がともります。
それぞれの町の伝統と個性を、いかんなく披露しながら唄い踊り、

その町流しの後ろには、哀愁漂う音色に魅せられた人々が1人、

また1人と自然につらなり、闇に橙色の灯が浮かび上がり、誰もが

おわらに染まっていきます。

 

「おわら」とは

一説では、江戸時代文化の頃、芸達者な人々は、七五調の唄を新作し、

唄の中に「おわらひ(大笑い)」という言葉を差しはさんで町内を練り廻ったのが

いつしか「おわら」と唄うようになったというものや、

豊年万作を祈念した「おおわら(大藁)」説、小原村の娘が唄い始めたからと

言う「小原村説」などがあります。


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なかなかこの時期八尾に行く機会はないが、前にNHKのドラマで

高橋治の小説を映像化した作品『風の盆恋歌』

観て以来強い興味を抱いている。

来年は行ってみようと思っている。

1000人の踊り子、26万人が訪れる。

「伊勢音頭」の復興の参考になると思う。

 
| 芸術 | 07:56 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
今、日本にフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」が来ている

フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」など、

オランダ・ハーグのマウリッツハイス美術館が誇るオランダ・フランドル絵画

のコレクションが、2012年6月30日(土)から9月17日(月)まで東京都美術館で

開催される「マウリッツハイス美術館展」(朝日新聞社など主催)で展示されている。


shinju
 

「真珠の耳飾りの少女」は、デン・ハーグのマウリッツハイス美術館に
所蔵されていたのでオランダを訪ねたとき実物を
観賞することはできなかった。
日本に来ているのでぜひ観にいきたい。


しかし、オランダ、アムステルダムに行ったとき
アムステルダム国立美術館にあるフェルメールの「牛乳を注ぐ女」
日本のように行列することなく普通にじっくり観賞できた。


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                     アムステルダム国立美術館にて

               ( 後ろの絵は、レンブラントの青年期の自画像)
フェルメールの作品は
33〜36点と寡作の画家として知られており、

風景画や宗教画、神話画も数点確認されているが、その大半がデルフトの街に

住む中流階級層の室内での生活を描いた風俗画である。

 

「真珠の耳飾りの少女」は、ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer)の絵画であり、

彼の代表作の一つ。

「青いターバンの少女」・「ターバンを巻いた少女」とも呼ばれ、オランダのデン・ハーグの

マウリッツハイス美術館が所蔵する。

口元にかすかな笑みをたたえるかのようにも見えるところから「北のモナ・リザ」

「オランダのモナ・リザ」と称される事もある。

 
疑問点
真珠の耳飾りとされているが、この絵を見るに耳から下がっているイヤリングの大きさが
35mmほどある。真珠は南洋真珠やマベであっても最高で25mmまでである。
これほど大きな真珠はありえない。
たぶん金のアクセサリーだと思われる。
何故真珠の耳飾りの少女と名がついたのか不思議に思う????
| 芸術 | 07:50 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
「武相荘」の自然の花
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ものを生かすには、互いに一歩退いて
譲り合う事が大切なのであろう。
そうすることによって、はじめて自己全体が
表現出来る。

総合芸術の面白さといおうか、
花と花器の関係には
人間同士の付き合いに、
よく似たものがあると思う。

白洲正子「花を活ける」より

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白洲正子さんは、縁台に座りこの庭をながめていた。

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| 芸術 | 07:19 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
白洲次郎は趣味人であった

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白洲次郎 神戸一中時代から車が趣味で、
英国留学時代(ケンブリッジ大学)は油まみれで愛車をいじっては
レースに参加したり長距離ドライブに
興じたりしていた。
友人たちから「オイリーボーイ」と呼ばれていたのだそうだ。

次郎さんの車好きは晩年まで続き、
ベントレー3リッターやブガッティタイプ35、
ポルシェ911Sなど数々の名車を所有していた。
今もガレージに「1916年式のペイジ・オープンカー」が置かれていた。

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晩年までポルシェを乗り回し、軽井沢ゴルフ倶楽部理事長を務めた。

「自分の信じた『原則(プリンシプル)』には忠実」で

「まことにプリンシプル、プリンシプルと毎日うるさいことであった」と正子夫人。

遺言は「葬式無用、戒名不用」。

まさに自分の信条(プリンシプル)を貫いた83年だった。

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かっこいい 人だ!!
 
| 芸術 | 07:10 | comments(33) | trackbacks(0) | pookmark |
「武相荘」の庭は、無愛想ではなく暖かい日差しがいっぱいだ

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母屋の素晴らしさは言うまでも無いが、特に今の時期の庭は素晴らしい。


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長屋門をくぐると、150年の樹齢を重ねている柿の木が今にも落ちそうな柿の実を

つけていた。「頭上注意」の立て札が見えた。

大きな敷石が敷き詰められた庭を歩くと、石仏が見える。60cmほどの仏だが多分

室町時代のものだ。

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庭にある石仏


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竹林の前には、まさに紅一点のいろは紅葉が紅色に輝いている。

その風情が誠に美しい。竹林と紅一点の紅葉、

そして三輪の石塔
この三輪の石塔の下には、正子さんが夫の次郎さんの形見の遺髪を

埋めたということだ。この三輪の石塔も室町期のものという。


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kouyou 


竹の合間から漏れる光が、紅葉をいっそう引き立て始める。
「鈴鹿峠」の石標がある。
坂道の両脇には、疎らに紅葉が植えてある。この疎らさこそが、正子さんの

感覚なのだ。多すぎるのは野暮ったく見える。

欠けて虚ろに見える中に、日本の美の心を感じる。

 
| 芸術 | 07:44 | comments(7) | trackbacks(0) | pookmark |
白洲次郎、正子夫妻の住まいであった「武相荘」(ぶあいそう)を訪ねた

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「武相荘」
、読み方は「ぶあいそう(無愛想)」である。

武相荘の名の由来は「武蔵の国の武と、相模の国の相、その二つの国の境に

位置する」と言う意味と、「無愛想」を掛けたものそうだ。

白洲次郎の独特のシャレなのだ


訪ねたのが12月11日、自然に溶け込んだ素晴らしい家であった。

都市開発の進む鶴川で、よく、昔のままの状態を保てたと思う。


150年ほど前に造られた百姓屋。
ここを白洲次郎が1942年に買い求め
改装したのだそうだ。

2次世界大戦が始まる前に、日本が敗れることを予見し、東京が

焼け野原になるとの考えのうえの疎開だったのだ。


建物は今も新鮮である。日本の木造建築のすごさを感じる。

白洲正子さんは1998年88歳、肺炎にて死去

白洲夫妻の長女・牧山桂子さんの尽力があったからこそ私どもが今、訪れることができる。

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白洲次郎

戦後、吉田茂首相に請われてGHQとの折衝にあたるが、GHQ側の印象は

「従順ならざる唯一の日本人」と怖れられた白洲次郎。

ドラマにも取り上げられ、在野の実力者として有名。


また、妻の白洲正子氏も著名な作家でもあり文化人であった。

私自身、著書も何冊も読んでいるし、ビデオの「かくれの里」を何度か観ている。

「武相荘」と白洲家については、1回では書ききれないので数回に渡りご紹介します。

 
| 芸術 | 07:37 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
10月16日日曜、大阪大学名誉教授「梅渓昇」先生のご自宅を訪問

10年ほど前にお電話でお話いただいてから、手紙と電話のみのお付き合いで

ずいぶんたった先週末の16日梅渓先生のご自宅にうかがう機会を得た。

先生のお父上がウオルサムの懐中時計を先生に託したことから

今回の訪問となったのだが、とても暖かくお迎えいただき恐縮の限りであった。

 

梅渓先生とはどんな方かというと

お歳はなんと 90歳

梅渓 昇(うめたに のぼる)

1921年 兵庫県に生まれる

1943年 京都帝国大学文学部史学科卒業

1966年 大阪大学文学部教授

1984年 大阪大学退任、仏教大学教授

1995年 仏教大学退任

現在 大阪大学名誉教授 文学博士

平成8年度(1996年) 「大阪文化賞」受賞[分野: 日本史]

「明治政治史、大阪文化史、学問史などで、多数の著作を発表、学界で

指導的な役割を担う。
 含翠堂、懐徳堂、適塾を中心とした大阪学問史に関する研究で大きな

業績をあげ、また適塾記念会理事としてその顕彰に尽力する。

軍事史を視点に入れた明治の関西地域の実証的歴史研究など、大阪を

軸においた研究活動で、大阪文化の発展に大きく貢献した。」

 

お会いして驚いたのは、90歳というのにカクシャクとされ、その知識の深さである。

著書に

「明治前期政治史の研究」未来社 1963年2月28日発行
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「お雇い外国人 明治日本の脇役たち」日経新書 昭和40年
「お雇い外国人 政治・法制」鹿島出版会 昭和46年

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「高杉晋作(人物叢書)」(梅渓 昇:吉川弘文館)2002年

「日本近代化の諸相」思文閣出版 1987年


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「洪庵・適塾の研究」思文閣出版 1993年

「お雇い外国人の研究 上、下巻」青史出版 2010年


など多数あるが、「お雇い外国人の研究 上、下巻」青史出版 について

いえば、昨年89歳のときに出版されたのだ。素晴らしい!

 

実際、手紙でのやりとりであったが、先月私のメールアドレスを記名していたところ

メールで、返信いただいた。

90歳の先生からなので驚いた。お話をうかがうとインターネットは、相当前から

使いこなしていらっしゃる。

この好奇心が長生きの秘訣かもしれない。

 

幕末がご専門かと思っていたら

第二次世界大戦のことがらについて、これから書きたいと話された。

特に、真珠湾攻撃前後のことについて、聞いたことのない事実をお話していただき

思わず引き込まれ、あっというまに2時間ちかくの時間がすぎてしまった。

楽しい一時であった。

 
| 芸術 | 07:30 | comments(21) | trackbacks(0) | pookmark |

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