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4日目、「フェスティナ」
サッカーワールドカップで優勝したスペインに本社を置く時計メーカー
世界一の自転車レース「ツール・ド・フランス」の公式タイムキーパーを
務める会社で、スポーツウオッチの名門である。
この時計は、「2007年ツール・ド・フランス記念限定モデル」である
休日は、自転車で郊外を走っているのでツール・ド・フランスをイメージして
今日は、この時計をつけることにした。
少しゴツすぎる気もするが・・・・・
ステンレスブレスレットやリューズガードは自転車のチェーンを思い起こさせ、
ベゼルのカーボンファイバーはロードレーサーのホイールを表し、
更に6角形のスクリューは・・・と細かな部分までが自転車とリンクした出来栄え
となっています。
このモデルの最高傑作といえる機能は、プロの競技者が使用する
ストップウオッチに採用されている1/100秒計測できるクロノグラフが
採用されていることです。
フェスティナ・グループは25年前に企業家のミゲル・ロドリゲスによって
創立されました。グループの本拠地はスペインのバルセロナにあり、
スイス、フランス、ドイツ、イタリア、ベルギー、チェコ共和国、ポーランド、
米国、チリに子会社が設けられています。
グループは、以下のブランドを擁しています。
FESTINA/フェスティナ, LOTUS/ロータス, JAGUAR/ジャガー,
CANDINO/カンディノ及びCALYPSO/カリプソ
世界中で2000人の従業員を擁し、世界中65カ国で年間400万個以上の
時計販売を達成。
自転車競技の世界最高峰ツール・ド・フランスのオフィシャル・タイムキーパーを
つとめています。
小林麻央(28)さんが7月29日、東京・港区のザ・プリンス パークタワー東京で
挙式・披露宴を行った。
披露宴では、俳優仲間の手荒い祝福にタジタジの海老蔵だったが最後に
“サプライズ”を用意。
ベトナムで自らが掘り当てたルビーを使ったネックレスを麻央にプレゼントした。
予期せぬ演出に麻央は思わず涙をポロリ。
1000人の招待客からは温かい拍手が送られた。
今年は、「ルビーの指輪」ならず「ルビーのネックレス」が流行るのかな・・・・
7月の誕生石「ルビー」
情熱を表すルビーは、好きになった人に積極的になれるという効果があります。
あなたの気持ちが真っ赤に燃え上がるでしょう。
ルビーは活力を与え、深い集中力を養い、人の美しさをいっそう際立たせる
パワーを持っています。
ベトナムでルビーが産出始めたのは遅く、1983年からである。
最も品質のいいルビーが産するのは、ミャンマーで、ピジョンブラッド(鳩の血色)が
最高のカラーである。
ベトナムはまだ残念ながら最高品質のものは産出していないが、海老蔵さん自ら
採掘した宝石をプレゼントするということに意義がある。
勤めている会社が以前輸入総代理店であった「ボーム・メルシー」である。
(現在のリシュモンは「ボーム&メルシェ」と表示)
当時のベステセラー 「リビエラ」のムーンフェイズ。
この時計は、18金とSSのコンビ。
機械式ではなくクオーツである。
BAUME&MERCIER ボーム&メルシェ(リシュモン・グループになってこの表示)
1830年、スイスのラ・ショード・フォンでボーム兄弟社として創業されました。
エナメルの細密手法で肖像画、宗教画、風景、花などをケースにあしらった
懐中時計は、貴族間で富と権力の象徴として好まれ、19世紀後半には
ユニバーサル・エキシビション(国際見本市)に出展した作品で金賞を6個も受賞するなど、
多くの栄誉と名声を獲得。
その後、ボーム家の子孫ウイリアム・ボームと芸術を愛するポール・メルシエの
出会いにより、ボーム&メルシェ社と社名を変更し、1920年に新たなスタートが
切られました。
ボーム&メルシェ、ファブリケーション・ジュネーブの商号を登録するとともに、
高品質時計の証として名高いジュネーブ刻印を次々と獲得。
現在では、調和と純粋を意味するギリシャ文字のファイ(Φ)のブランドシンボル
ととともに、価値ある高級時計として世界で多くの人々に愛されています。
長崎市歴史民俗資料館は7月27日、坂本龍馬が海援隊で運用した
西洋式蒸気船「いろは丸」を描いたとみられる絵画を確認したと発表した。
同船と推定される絵が見つかったのは初めて。
同資料館が現在展示している、
江戸末期の長崎港の艦船を記録した「白帆注進外国船出入注進」
(財団法人鍋島報效会所蔵)の中で、確認した。
資料では「いろは丸」と明記されていないが、赤地に白の蛇の目の家紋が
所有者だった大洲藩(現愛媛県大洲市)のものであることや、資料に残された
沈没した「いろは丸」とは?
慶応3年4月23日(1867年5月26日)23時頃、海援隊の武器などを積載した
「いろは丸」と紀州藩の軍艦・「明光丸」が現在の広島県福山市鞆の浦沖の
六島付近で衝突した。
いろは丸は大破し自力航行不能となって、鞆港へ曳航される途中に宇治島沖で
沈没した。搭乗していた龍馬と海援隊は鞆の浦に上陸し、龍馬は廻船問屋の
升屋清右衛門宅で数日間身を潜めた。
なお龍馬らは武器3万5630両や金塊など4万7896両198文を積んでいた
と主張し、明光丸の航海日誌や談判記録を差し押さえ事件の原因を追及、
紀州藩側は幕府の判断に任せるとしたものの龍馬は万国公法を持ち出し
紀州藩側の過失を追求、さらには民衆を煽り紀州藩を批判する流行歌を
流行らせ、
事故から1ヶ月後に紀州藩が折れ8万3526両198文を弁償したとされている。
これは、坂本龍馬一流のふっかけで事故の補償金で稼いだのだ。
2日目、「ペキネ」の自動巻きクロノグラフである。
ムーブメントは定評あるETA9894−2 ベースの
裏スケルトンである。
自動巻きとクロノグラフの美しいムーブメントの動きが
サファイアガラスを通して見ることができる。
夏場汗をかくのでこのステンレスのブレスレットは、
水洗いできて便利である。
気に入っている時計であるが、1点文句がある
それは、カレンダーが12時位置にあることだ。
クロノグラフなので、ゼロストップの針が常に12時位置にあるため
カレンダーを隠すことだ。
何故3時など、ずらしてカレンダー表示をしなかったのか疑問だ????
PEQUIGNET(ペキネ)
1973年、オーナー兼デザイナーであるエミール・ぺキネによりフランスで
設立されたペキネ社。
「フレンチ・デザイン&スイス・クオリティ」を合言葉に、今でも製品はすべて
ハンドフィニッシュというブランドコンセプトを守りつづけている。
他に類をみない独創的かつ斬新なデザインは、時計としてだけでなく
ファッションの一部として、おしゃれにこだわりを持つ男女から好評を博している。
ペキネ氏の愛馬の名を冠した「モーリア」シリーズや、ベルトを手軽に替えることで
何通りにも楽しめる「カメレオーネ」などが代表的なシリーズとして知られ、
ビジネスからオフタイムまで、オールマイティに装えるファッションウオッチとして
親しまれている。
時計について、ここのところ触れていなかったので
久しぶりに時計について。
本日より、自分の腕にする時計を毎日替えてみようと思いたった。
普段使いの夏向け、スポーティ・モデルから始めてみる。
まず、1日目
スウォッチ・グループの総帥ニコラス・ハイエック氏が先月6月28日に亡くなった
ことを書きましたが、ハイエック氏を レスペクトして、まず「オメガ」を紹介します。
普段ハイエック氏は自分の腕に、常に3本づつ合計6本の腕時計をしていました。
その内の1本でハイエック氏の左腕の一番手首に近いところにつけていた「オメガ」
チタンと18金のコンビケース
私の持つモデルは、珍しい シーマスター GMT(ディアルタイム)である。
久しぶりに薄い小ぶりの時計を付けるが、仕事するうえには
これぐらいがジャマにならないサイズで調度いいかもしれない。
このモデルはニュースステーションをやっていた頃の久米宏さんがつけていた。
OMEGA(オメガ)
オメガの歴史は、1848年に時計師ルイ・ブランが、スイスのラ・ショー・ド・フォンに
設立した時計工房に始まる。
世界市場を視野に入れた展開を見据えて事業を拡大し、1880年にビエンヌに
本社を移転することでマニュファクチュールとしての基盤を整え、1889年には
スイス最大規模の時計メーカーに成長。
その頃「究極」を意味するギリシャ文字の最後の文字「Ω(オメガ)」を社名に採用。
2度の世界大戦、オリンピック、アメリカ航空宇宙局(NASA)とのプロジェクトなどを
通してオメガが開発する時計の精度はより高度なものへと磨かれていった。
「オメガ・スピード・マスター」は、アポロ11号による人類初の月面着陸に遂行された
時計として、歴史にその名を刻んでいる。
水を生かしたアルハンブラ宮殿では、タレガが作曲した
「アルハンブラ宮殿の想い出」のギターの調べが耳に
聴こえてくるようでした・
「アルハンブラ宮殿の想い出」は
タレガが夕暮れのアルハンブラ宮殿を訪れた際、
その光景に感動して作曲したといわれます。
ギターによるトレモロが印象的なこの曲
水の清らかな流れを村治さんのすてきなギターテクニックで
表現してくれています。
写真を撮り、スペインのアルハンブラ宮殿より写メールを送っててくれました。
便利になったものですネ。
前に私もアルハンブラ宮殿を訪れたこともあり、つい懐かしくなりました。
スペイン・アンダルシア地方の「グラナダ」
今月NHKでも「世界街歩き」で特集されていましたが、GRANADAは
アラビア語で「石榴(ざくろ)の実」を意味しており、ローマ帝国時代に
城塞都市として誕生した古代都市であり、街のいたるところに、
ざくろの絵がモチーフされています。
1236年コルドバがカスティーリア軍に攻撃され陥落。
以後、ナスル朝(1230-1492)グラナダ王國の首都として榮華を極める。
イベリア半島におけるイスラム最後の牙城である。
アルハンブラ宮殿が、街中から望める。
夕陽に赤く染まるアルハンブラの美しさは、絵のようである。
紅い丘の上に立つ城砦。斷崖の上にアルハンブラ宮殿。
アルハンブラ(Alhambra)は、紅い岩山に築かれたので、
この名(al-Hamra.赤きもの)が付けられた。
城壁に囲まれたアルハンブラ(Alhambra)には七つの宮殿があった。
今残るのはコマレス宮、獅子宮、パルタル宮、ヘネラリーフェ離宮のみである。
宮殿の中に8つのパティオがある。
獅子の中庭、天人花の中庭、リンダラハの中庭、マチューカの中庭、
マドラシャの中庭、無花果の中庭、アセキアの中庭、王妃の糸杉の中庭。
東の外れに、夏の離宮ヘネラリーフェがある。
友人はここ夏の離宮「ヘネラリーフェ」で写メして送ってくれた。
美しい花々と噴水が涼しげな水の離宮
いつまでたってもアルハンブラの美しさが頭から離れない。
私の撮影場所は、離宮ではなくアルハンブラ宮殿内の「アラヤネスの中庭」であるが
イメージが似ているので比べるまで、ヘネラリーフェだったと勘違いしていたようだ。
そこには、天平時代にすでに遠いヨーロッパ(ペルシャ)文明の影響を
百済を通して受けていたことを物語っているのです。
宝飾品には、護符(お守り)の役目があったのだ。
仏教における最高神お釈迦様(仏陀)は、宝飾品など何も着けておりません。
しかし、釈迦(仏陀)への修業を続ける菩薩は、宝飾品を身に纏っているのです。
菩薩とは仏教で「自力で悟る人」の意味があり、「弥勒菩薩」「観音菩薩」「文殊菩薩」
「普賢菩薩」「地蔵菩薩」「虚空蔵菩薩」などさまざまな姿があります。
金の希少性と不変性が永遠の命を思い起こされ、それを身につけることで
装飾というより、身を護る(護符)としての働きを期待したのである。
しかし、悟りを開いた釈迦(仏陀)には、そんなものは必要なく
彼はその装飾をいっさい捨てて、仏陀になるのです。
だから釈迦の像では1枚の布だけをさらりとまといいっさいの
装飾をしていないのです。
仏教を開いた釈迦ただ一人を仏陀とするのです。