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奈良次仝電堝猯匹糧しい景色
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志賀直哉旧居から、奈良ホテルを散策した後

 
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荒池から興福寺五重塔を望む

夕焼けの空に五重塔 心が洗われるようだ・・・

| 日本を旅する | 07:42 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
覆面パトカーを追い抜きスピード違反で捕まってしまいました。
光前寺」お参りあと、駒ヶ根ICから中津川IC行く中央自動車道。

午前中でまだ空いていた中央道、順調に中津川に向かって走らせていました。

前に2台の車がいましたので追い越し車線をスーと抜き去りました。

そして、前になにも車がいなくなったのでさらに加速すると

突然後ろのくるまの屋根に赤い灯とサイレンが・・・・

前を走る黒のクラウンが覆面パトカーだったのでした。

pato 

イメージ(こんな感じの黒のクラウンでした)

覆面パトカーを追い越してしまったのだ・・・・・


30kmオーバーの切符を切られてしまいました。

厄除けをしたのにと家内に言うと、「事故しなくてよかったじゃない・・

それですんだのだから・・・」と諭されてしまいました。

まあそうかもしれない。もしかすると飛ばしすぎて事故を起せば

死んでいたかもしれないと考えると、厄払いだったのかもしれない。

 

気を取り直し中津川ICに向かう。

どこへ行くのかというと、旧中仙道「馬籠(まごめ)の宿」である。

木曽路も30年ほど前に行った記憶があるのだが、ゆっくり観光をしたわけでないので

初めてと同じで期待したい。

気を取り直して・・・・・

| 日本を旅する | 07:41 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
下町散策・江戸時代の吉原は、どれほどの規模だったのだろうか?
 yoshiwara2

吉原の景観
吉原は、周囲に幅2間(最初は5間)の、俗に「おはぐろどぶ」と呼ばれた堀をめぐらした

方形の土地で、南北が京間135間(約250メートル)、東西が京間180間(約330メートル)、

総坪数2万767坪(6万8千平方メートル余)の広さであった。

出入口は、日本堤に面した大門口(だいもんぐち)ひとつだけで、これは、周囲をとりまく堀と同様、

遊女たちや廓内に潜伏した罪人の逃亡を防ぐためである。


yoshiwara4
 

大門口までには、日本堤を折れて、見返柳(みかえりやなぎ)を見ながら衣紋坂を下り、

五十間道(ごじっけんみち)と呼ばれる道を通ってくる。

大門口から南北に通じる通りが仲の町で、両側には茶屋が並び、突き当たりの

水道尻(すいどうじり)まで続く。

その突き当たりのどぶ沿いの土地を天神河岸、

右側の河岸を西河岸(浄念河岸(じょうねんがし)ともいう)、

左側の河岸を羅生門河岸(らじょうもんがし)と呼び、ここにはいずれも下級の遊女屋が

立ち並んでいた。

| 日本を旅する | 07:22 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
江戸時代の遊郭「吉原とは」?
 

江戸時代、江戸市中で唯一公許であった遊廓が、吉原である。
最初に設立された日本橋人形町付近の『元吉原』、

千束四丁目に移転後の『新吉原』の2箇所があるが、

『元吉原』はわずか四十年しかなかったこと、明暦の大火により資料のほとんどが

焼失したことなどから、『吉原』といえば『新吉原』を指します。

 yoshiwara

一般によく知られている話では、徳川家康が江戸入りして後、

各所に散在していた遊女町を、

庄司甚内(しょうじ・じんない)という人物が幕府に願い出て、

元和三年(1617)に一つの遊女町にまとめ上げたのが『元吉原』だと言われています。

現在は、ソープランド街となってしまっているため歩き回るのはやめました。
| 日本を旅する | 07:10 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
吉原・大門(おおもん)
 吉原大門

江戸時代は、ここに大きな門があり、この先が別世界となっていた。

土手通りをはさんで、天ぷらの「土手の伊勢屋」(明治22年1889年創業)と

「桜鍋の中江」(明治38年1905年創業)の2軒が今も並ぶ。

 oomonoomon1

 

けとばしと言われる桜肉(馬)、そして天ぷら、ともに精の付く食事である。

吉原・大門(おおもん)の前にこの店があるのは、なんとなく納得できる。


2時すぎであったが、まだ客待ちで並んでいた。食べてみたかったのだが

時間がないので今回はあきらめ、大門跡を通り

吉原に入ってみた。

oomon2
現在は、ソープランド街になってしまっているため、歩き回るには問題があり

そうそうに、街から退散した。

大門を出た角に「見返り柳」がある。

ここで遊郭に売られたものと別れをおしんだのだそうだ。

| 日本を旅する | 07:49 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
「鷲神社」と書いておおとり神社と読む。決してワシ神社ではない。


鷲(ワシ)は確かに大きな鳥であるが・・・・・

ootori
今月 5日、17日、29日が酉の市であるため、5日の準備がすでに始まっていた。

はじめてお参りしたが、思ったより小さな社であった。

これでは、酉の市で大混乱するわけだ。


ootori1

<鷲神社と酉の市>
 江戸伝統行事の一つ「酉の市」は、11月の酉の日に熊手を売る市が立つ。

福をかき込む華やかな熊手を求めて境内は、賑わう。

霜月(11月)の酉の日は、順次に一の酉、二の酉、三の酉と称し、

関東地区にある鷲神社の祭日で、「酉の市」がひらかれる。
もとは武運を守護する神として信仰され、武士の参詣が多かったが、

後には開運の神として、特に客商売の人の信仰を集めた。酉の市の賑わいが

吉原遊郭の大繁盛をもたらしたと言われる。

 ootori2
| 日本を旅する | 07:37 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
続いて、北千住まで行きメトロで、元、吉原があった三ノ輪へ

日比谷線三ノ輪駅から地上に出た。

大きな道路(明治通り、日光街道など)が何本か走っている。

どちらに行けばいいのだろうか?

手持ちのいいかげんな地図であてずっぽうに歩き出す。

国際通りを南にくだり樋口一葉記念館にまず、いって見るつもりである。

その後、お酉様で有名な、鷲(おおとり)神社に参るつもりである。

 ozaki

国際通りを上野方向にすこし行くと樋口一葉記念館の案内看板がでている。

平成16年11月に新五千円札の肖像として登場した樋口一葉。

多少身近な存在となってきたが、実際最近では話題に上ることはほとんどない。

記念館は、立派なものであった。


ozaki1 

ちょうど吉原の特別展も開催中だったので中を見せていただいた。

 

樋口一葉の足跡
明治という時代背景のなかで、古い時代の日本女性の悲しみを訴え、

男性社会、階級社会に対して反骨と批判精神を失わず、ひたすらに生き、

文学に情熱を燃やした天才女流作家「樋口一葉。

一葉の5年後に生まれた関西出身の与謝野晶子とはまた違った日本女性が

そこにはあります。

「塵(ちり)の中」(一葉の日記で、竜泉寺町の細民街のことを塵に例えた)から

「たけくらべ」という明治文学界にさん然と輝く逸品が生まれたのだ

この竜泉寺町がこの記念館がある一帯なのだ。

樋口一葉(本名奈津)

明治5年3月25日(太陽暦5月2日)に生まれ、

明治29年に肺結核のため、24年という短い生涯を終えました。

その短い生涯のうちに、「たけくらべ」「にごりえ」「十三夜」といった現代の我々にも

感銘を与える珠玉の作品を遺しています。
ozaki3
こんな風情の家も少なくなった。
 
| 日本を旅する | 07:07 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
東向島が「玉の井」であったころのナゴリを探す
 「玉の井」は昭和20年3月10日の東京大空襲で487軒が全焼,

1200人もの女性が焼け出され失業してしまった。


わずかに残る、面影が感じられる場所を何点か紹介してみよう。

 

tama
雰囲気のあるパン屋さん

 

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衣料店です。ホコリ大丈夫なのだろうか?

 

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子供服のお店(台湾の田舎の店のような風情)

 

tama3
酒屋さん2階がレトロ

 

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こんなアパートが昔あったが、ここでは現役です。

 

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このマーク兇皀譽肇

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| 日本を旅する | 07:31 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
小説「濹東綺譚」(ぼくとうきだん)の、お雪さんが住んでいた家を探しに東向島へ
 濹東綺譚(ぼくとうきだん)」は昭和の文豪永井荷風の作品である。

慶応三田文学の創生メンバーであり慶応教授、アメリカ帰りの粋人として名高い

荷風が描いた下町の雰囲気を味わいたく

11月2日(日)初めて上野より先の東武伊勢崎線の電車に乗った。

 

東向島駅、戦前ここに「玉の井」という花街が存在していたのだ。

 

小説「濹東綺譚」について( 昭和11年ごろの話です)

60歳近い作家・大江と、玉の井の娼婦・雪が出会ったのは、突然振り出した雨の中。

男が広げた傘の中に入ってきたのが雪でした。
nagai
「檀那、そこまで入れてってよ。」といいさま、傘の下に真白な首を突込んだ女がある。

油の匂で結ったばかりと知られる大きな潰島田には長目に切った銀糸をかけている。

わたくしは今方通りがかりに硝子戸を明け放した女髪結の店のあった事を思い出した。

(中略) 

「じゃ、よくって。すぐ、そこ。」と女は傘の柄につかまり、
片手に浴衣の裾を思うさままくり上げた。」
(中略)

雪を傘に入れてあげたまま、大江は「軒並一帯に葦簾(よしず)の日覆をかけた家」に入る。

そこで雪は身支度をし始めます。

「女は何とも答えず、肌ぬぎのまま、鏡台の前に坐り毛筋棒(けすき)で鬢(びん)を上げ、

肩の方から白粉をつけ始める。

 (中略) 衣紋竹に掛けた裾模様の単衣に着かえ、赤い弁慶縞の伊達締を
大きく前で結ぶ様子は、

少し大き過ぎる潰島田(つぶし)の銀糸とつりあって、わたくしの目にはどうやら

明治年間の娼妓のように見えた。

女は衣紋を直しながらわたくしの側に坐り、茶ぶ台の上からバッドを取り、

「縁起だからご祝儀だけつけて下さいね。」と火をつけた一本を差し出す。」

この小説に登場する雪さんの家があったのが、玉の井(今の東向島)なのである。

残念ながら今は、花街の雰囲気はほとんど感じられない。

それどころか、町が元花街というのを拒絶しているかのように感じられる。

もったいない! 日本の文化を大切にするぐらいの気概がこの街にほしい。

当然今は、お雪さんの住んでいた場所は特定できなかった。

| 日本を旅する | 07:37 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
箱根神社H∈温泉に浸かって
 

帰る道すがら、「箱根パレスホテル」に立ち寄り食事とお温泉を堪能する。

 palas

お風呂も内湯と露天風呂のお湯が違い、気持ちいいです。

ここは、ほんとうは教えたくない穴場です。

 palas1

温泉にはいり、スッキリしたところで帰路につきます。

途中、千石原に車を停め歩いてみようかと思ったのですが

観光客が多く、駐車場も混んでいたので運転しながら写真撮影をして

走りぬけてしまいました。

hakone5 

御殿場インターの手前に「鈴廣かまぼこ御殿場店」ができていたので

すこし買い物をして東名高速に乗りました。

家には14時ごろ帰ったので、その後ゆっくり

 hakone9

高速料金がもうすこし安ければ、しょっちゅう箱根に行きたいのですが

往復高速料金だけで5000円は、痛いです。

海外のように高速料金が無料か、とても安いようにしないと経済もよくなりませんよね・・・

| 日本を旅する | 07:02 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

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