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円山応挙に学んだ月僊(げっせん)の展示会が「伊勢古市参宮街道資料館」
で開催されていたので、行ってきた。
館長の世古さんにいろいろ教えていただいた。
月僊は、京都の浄土宗総本山知恩院に修行することとなり、写生表現を重視した
円山応挙の門に入り、与謝蕪村を尊敬し、中国の絵画をも学びました。
安永3年(1774)、月僊34歳のとき、知恩院の大僧正に頼まれ、当時荒れ果てていた
伊勢の栄松山寂照寺を立て直すため、そこの住職となりました。
その年の夏、台風被害を受けた御師春木太夫の建物の襖と屏風絵を頼まれていた
円山応挙が病気のため辞退し、代わりに月僊がそれを描き上げたのです。
こうしたことから、月僊の名が世間に知れ渡り、彼の絵を求める人が多くなりました。
月僊は、そうした求めに応じて絵を描いては報酬を集めたので、批判する人もいました。
しかし、彼は報酬を一銭も自分のものとせず、
すべて寂照寺の再興と貧しい人々の救済などの社会福祉事業のために使いました。
この素晴らしい功績を残した月僊(げっせん)について、
伊勢の人々はほとんど知らない。残念なことだ・・・・
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