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東京は、今朝雪だった。
自宅のある狛江は、10cmほど積もった。
通勤、早めに家をでたが喜多見駅では、混雑のため
ホームに入場制限され長い列。
さらに、小田急も超満員でくるため乗れるまで何台か待つ。
成城で急行に乗り換えるにも、また、何台か待つ状態で
電車は、1時間遅れ。
いつもなら40分前には机につくところが、少し遅れてしまった。
田園都市線で通っている社員は、出勤できたのが何と11時半。
3時間ほどかかったと嘆いていた。
東京の雪にたいする対策はなっていない。
私も多くの寺社にお参りするため、お守りを幾つか持っていますが、
それでいいのか、と思うこともあります。
いいんです!
日本には、八百万(やおよろず)の神がいらっしゃいます。
お寺の中に神社も併設されているところも多くあります。
神様同士は、争うことはありません。
家には、仏壇があり、神棚があります。
ですから、お守りも、複数もっていても何の問題も無いのです。
また、お守りは、お神札のように1年ごとに新しく受けてもいいし、
願い事がかなうまで身につけていてもいいのです。
今から28年前のこの日、私は札幌への日帰り出張のため
羽田空港のロビーのTVで、当時小渕官房長官が、平成の文字を
手に持ち発表していたことを思い出す。
これ依頼、私の中で総理にもなった小渕さんのイメージが
「平成おじさん」になってしまった。
1989年(昭和64年)1月7日に昭和天皇が崩御して、皇太子明仁親王が
即位した(今上天皇)。
これを受け、元号法にによって翌日1月8日0時の到来ととも自動的に
「平成元年1月8日」と改元がなされた。
新元号の発表時に小渕恵三が述べた「平成」の名前の由来は、
『史記』五帝本紀の「内平外成(内平かに外成る)」、『書経』大禹謨の
「地平天成(地平かに天成る)」からで
「内外、天地とも平和が達成される」という意味。
ただし、現在、世界でも西暦以外で元号をいうのは、日本だけであるようだ。
表記する場合、 年と書かれていると 西暦で書くか、平成で書くか悩む場合がある。
平成何年は、西暦何年か分からなくなる。
近い将来には、西暦で一本化されるのだろうと思うが、昭和生まれ、平成生まれというふうに
世代の違いを表すには、これもまたいいように感じる。
ちなみに、タイでは仏滅紀元を用いています。
お釈迦さまが入滅(亡くなる)した年を元年とすしたのです。
2016年は、タイのカレンダーで 2559年と表示されています。
(西暦に直すには、543年を引けばいい)
日本の神話 日本国の国土創生の時までさかのぼります。
天照大御神は伊弉諾(イザナギ)の神から生まれました。
イザナギ神が亡き妻 伊弉冉(イザナミ)神を慕って黄泉の国に行くも、
結局逃げ帰り、戻ってから川でみそぎをするのですが、
その時に左目を洗ったときに天照大御神、
右目を洗った時に月読尊(つくよみのみこと)、
鼻を洗った時に須左之男命(すさのおのみこと)が生まれたとされます。
この三柱の神を三貴子といいます。
そしてイザナギ神の指示で天照大御神は高天原を治め、
月読尊は夜の世界を治め、
須左之男命は海を治めることになります。
天岩戸伝説
ところが須左之男命は元々荒っぽい神である為、高天原滞在中に
たんぼの畦道は壊すわ、神殿に糞はするわ、乱暴な行ないを続けます。
最初は天照大御神も弟のことだからいろいろとかばっていましたが、
やがて天照大御神の配下の機織娘が須左之男命の乱暴のために
事故死するに至って、とうとう、天岩戸(あまのいわと)に引き篭ってしまいます。
太陽神に隠れられてはたまりません。世の中真っ暗闇になってしまいました。
そこで困った神々は一計を案じ、岩戸の前に八尺勾玉をさげ、
八咫鏡(やたのかがみ)をぶらさげて、
天宇受売神(あめのうずめのかみ)が
その前で踊りを踊りました。
その踊りが余りおかしかった為、居ならぶ神様はどっと吹き出します。
その笑い声を聞いた天照大御神は「いったい何事?」と
少し岩戸を開けて様子を見ようとしました。
すると天宇受売神が「あなた様よりもっと尊い神様がいらっしゃったのです」と
いいます。そして天児屋命と布刀玉命が鏡をそばに寄せますと、そこに映った
自分の姿が輝いて見えます。
どんな神なのかと思い、もう少しよく見ようと岩戸をもう少し開けますと、
そこで控えていた天手力男神(あめのたぢからおのかみ)がグイと
天照大御神の手を引いて岩戸から引出し、布刀玉命(ふとだまのみこと)が
サッとしめ縄を渡して中に戻れないようにしました。
かくして高天原に光が戻ったのです。
天照大御神は「伊勢神宮・内宮」に祀られています。
その時の八咫鏡も天皇家の三種の神器の一つとして、そこに祀られています。
八尺勾玉は皇居に祀られています。
日本国民の総氏神。
一方「外宮」に祀られているのは、豊受大御神(とようけ)。産業や衣食住を
守護する神様。天照大御神に食事をお供えする神様である。
同じ時代に創建されたのではなく、外宮は、数百年後に設けられたのです。
見た目の違い
両宮の御正宮の屋根をご覧ください。
両宮とも檜(ひのき)の素木(しらき)造りで、掘立式、
弥生時代の穀倉が原型の唯一神明造りです。
屋根の上に乗る、丸い鰹木(かつおき)という重し木の本数が違うのです。
内宮は偶数の10本。外宮は奇数の9本なのです。
内宮
外宮
もう1点、屋根を飾る千木(ちぎ)の先端の切口が
内宮は水平(内削ぎ)
外宮は垂直(外削ぎ)なのです
さらに最もわかり易いのが、
内宮は 右側通行 手水舎も右側
外宮は 左側通行 手水舎も左側
こんなことも意識しながらお参りするのも一興でしょう。
⇒内宮⇒御幸道路⇒月讀宮⇒倭姫宮⇒宇治山田駅
まず、「伊勢市駅」で下車します
外宮の参道を約200m程行くと突き当たりがめざす伊勢神宮です。
出来るだけ早い時間に伊勢に着き、お参りすることがおすすめです。
朝食は、外宮参道の 「せきや」の朝かゆがおすすめです。
神の食事をイメージした「朝かゆ」は、木の器で神宮の森をみながらいただけます
1000円とアワビ付きの3200円の2種で、6時半から9時半まで
価格の違いはアワビが付くか付かないかです。
落ち着いたところでいよいよ「外宮」にお参りします。
日除橋を渡ります。外宮は左側通行(内宮は右側通行です)。
左に御手洗場がありますので、清めてください。
右側にある樹齢千年といわれる「清盛楠」もご覧ください。
平清盛がこの木の枝を折ったと伝えられています
いよいよ「御正宮」です。
外宮別宮の「多賀宮」、「風宮」、「土宮」もお参りください。
「多賀宮」は外宮第1の別宮で豊受大御神の荒御魂を祭ります
次に「内宮」に向かいます。
内宮の前に道開きの神「猿田彦神社」にお参りしてください。
「方位除け」「物事を良い方向へ導いてくれる」「物事の始まりの道しるべと
なってくれる」神様として、伊勢でも伊勢神宮にお参りする前に参拝します。
ここから「おはらい町」を通って内宮まで歩きます。途中におかげ横丁と
赤福本店があります。
内宮には「御正宮」と重要な別宮にもお参りしてください。
「荒祭宮」、「風日祈宮」です。
帰り道は、御幸通りを通ってください。
途中に神宮別宮「月讀宮」があります。
さらに進みと、天照大御神の魂を大和から運んだ最初の斎宮
「倭姫宮」(やまとひめ)があります。
また、通りと挟んで、江戸時代伊勢御師のりっぱな門が残されています。
(神宮文庫の看板が付けられています)
帰りは、近鉄宇治山田駅から帰路についてください。
それは「猿田彦神社」です
伊勢神宮とあわせてお参りしたい開運パワースポットなのです。
猿田彦神社の歴史について
日本神話をひもとくと、天神降臨の際に瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を、
高千穂へ道案内したのが猿田彦神で、その後伊勢の五十鈴川・川上に
鎮まります。
その子孫の大田命は、天照大御神をお祀りする地として五十鈴川川上を献上しました。
猿田彦が猿の神様という訳では、まったくありません。
天孫降臨のとき、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を、高千穂へ道案内したのが
猿田彦神でであったので、みちひらきの神様として崇められています。
「方位除け」「物事を良い方向へ導いてくれる」「物事の始まりの道しるべと
なってくれる」神様として、伊勢でも伊勢神宮にお参りする前に参拝することが多いです。
またこの神社境内には、天照が天岩戸に、こもったとき外で踊った天宇受売命
(あめのうずめのみこと)を祀った「佐瑠女神社」もあり
芸能の神様として有名です。