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坂本龍馬察〆篷槊暁魯侫蝓璽瓮ぅ愁鸚發砲弔い
結論からいうとフリーメイソン(=グラバー)と関係したことは間違いない。
というか当時のイギリス、アメリカでは、政財界の主要メンバーがフリーメイソン
であった。アメリカ大統領は歴代で13人がフリーメイソンのメンバーであったこと
が確認されている。
(フリーメイソンについては非常に複雑なので後日、書くつもりです)
1865年慶応元年グラバーと知り合い、そのわずか数ヶ月後に,銃7300挺を
買い長州藩に納めている。
土佐藩脱藩の素浪人にこれほどの商いができるとは考えられない。
銃7300挺というとその金額は、莫大である。

この貿易の実務担当は、実業家・小曾根英四郎(26才)で、数回しか会って
いない龍馬(31才)に、資金、商売のノウハウ、人材、事務所をすべて提供している。
つまり、貿易の手回しがあまりにもよすぎるということで、坂本龍馬と小曾根英四郎を「大物」の政商グラバーが仲介したのではないか、という推理が生まれてくる。
glover1
グラバー邸のフリーメイソンのマーク
グラバーが長崎に訪れたのは1859年9月で、当時弱冠21才。4年後の25才
のときに、豪邸「グラバー邸」を完成させた。グラバーは終始一貫して、
徳川幕府打倒を唱えていた。
バックについていたのは、アヘン戦争の仕掛け人でも知られる
ジャーディン・マセソン商会である。
グラバーは龍馬と会って彼の思想・行動力にほれ込み自分の分身として
坂本龍馬をつかったと推測されるのである。

この時期に武器を輸入することは、ジャーディン・マセソン商会でなければ
出来ないことである。
坂本龍馬は、幕府勝海舟の配下であり、長州藩桂小五郎、高杉晋作、薩摩藩西郷隆盛、
土佐藩後藤象二郎など藩を動かす主要人部ともパイプをもっていたことは、この時代
稀有の人材であった。
この2人が結びつきお互いの利点を生かしたのである。

すなわち、フリーメイソンとして動いたわけでなく、偶然利害が一致した
グラバーは武器の売り先を考えていたところへ日本中の先鋭的な改革藩に
太いパイプを持つ活きのいい坂本龍馬が飛び込んできたわけであった。
龍馬自身がフリーメイソンになる必要もないわけである。
記述に残る日本人フリーメイソンメンバーの第1号は
「西周(にしあまね)」氏である。
| 坂本龍馬 | 07:03 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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