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「トルコ10日間の旅」日記26イスタンブール
紀元前7世紀頃、このイスタンブル旧市街地区に最初の都市をつくったのは
ギリシャ人入植者たちで、彼らの建てたビザンティンは旧市街のある半島の
先端にありました。
最古の城壁は、遺跡公園地区の北部、現在のトプカプ宮殿の城壁に
アヤソフィアのあたりを加えた程度の広さしかなかったのです。
 
古代ギリシャが古代ローマに組み込まれると、ビザンティンもローマの都市となり、
3世紀には城壁のすぐ側にヒッポドローム(競馬場)が建設されました。
 
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330年、ローマ帝国のコンスタンティヌス1世はローマに代わる首都として
ここビザンティンを選び、コンスタンチノーブルと改名しました。
ローマ帝国の首都となったのです。
 
そして、従来の城壁の2km西にコンスタンティヌスの城壁が築かれ、市域を大幅に
拡張してローマに匹敵する大都市を建設しました。
同じ世紀の末にはローマ帝国が東西分裂することになり、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)
の首都となり、ヴァレンス水道橋(378年完成)やハギア・ソフィア大聖堂(537年竣工)
などの、現存する優れた建造物が次々に建設されました。

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413年にはテオドシウスの城壁が完成、市域をコンスタンティヌスの城壁から

さらに西に2km伸ばし、堅固な城壁と海によって囲まれ、壮麗な宮殿と数百にも
及ぶ教会が立ち並ぶ大都市コンスタンチノーブルが完成する。
 
その人口は東ローマ帝国の盛衰にともなって上下するが、大城壁の堅い守りによって、
1204年の十字軍による攻略まで外敵による占領を受けることはなかった。

1453年オスマン帝国によるコンスタンチノーブル陥落によって

東ローマ帝国が最終的に滅ぶと、新たな支配者であるオスマン帝国は、
イスタンブールと改名

ハギア・ソフィア大聖堂やパントクラトール修道院付属教会、城壁近くの
コーラ修道院などのキリスト教の教会をモスクに転用しました。

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このとき、モザイクの壁画は漆喰に塗りこめられたので、かえって20世紀に漆喰が

はがされるまで無事に保存されることになったのです。

上の写真は、アヤ・ソフィア聖堂内2階で写した「キリスト、聖母、ヨハネ」の肖像である。
このように、イスラム寺院に漆喰で塗りこめられていたのです。
| 世界の旅・トルコ | 07:23 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
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適当な風が吹き、適当な雨が降るよう祈願する「風日祈祭(かざひのみさい)」が5月14日、伊勢神宮外宮(げくう)の「風宮(かぜのみや)」と内宮(ないくう)の「風日祈宮(かざひのみのみや)」を中心に125社全てで行われた
| るんるん | 2014/05/16 7:30 PM |
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