スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | | - | - | pookmark |
「お伊勢さんへの道」No4

「お伊勢さんへの道」No4

上社(辻久留1丁目)

「かみのやしろ」と読みます。 北向庚申塚のすぐ近くにあり、

 

kamiyasiro

 

kamiyashi

kamiyashi2

 

kamiyasiro1

このあたりが旧参宮街道のメインロードであったことを示しています。

昔、ここは、外宮の摂社志等美神社・同大河内神社・同本社打かけ神社が

あったのですが、戦国時代荒れ果て、このあたりの住人が地の神(産上神)として

祀って今日に至りました。

宮川堤を守護している神も上社のご祭神です。

川端町の柳の渡しを渡り伊勢神宮に向かう旧参宮街道、ですが、

度会橋が出来てからは、23号が真っすぐ伊勢市駅まで延び外宮に入れるようになり、

人もまばらになってしまいました。

さらに今は2本のトンネルを抜けて外宮へ向かえます。

江戸時代は徳川山を越えて歩いて行ったためこの上社や 北向庚申塚の細い道が

本街道だったと思われます。

| お伊勢さんへの道 | 18:48 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
「お伊勢さんへの道」No3 です

3、北向庚申塚(辻久留)

青石材、伊勢市で130余の庚申塔中、青面金剛像では最古最大のものです。

青面金剛像は普通3面5像が多いのですが、この像は1面2です。

 

kitamuki

 

koushin

 

koushin2

 

道の辻や、寺社や墓地の入り口などによく置かれ、延命長寿にご利益ある

といわれる庚申塚、その中で主流となるのは、「青面金剛刻像塔」 です。
この「青面金剛刻像塔」には、主尊の青面金剛以外に、日月や猿、鶏、

邪鬼、等が配されている。

青面金剛のほうは、本来奇病を流行らす鬼神で、猿の化身ともいわれる。

その容姿については、『陀羅尼集経第九』 に、

「一身四手、左辺の上手は三股叉を把り、下手は棒を把る。右辺の上手は

掌に一輪を託し、下手は羂索を把る。其身は、青色にして大張口、狗牙は上出す。

眼の赤きこと血の如くして三眼あり・・・・・」

とある。要約すると「三眼の憤怒相で四臂、それぞれの手に、

三叉戟(三又になった矛のような法具)、棒、法輪、羂索(綱)を持ち、

足下に二匹の邪鬼を踏まえ、両脇に二童子と四鬼神を伴う」姿で現されるが、

一般には、足元に邪鬼を踏みつけ、六臂(二・四・八臂の場合もある)で

法輪・弓・矢・剣・錫杖・ショケラ(人間)を持つ忿怒相で描かれることが多い。

頭髪の間で蛇がとぐろを巻いていたり、手や足に巻き付いている場合もある。

また、どくろを首や胸に掛けた像も見られる。彩色される時は、その名の通り

青い肌に塗られる。この青は、釈迦の前世に関係している。

 

| お伊勢さんへの道 | 08:33 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
「お伊勢さんへの道」No2 宮川堤

「お伊勢さんへの道」No2です。

 

oise4

宮川堤(中島1丁目)

宮川はその源を大台ケ原に発する延長およそ130キロメートル

にも及ぶ、三重県最大の河川です。

古くは渡会大河、渡会川、豊会川とも呼ばれました。

下流では古来しばしば氾濫を繰り返し、住民はそのたびに洪水の

被害をうけていました。

oise6

 

平安の昔、平清盛の築堤伝承をはじめ、近世徳川幕府からの巨額の援助を

仰ぐなど両岸住民の堤防の修築保全には、たび重なる努力が続けられていました。

寛永10年(1633年)たび重なる宮川の洪水の被害から人々を護るため、

自ら人柱となったのが庄屋・松井孫右衛門です。

その後は宮川堤が決壊したことがないと伝えられています。

宮川橋の辺りは桜の渡しとも呼ばれ、古くから桜の木が多くありました。

 oise5

| お伊勢さんへの道 | 10:45 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
「お伊勢さんへの道」を尋ねる

oise1

河崎の古書店ぽらんさんで店主と話しながら購入した平成6年に発刊

された「お伊勢さんへの道」伊勢文化会議所出版、

本誌は、伊勢路の歴史的文化遺産を5つのコースに分けて

合計85か所をガイドしてくれていた。

伊勢出身であるが、知らない場所が多いので、一度この本に出ている

場所すべてを伊勢滞在中順次訪ねてみようとおもいたった。

25年前の本であるため、出来るだけ探し当てて順次再紹介して

いこうと思う。

 

まず、始まりが「柳の渡しコース」である。

柳の渡し路(川端町)

oise3

 

ここは、「上の渡し」であった。江戸時代宮川には橋がありませんでした。

少し下流に「下の渡し」があり、伊勢神宮に向かう参拝者が

ここ上の渡しで船か人足が客を渡していたのです。

oise2

 

江戸時代この水辺には掛茶屋が軒を並べ賑わっていました。

明治44年度会橋の架橋で渡し船の業務は終了したのです。

この渡し場は、今の度会橋より上流にあったので参拝者はそこから

真っすぐ行くと筋会橋経由で外宮にお参りに向かったのである。

| お伊勢さんへの道 | 10:43 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
三重テレビ開局50周年特別番組「お伊勢参り」
三重テレビ開局50周年特別番組「お伊勢参り」第二話、
「式年遷宮1300年の歴史」。
chigusa
伊勢では、525日(土)夜9時〜 三重テレビ放送でした。
しかしこの日は関東では放送がなくて昨日68日、TVK(テレビ神奈川)で
放映されました。5月伊勢でお会いした千種清美さん脚本、
chigusa2
さらにナビゲーターとして番組に出演されていて勉強になりました。
今月後半伊勢でお会いできそうなので、お伊勢さんについてご高説をうかがいたいと思います
| - | 20:37 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
パリから友人が一時帰国して渋谷で会った。

数十年ぶりにあった千鶴子さんだが、今日初めて知ったのが、

彼女のご主人が日本におけるフランス料理の第一人者と

評されているジャック・ボリー氏であったことだった。

chizu

今日会う前に日本のフランス料理の鉄人坂井宏行氏のご子息で

社長の坂井慎吾さんにお会いしていたところであったので

フランス料理つながりで不思議な感じがした。

jack

ジャック・ボリー氏 Mr JACQUES BORIE
1946年 フランス・ペリゴール生まれ。『グラン・ヴェフール』、

『ホテル・ド・クリヨン』をはじめ、パリの名だたるレストランで

キャリアを重ねた後、1973年来日。

1986年『レストラン ロオジエ』のシェフに就任。

1982年フランス国家最優秀職人章獲得、2002年フランス国家功労勲章シュヴァリエ受章。

長年、資生堂パーラーのエグゼクティブ プロデューサーとして活躍。

| - | 23:39 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

CALENDAR

S M T W T F S
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30      
<< June 2019 >>

SPONSORED LINKS

RECOMMEND

SELECTED ENTRIES

CATEGORIES

ARCHIVES

RECENT COMMENT

RECENT TRACKBACK

MOBILE

qrcode

LINKS

PROFILE

SEARCH