一定期間更新がないため広告を表示しています
偶然自宅近くのレストランで前自民党総裁の谷垣氏とお会いして自転車の話をしたが
新総裁となった安部晋三氏が総裁選の時食べた「3500円のカツカレー」のお店が
勤め先のすぐ近くにあるホテルニューオータニで出されたことが分かった。
安倍総裁が食べた「3,500円のカツカレー」は、同ホテルの宴会プランに含まれる
メニューのため、実際は値段が明らかにされておらず、一般客が食べることもできない。
そのためホテル内のカフェレストラン「SATSUKI」が提供する、
税・サービス込みで3,520円という「ポークカツカレー(フィレ)」が、
最も安倍総裁が食べたカツカレーに近いとされ、連日多くの客が注文する
人気メニューとなっているのだそうだ。
「SATSUKI」には何度か行っているが、コーヒーとか軽食しかたべたことがない。
また、ランチに3500円は、贅沢すぎるので、なにかの機会に夕食で食べてみようと
思っている。
金との対比でプラチナ、パラジウムの大まかな特徴をつかんでおこう。
まずはそのマーケット規模。
単純に生産量で考えると、金の年間の生産量が2570トン、
一方PGMはプラチナ190トン、パラジウム200トンと金のほぼ1/10以下の規模である。
もちろん、生産量の違いがそのまま価格に反映されるわけではないが。
まず最初に注目したいのは、金とその他のメタルの需要構造の違いである。
その加工用の需要をみたときに、金とその他のメタルでは全く対照的なのである。
金は宝飾の需要が80%、工業用の需要は20%であるのに対して、
プラチナ、パラジウムはおおよそ宝飾需要が20%、工業用需要が80%を占める。
宝飾というものは本来なくても構わないものである。つまり価格が高騰すれば、
買うことをやめる人間が多い。
一方工業用需要はそれが無いと、最終商品が生産できない場合が多く、
価格に関わらず銀、プラチナ、パラジウムが必要なのである。
自動車には排気ガスから毒性成分を取り除くために触媒が使われている。
今世界中で排ガス触媒なしでは自動車の販売そのものができないのである。
ガソリン車にはパラジウムが、ディーゼル車にはプラチナが触媒として
主に使われている。
自動車メーカーは自動車を生産する限りこれら白金属のメタルが必要なのである。
近年、自動車の生産量の落ち込みと、ハイブリット化により、プラチナ、パラジウムの
消費が減ってきた。それにより価格が金より安くなっている。
日本でも国際パラジウム協会が設立された。
日本代表の森仁志氏とは、以前ミキモトにいらした頃、真珠の入札会でオーストラリアや
タヒチで何度もお会いしている。
宝飾業界として、金に代わる素材として、パラジウムに注目すべきだろう。
本日は、満月、「十五夜お月さま」だ。
最近の若い女性に、十五夜、十三夜といったら「何のこと?」と言われました。
「十三夜」? なにか怖い話?とさえ。
「十五夜」も知らないのだ。
さらに、「お月見」って何?といわれてしまった・・・・・・
私の子供の頃「十五夜お月さん」という野口雨情作詞の歌があった。
私は「雨降りお月様 雲の上」の曲と混同していまうのだが・・・・
まず、月の形から説明しなければわからないのだろうか・・・
十五夜の月をめでる
日本では、古くから秋の名月を鑑賞する「お月見」の風習がある。
お月見というと旧暦八月十五日の十五夜がもっとも有名であるが、
日本では古来もうひとつ旧暦九月十三日の十三夜もまた美しい月であると
重んじられていた。
中秋の名月(十五夜)はもともと中国で行われていた行事が日本に
伝来したものだが、この十三夜の月見は日本独特の風習だそうで、
一説には宇多法皇が九月十三夜の月を愛で「無双」と賞したことが始まりとも、
醍醐天皇の時代(延喜十九年:西暦919年)に開かれた観月の宴が
風習化したものとも言われています。
一般に十五夜に月見をしたら、必ず十三夜にも月見をするものともされていた。
これは十五夜だけでは、「片月見」といって嫌われていたからです。
旧暦8月15日は十五夜。この日の月は「中秋の名月」として知られており、
お月見をするのがならわしとなっている。
今年の「中秋の名月」は9月30日であった。
月は新月から満月まで約15日の周期であり、満月の時は月の引力の関係で
大潮となる。
先日の「深大寺十三夜」、何故 9月28日に行わず、10月27日の十三夜に
行われたのだろうか?
まず、パラジウムとは?
パラジウムは原子番号46の白金族元素で、元素記号は Pd。
希少金属の1つでもあり、貴金属にも分類されています。
水素を取り込む能力に優れており、自己の体積の935倍もの水素を吸蔵することが
出来るため、水素化の触媒や水素精製に使用されています。
また、白金系金属の中では、融点が1554度と最も低いことから加工性に優れ、
さらに他金属との合金も容易であり、自動車用触媒、電子・電気材料用の他、
宝飾用合金、歯科用やジュエリーなどに幅広く利用されています。
そういえば、金歯にパラジウムですと言われた記憶がある。
パラジウムは、1803年にイギリス人ウォラストンによって発見されました。
前年の1802年ドイツ人天文学者オルバースの小惑星パラス(Pallas)発見を
記念してパラジウムと命名されたのだそうです。
見た目はプラチナに酷似しており金属の性質もプラチナと殆ど変わりません!
プラチナと違う点は、比重(重さ)です
比重:パラジウム12.02 プラチナ21.45 金19.32
重さはプラチナの約半分なのです。
このメリットは同じ貴金属の重さでフリの大きなものが作れるということなのです。
岡山県知事選は10月28日投開票され、前天満屋社長の伊原木隆太氏(46)が、
前民主党県議の一井暁子氏(42)ら新顔3人を破り初当選した。
投票率は38.64%(前回43.78%)だった。
4期目の石井正弘知事が今期限りでの退任を表明。16年ぶりの新顔対決となった。
岡山県では戦後初めての民間出身知事となる。
伊原木氏は地元百貨店天満屋での14年間の経営経験をアピールし、県庁職員の
意識改革や産業の振興などを訴えた。
連合岡山などの推薦も受けて支持を広げた。
流通業界出身の46歳の若い知事の登場は、岡山県を活性化するであろう。
おおいに期待します!!
一昨日の「十三夜」で訪ねた関東では、浅草寺に次ぐ古刹 深大寺。
多くのお蕎麦屋さんが参道にある
境内内に「そば守観音」もあるのだ。
山門の前に「嶋田屋」さんがあるが、このお店が最も古いお店のようだ。
深大寺のお蕎麦の歴史をたどると
江戸時代近在の農家から深大寺に寄進されたそば粉を参拝した人に
供したのが始まりといわれ、三代将軍徳川家光が鷹狩の途中立ち寄った際、
寺僧が打つそばの味を激賞し、以後、現在の新宿御苑から毎年献上したのが
始まりともいわれます
三代将軍家光の時代の献上そばであったものが、八代将軍吉宗は幕府財政
立て直しの「享保の改革」中で、そばは、やせた土地でも栽培が可能なことから、
深大寺村(今の調布市)の農家に督励されました。
深大寺そば、ごく一部の上層階級のみのものでしたが、やがて江戸時代後期の
文化文政年間(1804年〜30年)に、江戸文化人の一人太田蜀山人が、
幕府の役人として多摩川を巡視した折に、深大寺に止宿して深大寺そばを
広く世に宣伝してからは、江戸の人士とりわけ武蔵野を散策する文人墨客
(詩文・書画などの道にたずさわる人)に愛され、それが深大寺そばの名を
子午儀資料館(レプソルド子午儀室)
重要文化財(美術品:子午儀)、登録有形文化財(建造物)
レプソルド子午儀によって観測が行われていた建物で、1925年に建てられました。
格納されているレプソルド子午儀(大子午儀)は、1880年ドイツ製で、
天文台が麻布にあった頃は、時刻の決定と経度測量に使用されました。
このころは、「東京天文台」と呼ばれていました。
子午儀があった地点は天文経度の原点の1つとなっています。
天文台が三鷹へ移ってからは、子午儀はこの子午儀室に据え付けられ、
月、惑星、主要な小惑星の赤経の決定に使用されました。
1937年以降は主に恒星の赤経観測に使用され、1949年に日本で初めての
本格的観測星表である「三鷹黄道帯星表」が出版されました。
1962年には「三鷹赤道帯星表」も出版されましたが、赤道星の観測終了とともに
格納されてその活動を終えました。
レプソルド子午儀は、2011年7月に国の重要指定文化財に指定されました。
ゴーチェ子午環
子午環は、子午線上の天体の位置(赤経と赤緯)を精密に観測できるように
工夫された望遠鏡です。そのため、子午線面内(南北方向)でのみ正確に
回転する仕組みになっています。
ゴーチェ子午環は、1903年のフランス製で、1904年に当時の価格約2万円で
購入されました。当時天文台のあった麻布でしばらく試験的に使用されましたが、
長期にわたって眼視による月・惑星・恒星の位置観測を行っていましたが、
1982年に自動光電子午環が建設され、第一線を退きました。
しかし1992年より10年間程、再び最新のCCDマイクロメータを装備してクェーサーを
はじめとする微光天体の精密位置観測に活用されました。
観測室の建物は、1924年に建設されました。半円形のドームに入口の台形の屋根
という異質な形を組み合わせることで、デザイン的な美しさをねらっています。
どちらの建物も戦前を感じさせる建造物である。
深大寺で昨日、「第十四回 深大寺十三夜」が開催された。
関東で一番古い建物でもある山門前を舞台に、夜空の下で、
天台声明や講話、能楽が行われた。
旧暦の8月15日と9月13日は十五夜と十三夜として古来から
お月見が行なわれてきました。
深大寺山門を舞台に薩摩琵琶、能管。深大寺僧侶による天台声明を
厳かな雰囲気の中で聴くとまた格別な感じでした。
夜が更ける 6時から始まりました。
【天台声明】
例時作法 張堂住職 他院内総出仕
(次第)
三礼 甲念仏
七仏通戒偈 合殺
黄昏偈 廻向
四奉請 後唄
阿弥陀経 回向伽陀
般若心経読誦
【月の講話】
志賀 勝さん
(月と太陽の歴製作室代表・お月様先生)
【蝉丸】
今昔物語 巻二四 第二三より
(源博雅の朝臣、会坂の盲の許に行きたる語)
語り 坪井 美香さん
謡 山中 迓晶さん
楽琵琶 岩佐 鶴丈さん
能管 松田 弘之さん
この日の「十三夜」の月である
登録有形文化財(建造物)
大赤道儀室(天文台歴史館)は、東京帝国大学営繕課が設計、中村與資平が施工し、
1926年(大正15年)に完成しました。構造は鉄筋コンクリート造2階建てです。
焦点距離10mに及ぶ屈折望遠鏡をすっぽり納めた木製ドーム部分は、
造船所の技師の支援を得て造られた大変めずらしい建築になっています。
観測床(2階内側の赤茶色の床面)はエレベータ式に上下し、観測者は鏡筒の
傾きにあわせて観測床を上下させることで、望遠鏡がどんな向きになっていても
楽な姿勢で望遠鏡をのぞくことができました。
大赤道儀室にある65cm屈折望遠鏡は、ドイツのツァイス製で屈折型の望遠鏡
としては日本最大口径を誇ります。1929年に完成後、1960年に岡山天体物理
観測所188cm反射望遠鏡が作られるまでは、最大口径機としてさまざまな観測に
用いられました。特に長焦点の(筒の長い)望遠鏡を得意とする星の位置測定を
主に行ってきました。
1998年3月をもって研究観測から引退し、現在では日本の天文学の記念碑的存在
として静態保存されているものの、故障個所があるわけではなく、
今でも現役復帰可能な状態です。
ここに、渋川春海(安井算哲)の資料が展示されていました。
ガリレオの望遠鏡(レプリカ)
森の道を奥に進む。
太陽塔望遠鏡(アインシュタイン塔)が現れた。
現在は使われていないので中に入ることは出来ないが、存在感がある塔だ。
太陽塔望遠鏡(アインシュタイン塔)
登録有形文化財(建造物)
太陽塔望遠鏡は、東京帝国大学営繕課が設計、中村工務所が施工し、
1930年(昭和5年)に完成しました。
構造は鉄筋コンクリート造、地上5階、地下1階建てです。
高さ約20mの天辺のドームから入った光は、直径60cmシーロスタット
(平面鏡2枚)に反射して垂直に取り込まれ、北側に続く半地下の大暗室で
七色のスペクトルに分けられる構造になっています。
塔全体が望遠鏡の筒の役割を果たしていることから「塔望遠鏡」と呼ばれています
建物の外観は直線的な四角で構成されていますが、入口や庇や屋上の
バルコニーに曲線を採り入れたところに設計者の感性が感じられます。
また、外壁の茶色のスクラッチタイルは焼きむらによる色の違いを巧みに
組み合わせて貼っています。
建物の形態が、ベルリン市郊外にあった
ポツダム天体物理観測所(アインシュタイン塔)と同じ研究目的で造られた
ことから「アインシュタイン塔」とも呼ばれています。
この建物は、1998年7月に国の登録有形文化財に指定されました。
ちょうど昨日10月26日と本日27日、国立天文台キャンパス内の観測施設や
研究棟の一部を公開して最新天文学と研究成果を紹介するイベント
「三鷹地区特別公開『三鷹・星と宇宙の日2012』」が行われています。
実験施設や観測装置を公開したり、天文学者が直接質問に答えたりして、
天文ファンにとって最先端の研究現場に触れる貴重な機会となる。
スタンプラリー、ゲーム、クイズ、工作コーナーなど、子どもが楽しみながら
星や宇宙に親しむイベントも用意。口径50センチ公開望遠鏡による星や月の
観望、協力メーカー・販売店・団体による機材展示と物品販売や天体観望会が
行われる。
本日27日は、隣接する「三鷹市 星と森と絵本の家」で
「星と森と絵本の家 秋まつり2012」も開催されています。
明日日曜は天気が悪そうですから、本日「国立天文台」に行かれることを
おすすめいたします。