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赤いというより、真っ赤
今回初めて3月に訪れたタイの古都「チェンマイ」
1月と8月には、訪ねたことがあるが、3月は初めてであった。季節的には最も
いい時期、12,1,2,3月と乾季であり、4月からの夏の前シーズンなのだ。
しかし、驚いたことに街が曇って感じる。8月にはっきり観えたドイステープの山が
まったく見えない。
そして、太陽が昇るとき沈むとき「真っ赤」なのである。
月まで赤いのだ!!
お住まいの方に聞いたらこれは、北部の野焼きの煙の影響なのだそうである。
12月ごろから数ヶ月この街には、まったく雨が降らない。
よくそれで木々が育つものだと不思議でもある。
焼畑の野焼きの煙が、盆地であるチェンマイに留まることで、スッキリしないのだ。
夏前に雨が降れば一気にきれいになるのだそうである。
赤い太陽もいい経験であった。
木々が雨無しでも枯れないのにも理由があった。
それは、昼と朝の温度差である。
昼 30度であるが、朝方 12度ぐらいに下がる。それにより朝芝生が水を
かけたようになる。
湿気が木々を潤すのである。うまく出来ている。
そもそものタイ族による国家は「スコータイ王朝」が始まりです。
スコータイ王朝(1238-1438年)
クメール王朝の支配が弱まってきた13世紀初頭、その配下にあったタイ人土侯が
クメール人勢力を駆遂し、現在のスコータイとシーサッチャナライ両都市を中心とした
地域に「幸福の夜明け」(スコータイ)と名づけた王朝を築きました。
これがタイ族による国家のはじまりです。
当初スコータイ王朝は、同時期に同族の土侯によって現在のチェンマイを中心に
建設されたランナー王朝と同盟を結んでいましたが、第3代ラームカムヘーン王
(在位1279–1298)は陶器の生産や森林物産などを背景とした諸外国との貿易で
経済力を高め、やがてランナー王朝など周辺国家をその支配下におきます。
ランナータイ王朝(1296-1558年)
スコータイ王朝と平行して北部の方では、メンライ王によりランナータイ王朝が
建国される。チェンマイを都に置き、メコン河中域の小国家だったヴィエンチャンを
支配下に置くなど勢力を広げたが、1558年にはビルマ(ミャンマー)の属国となった。
アユタヤ王朝(1351-1767年)
1351年、ウー・トン候はアユタヤに都を移し、自らをラーマティボディ1世と名乗り、
アユタヤ王国を築いた。以降、歴代34人の王による統治が400年続く一大王朝と
なった。
しかし、その歴史は平坦なものではなく、初期はクメールやチェンマイ、
16世紀中頃からはビルマ(ミャンマー)に侵攻されるなど、戦いの連続。
一時はビルマの属領となったアユタヤだが、17世紀初頭には再び政権を取り戻した。
また、アユタヤは中国、インド、西欧の国々、日本などと交易をおこない、
国際商業都市として栄えた。
このころ傭兵として日本の武士「山田長政」が、親衛隊隊長として信頼を得ていた。
1765年、再びビルマに侵攻され、2年間の戦いの後、1767年4月7日の総攻撃で
一夜にして陥落。これにより仏典、寺院、仏像などがすべて破壊されてしまった
しかし、王室儀礼や宮廷文化、官僚制度をはじめとする政治体制、さらに諸外国との
交易を重視する政策などは、ラッタナコーシン(バンコク)王朝に引き継がれていきます。
一般的にタイの人々は、自宅で料理を作らず外食が多い。
アパートでも台所が付いていない物件が多い。
それもあり、ナイトバザールいつも人でいっぱいである。
日本の料理も何故かチェンライにも溶け込んでいる。
たとえば「寿司」「天ぷら」「たこ焼き」である。
不思議なのは、おいしそうな料理の横に、虫の揚げたものが並んでいることだ
今回のサイクロンは 918ヘクトパスカル、風速70mの超大型の台風だった.
バヌアツ諸島はフィジーに近もく、フィジーも影響を受けたと思われる。
現在私はタイに来ているが、フィジーで1か月英語の留学をする計画もあった。
もし、今フィジーに行っていたら大変な目にあっていたかもしれない。
実際、南洋真珠の養殖をやっている知人がサイクロンの被害を受けたことも
聞いている。
ただし、サイクロンが発生したのが何月だったのかあまり意識していなかった。
今の時期がサイクロンのシーズンであるならこの時期は避けたほうが
いいのかもしれない。
バヌアツでは死者もでているようである。こころからご冥福をお祈りするとともに
インターネットを通じ皆様よりの援助をお願いしたい。
チェンライのホテルでエレファント・キャンプがどこにあるかと聞いたら、非常におおまかな
地図を書いてくれた。
それほど遠くないと言うので、一人でオートバイを走らせた。
途中に薄靄の中に大仏が浮かび上がった。
なんだろうか?
さらに30分ほど走ると山道になった。
この道で合っているか心配で村の人に聞いてみたらOKとのこと
安心してさらに車を進めた。
カレン族の村が山の下に見えてきた。その先に象使いの村があった。
30分象に乗れるといわれたので乗ってみた。1人で乗ると割高 400バーツ
だったが、いい経験になった。
川を象に乗って歩いていくのだ。結構揺れる。乗り心地悪い。
しかし、位置が高いので景色がまったく違う。
250ヤードの打ちっぱなし練習場。
120個のボールが、100B(378円)でした。
とにかく球筋が最後まで確認出来るのがいいですね。
東京でこのような練習をすると 1500円ぐらいかかります。
この練習場を教えてくださったのは、サンティブリ・ゴルフコースで
一緒の組で回ったA氏でした。
Aさんも、リタイアしてから数年、タイのプーケットに暮らしておられて
最近チェンライにみえたのだそうです。
プーケットより格段に暮らしやすいと話されておりました。
実際生活した先輩が言うのだから間違いないでしょう。
ナカとは、タイ語で「龍 ドラゴン」なのだそうだ
プールの壁に龍のスタテューがある。
なかなかいいホテルであった。
というのも、もう次のホテルに移っているからである。
私の旅は、AGODAというインターネットを通じたホテル手配を
使っているため、日本であらかじめ申込みを行うと変更が難しい。
現在宿泊しているのは、チェンライで最も格式が高い(しかし古い)
「WIANG INN HOTEL」である。
どうも私には「ナック・ナカラホテル」の方が合っている。
チェックアウトするとき、日本のご夫婦にお会いした。
テニスラケットを持って出かけられるところだったので、その場所を
伺うとぜひ一緒に参加したらとお誘いを受けた。
ホテルを変わってからなのだが、翌朝ごいっしょさせていただいた。
メンバーは、タイの方、英国人、スイス人、アメリカ人、日本人と国際色に
あふれている。
コートは、川縁にある公営の6面ほどのハードコート。
なんと使用料は、無料で使わせていただけるのだそうだ。
ご夫婦は、ナック・ナカラホテルに2か月滞在されているそうで、
ロングステイの大先輩であるのでいろいろ教えていただけそうである。
前回チェンライを訪れたときお世話になった「カフェ・ブルース」の経営者
青木さんにご紹介いただき、チェンライのゴルフ・チェンピオンコース
「SANTIBURI GOLF Course」でさっそく回ることができました。
国際試合も開催される素晴らしいコースでした。
20数年ぶりの私にはもったいないコースでした。
やはり大たたき。 123も叩いてしまいました。
チェンライで、練習場もあるそうですので、少し練習して
チェンマイでのゴルフに備えます。
平日フィーは、なんと1050B(3900円)でした。
日本では考えられない条件ですね。
久しぶりにブログを書きます。
なかなか精神的に集中できなくて、書けませんでした。
実を言いますと、3月4日現在、タイの北部、チェンライに来ております。
チェンマイよりさらに北部。ミャンマー、ラオスに近い街です。
チェンライ県はタイ国最北端の県です。県内の平均高度は580m。
県西部はおよび東部は山岳地帯で、中心部はその中間に位置し、
県は北にミャンマー、東にラオスとの国境を有する。
中でも特にメコン川(ラオスとの国境)とサーイ川(ミャンマーとの国境)の
接するポイント一帯を「黄金の三角地帯」通称ゴールデントライアングルと言う。
昔はアヘン地区で恐ろしい地であった。
今はのんびりした田舎都市である。
宿泊したホテルは、バリ風の雰囲気である。
龍をモチーフにしたプールでの写真