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お正月に初めて「神田明神」にお参りした
kanda
すごい人数の参拝者で驚いた!
ここのところ1月は、海外で過ごすことが多く、日本にいるときは
伊勢の実家に帰っていたので、今まで伊勢神宮参りだった。
3日だったのだが、境内に入る前に参道さらに道路まで参拝者であふれていた。
kanda1
神田明神
社伝によれば、天平2年(730年)、武蔵国豊島郡芝崎村に入植した
出雲系の氏族が、大己貴命を祖神として祀ったのに始まる
神田はもと伊勢神宮の御田(おみた=神田)があった土地で、神田の
鎮めのために創建され、神田ノ宮と称した。
承平5年(935年)に平将門の乱を起こして敗死した平将門の首が京から
持ち去られて当社の近くに葬られ、将門の首塚は東国(関東地方)の
平氏武将の崇敬を受けた。
平将門神に祈願すると勝負に勝つといわれる。
江戸時代、江戸城増築に伴い慶長8年に神田台へ、さらに元和2年に現在地へ
遷座した]。江戸総鎮守として尊崇された。
 
神田明神を崇敬する者は成田山新勝寺を参拝してはいけないというタブーが
伝えられている。
これは朝廷に対して叛乱を起した平将門を討伐するため、僧・寛朝を神護寺
護摩堂の空海作といわれる不動明王像と供に現在の成田山新勝寺へ使わせ
乱の鎮圧のため動護摩の儀式を行わせた、即ち、新勝寺参拝は将門を苦しめる事となるため。
なお、同じく将門を祭神とする築土神社にも同様の言い伝えがあり、
成田山へ参詣するならば、道中に必ず災いが起こるとされた。
将門に対する信仰心は、祟りや厄災を鎮めることと密接に関わっていたのである
 
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摩市出身でプロ野球ソフトバンク打撃コーチの大道典嘉さんらによる野球教室が三日、伊勢市の大仏山公園野球場であった。伊勢市を中心に県内十七チームの小学五、六年生百八十人が参加し、熱心にプロのアドバイスに耳を傾けた
| c | 2015/01/04 10:46 PM |
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