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来年の干支、「伊勢神宮」 申の一刀彫を戴いて参りました

昭和24年から続いている、伊勢神宮、神宮林の楠の一刀彫「干支守り」

来年の干(え)支(と)「申(さる)」を一刀彫です。
 

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神宮干支守は、伊勢一刀彫の職人20人が神宮林のクス材を使って4月から制作。

高さ10・2センチの「特製干支」850体、

同6・9センチの「一般干支」2万4700体を年内に彫り上げます。

 

デザインした愛知県岡崎市の彫刻家、山下清さん(61)は

「風雪を耐え忍び、春の陽光を待つ姿を表現した」と話した。

 

神宮えと守は、12月1日から内宮と外宮の神楽殿や内宮参集殿で授与。

初穂料は特製干支が1万円、一般干支が2500円。
| 故郷「伊勢」 | 07:23 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
大分の女子高生がデザインした伊勢志摩サミットのロゴマークが採用

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来年5月の主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)で使われるロゴマークが

12月28日決定した。

安倍晋三首相が首相官邸で開かれた表彰式で、デザインした高校生らに

表彰状を手渡した。

ロゴマークをデザインしたのは、大分県立鶴崎工業高校3年の

宇津宮志歩(うつみやしほ)さん(18)。

日の丸をイメージした赤い丸を中央にあしらい、サミット参加予定の

7カ国を表す7枚の桜の花びらで囲んだ。

背景の青色は、伊勢志摩の海を表現しているという。

ロゴマークのデザイン案は、7月上旬から9月下旬の募集期間中、

全国の小中高生、特別支援学校の児童生徒から7084作品の応募があった。

クリエーティブディレクターの佐藤可士和(かしわ)さんを座長に、

ファッションデザイナーのドン小西さんら9人の有識者らが6作品を推薦。

最後は首相が採用作品を決定した。

 

安倍晋三首相は同日の表彰式に出席し、

「世界のリーダーたちに、ロゴマークに表現されている志摩の豊かな海を

見てもらいながら、日本と世界の平和と繁栄のために大いに語り合いたい」と

抱負を語った。

 

| 故郷「伊勢」 | 07:29 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
赤坂の山王さん(日枝神社)の「まさる守り」

勤務先の東京赤坂にある「山王さん」。創建は鎌倉時代といわれています。
江戸城の城主であった「江戸重継」が屋敷に勧請したのが始まりとされます。
 

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来年は申(猿)年。
山王さん(日枝神社)の神様のお使いは「猿」といわれ
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神門、拝殿前には、夫婦猿の像があります。
「猿」を音読みすると「えん」「えん」は「縁」に通じることから、夫婦円満、
殖産繁栄の神として信仰を集め、特に女猿が子供を抱いていることから、
安産、子宝に霊験あらたかだといわれています。

お守りをいただいてまいりました。
なんと「まさる守り」神の使い 猿なのです。

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魔 去る(ま猿)⇒ 厄除け

勝 る(ま猿)⇒ 勝ち守り  なのです。

慶応4年(明治元年)6月11日以来、日枝神社の称号を用いる事となりましたが、
古くから「日吉山王社」「日吉山王大権現社」「江戸山王大権現」「麹町山王」
ひろく「山王社」と称され、氏子にとっては「お山」であり、
一般には常に「山王さん」の名で親しまれて来ました。
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【御祭神】 大山咋神(おおやまくひのかみ)
          別名:山末之大主神(やますえのおおぬしのかみ)
【相殿神】 国常立神(くにのとこたちのかみ)
        伊弉冉神(いざなみのかみ)
        足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)
詳しいことは判りませんが、大山咋神の兄弟には大国主命がいて
お祖父さんが須佐之男神(すさのお)であるということです。

| 赤坂 | 07:01 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
今日は、冬至です
12月22日、本日は冬至
暦の上では冬の真ん中、寒さが本番になる頃で
「冬至、冬なか、冬はじめ」とも言われるが、暖冬の今年は暖かです。
赤坂ではが、なんと咲いていました。
sakura 
1年で最も昼が短いが、関東など太平洋側は日差しがたっぷり。
「1年で最も昼が短く、夜が長い日」というのは、ご存知の通りですが、
今年は短い昼でも、広い範囲で日差しが降り注ぎそうです。
北半球では一年で最も「昼が短く」、最も「夜が長く」なる日
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半球では正午の「太陽の高度」が一年で最も低い日
太陽黄経が270度に達する頃
二十四節気のひとつ
柚子湯に入る日
かぼちゃを食べる日
一陽来復(いちようらいふく)の日

 
今日は、家の庭になる柚子をもいで、柚子湯にしましょう。
 
| 日常 | 07:39 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
三重テラスで鈴木三重県知事による「第3回トークライブ」が開催されました
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昨日、12月19日、三重テラスで、鈴木三重県知事コーディネートによる
トークライブが開催され、出席してまいりました、
ゲストは 元陸上400mハードルの為末 大さんでした。、
 
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テーマ:「人生に喜びをもたらす“スポーツ・ライフ”」
 内 容:子供たちに向けて立ち上げた“為末大学ランニング部”、
ブータンでのスポーツ善大使の活動、スポーツによる地域活性等、
為末さんがスポーツを通して行っているプロジェクトやその想いを
語っていただきました。 
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(自宅のパソコンwindow10にアップグレードしましたら、ブログの画像添付が
出来なくなってしまいました。この記事は、外のパソコンでアップしました。
解決方法を研究します)


 
| 故郷「伊勢」 | 16:23 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
女優原節子が出演した映画リスト
ここで原節子の出演した映画を調べてみました
 
『ためらふ勿れ若人よ』(田口哲監督、1935年) 節子
『深夜の太陽』(倉田文人監督、1935年) 君江
『魂を投げろ』(田口哲監督、1935年)女学生(現存する最古の原節子作品とされる。
『緑の地平線』前篇(阿部豊監督、1935年)ゆかり (原節子初のトーキー作品)
『緑の地平線』後篇(阿部豊監督、1935年)ゆかり
『白衣の佳人』(阿部豊 監督、1936年) 由紀子

『河内山宗俊』(山中貞雄監督、1936年)お浪
『嫁入り前の娘達』(吉村廉監督、1936年) 杉浦美枝子
『生命の冠』(内田吐夢監督、1936年) 有村絢子
『丹下左膳 日光の巻』(渡辺邦男監督、1936年) おまつ
『検事とその妹』(渡辺邦男監督、1937年) 明子
『新しき土』(アーノルド・ファンク監督、1937年)大和光子
『東海美女伝』(石田民三監督、1937年) お由利
『母の曲』前編(山本薩夫監督、1937年) 桂子 (原作は吉屋信子)
『母の曲』後編(山本薩夫監督、1937年) 桂子
『巨人伝』(伊丹万作 監督、1938年)千代 (主演は大河内伝次郎、『レ・ミゼラブル』の翻案。)
『田園交響楽』(山本薩夫監督、1938年)雪子 (アンドレ・ジッドの同名作の翻案。)
『将軍の孫』(渡辺邦男監督、1938年) 笹野南枝
『冬の宿』(豊田四郎 監督、1938年) 三宅和子
『美はしき出発』(山本薩夫監督、1939年) 都美子
『忠臣蔵』前後編(滝沢英輔、山本嘉次郎監督、1939年) おてる
『上海陸戦隊』(熊谷久虎監督、1939年)明珠 (義兄熊谷久虎の作品への初出演)
』(山本薩夫 監督、1939年)苑生
『女の教室』前編(学校の巻・七つの俤)(阿部豊監督、1939年) 陳鳳英
『女の教室』前編 中後編 (阿部豊監督、1939年) 陳鳳英
『東京の女性』(伏水修監督、1939年)君塚節子
『光と影』前後編(島津保次郎監督、1940年) 桂佐保子
『東遊記』(大谷俊夫 監督、1940年) 女優 (満州映画協会と東宝映画の提携作品。)
『嫁ぐ日まで』(島津保次郎監督、1940年)生方好子
『蛇姫様』第一編(衣笠貞之助監督、1940年)琴姫
『女の街』(今井正 監督、1940年)いね子
『二人の世界』(島津保次郎監督、1940年)さち子
『姉妹の約束』(山本薩夫監督、1940年) 幸子
『兄の花嫁』(島津保次郎監督、1941年)原田昌子
『大いなる感情』(藤田潤一監督、1941年)高田篤子
『結婚の生態』(今井正監督、1941年)中村春子
『指導物語』(熊谷久虎監督、1941年)瀬木邦子
『希望の青空』(山本嘉次郎監督、1942年)千鶴子
『青春の気流』(伏水修監督、1942年)槙子(脚色は黒澤明)
『若い先生』(佐藤武 監督、1942年)平山富美子
『緑の大地』(島津保次郎監督、1942年)上野初枝
『母の地図』(島津保次郎監督、1942年)岸桐江
『ハワイ・マレー沖海戦』(山本嘉次郎監督、1942年)立花きく子
『阿片戦争』(マキノ正博監督、1943年) 愛蘭
『望楼の決死隊』(今井正監督、1943年)高津由子
『若き日の歓び』(佐藤武監督、1943年)穂積泰子
『決戦の大空へ』(渡辺邦男監督、1943年)村松杉枝
『熱風』(山本薩夫 監督、1943年)平沼久美子
『怒りの海』(今井正 監督、1944年)平賀光子 
『勝利の日まで』(成瀬巳喜男監督、1945年) 
『北の三人』(佐伯清 監督、1945年) 
『緑の故郷』(渡辺邦男監督、1946年) 栗山マキ
『麗人』(渡辺邦男 監督、1946年) 菊小路圭子
『わが青春に悔なし』(黒澤明監督、1946年)八木原幸枝
『かけ出し時代』(佐伯清監督、1947年) 智田美也子
『安城家の舞踏会』(吉村公三郎監督、1947年)
『女だけの夜』(倉田文人監督、1947年) 由利しげ子
『三本指の男』(松田定次監督、1947年)白木静子
『誘惑』(吉村公三郎 監督、1948年)孝子
『時の貞操』前編 (吉村廉監督、1948年)森しづ江 
『時の貞操』後編(吉村廉監督、1948年)森しづ江
『颱風圏の女』(大庭秀雄 監督、1948年)佐藤久里子
『幸福の限界』(木村恵吾監督、1948年)高松由岐子
『殿様ホテル』(倉田文人監督、1949年)長岡アキ
『お嬢さん乾杯』(木下惠介 監督、1949年)池田恭子 (原節子唯一の
木下惠介監督作品。)

『青い山脈』(今井正 監督、1949年)島崎雪子
『続青い山脈』(今井正監督、1949年)島崎雪子
『晩春』(小津安二郎 監督、1949年)紀子 (初の小津安二郎監督作品。)
『白雪先生と子供たち』(吉原廉監督、1950年)雨宮加代子
『女医の診察室』(吉村廉監督、1950年)田島文子
『野生』(沢村勉 監督、1950年)ユキ (沢村勉監督の第一回監督作品。)
『七色の花』(春原政久監督、1950年)柏木照子
『白痴』(黒澤明 監督、1951年)那須妙子
『麦秋』(小津安二郎 監督、1951年)間宮紀子
『めし』(成瀬巳喜男 監督、1951年)妻・三千代 (本作は1951年度の日本映画
文化賞作品賞、世界映画社賞作品賞、毎日日本映画コンクール日本映画賞
(『麦秋』との共同受賞)など多くの賞を得る。)
『風ふたたび』(豊田四郎監督、1952年)久松香菜江
『東京の恋人』(千葉泰樹監督、1952年)ユキ
『恋の風雲児』(山本嘉次郎監督、1953年)雪子
『白魚』(熊谷虎久 監督、1953年)上村幸子
『東京物語』(小津安二郎 監督、1953年)紀子 
(小津安二郎監督の代表作にして原節子の代表作。)
『山の音』(成瀬巳喜男 監督、1954年)尾形菊子 (川端康成原作作品。)
『ノンちゃん雲に乗る』(倉田文人監督、1955年)お母さん
『美しき母』(熊谷虎久監督、1955年)光代
『驟雨』(成瀬巳喜男 監督、1956年)並木文子
『愛情の決算』(佐分利信監督、1956年)勝子
『婚約三羽烏』(杉江敏男監督、1956年)松川女史 (原節子初のカラー作品。)
『女因と共に』(久松静児監督、1956年)杉山保安課長
『兄とその妹』(島津保次郎 監督, 1956年) 妻・あき子
『大番』(千葉泰樹 監督、1957年)森可奈子
『東京暮色』(小津安二郎 監督、1957年)沼田孝子
『智恵子抄』(熊谷久虎監督、1957年)智恵子(高村光太郎の同名詩集を基にした作品。)
『続大番 風雲編』(千葉泰樹監督、1957年)森可奈子
『最後の脱走』(谷口千吉監督、1957年)看護婦・とみ子 (初のワイドスクリーン作品。)
『続々大番 怒涛編』(千葉泰樹監督、1957年)森可奈子
『女であること』(川島雄三監督、1958年)佐山市子
『東京の休日』(山本嘉次郎監督、1958年)ファッション協会理事長
『大番 完結編』(千葉泰樹監督、1958年)森可奈子
『女ごころ』(丸山誠治監督、1959年)伊曽子
『日本誕生』(稲垣浩 監督、1959年)天照大神(アマテラス大神)
『路傍の石』(久松静児監督、1960年)吾一少年の母
『娘・妻・母』(成瀬巳喜男 監督、1960年)曽我早苗
『ふんどし医者』(稲垣浩監督、1960年)蘭方医の妻・いく
『秋日和』(小津安二郎 監督、1960年)三輪秋子
『慕情の人』(丸山誠治監督、1961年)三浦聡子
『小早川家の秋』(小津安二郎監督、1961年)小早川秋子
『娘と私』(堀川弘通 監督、1962年)千鶴子 (獅子文六の自伝の映画化。)
『忠臣蔵 花の巻・雪の巻』(稲垣浩監督、1962年)大石内蔵助の妻りく 
(原節子最後の出演作品。)
映画から引退したとき彼女は、まだ42歳であった。

 
| 映画 | 07:56 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
原節子のデビュー作品「新しい土」について
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DVDを持っているので再度見直した。

1937年の作品である。
もちろんモノクロで、第2次世界大戦前の映画である。
「新しき土」とは満州のことを指している。
 
ドイツ語版のタイトルは「Die Tochter des Samurai」(『侍の娘』)である。
ドイツ映画の巨匠アーノルド・ファンクと日本の伊丹万作の共同監督で制作が
計画されたが、文化的背景の違いから両監督の対立となり、同タイトルで
ファンク版と伊丹版の2本のフィルムが撮影されたのだそうだ。
私が持っているのは、ファンク版である。
 
物語は
ドイツに留学していたエリート青年輝雄(小杉勇)は、
婚約者 光子(原節子)がまちわびる日本に帰国した。
彼は恩人(光子の父=早川雪洲)である旧家の婿養子になる封建的な結婚に
強い反発を覚えていた。

婚約者は彼が帰国する船中で知り合ったドイツ人の女性ジャーナリストと
親しくするのをみて、悲しみのあまり花嫁衣裳を抱いて、活火山の火口へ
投身自殺を図ろうとする。
 
 
着物のままで活火山へ登っていき、火口に投身自殺するというシナリオは
まったく無理があるが、それを撮影してしまうというのが凄い!
 
多分「焼岳」の火口付近の映像なのだろうが、俳優陣の苦労は大変だったと思う。
アーノルド・ファンクがいくら山岳映画の巨匠だとしても、また日本が火山国で
あるとしてもこの自殺の設定は?????
 
| 映画 | 07:38 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
当時、原節子さんの土地を購入したのは、電力中央研究所だった
 

1994年その売却価格は、14億円だったといわれている。

土地の広さは、六百坪と広大であった。

この年の長者番付(100位以内)75位に原節子さんの名前がある。
私が狛江に越してきたのは、1990年なので、この次点ではまだ原節子さんの

土地であった。


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最近までそのままであったが、今は、マンションが2棟建てられている。

電力中央研究所は、東北大震災、福島第1原発事故で大きな被害を出した

東京電力が母体となっているため、東電はこの施設を閉鎖することにしている。

(神奈川にある他の電研施設と統合される)

そのため、現在大手デベロッパーによるマンション建設が進んでおり、10月に

137邸の大きなマンション(三菱地所レジデンス)が建てられすでに売り出されている。

(ここは、以前電力中央研究所のテニスコートがあった場所である。それだけで

これほど大きなマンションが建てられるのである)

話が、それてしまいました。

明日、原節子さんの最初の出演作品「新しい土」について書きます。

| 映画 | 07:35 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |

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