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平和祈念像作者彫刻家 北村西望作の「御木本幸吉坐像」

mikimoto

私の実家に、長崎の平和祈念像作者である
北村西望作の「御木本幸吉 坐像」がある。

父が真珠の商いをしていたことと、御木本幸吉氏も我が家にいらっしゃったこともあり

大切に飾ってある。

この像を見るたびに、長崎の平和祈念像を思い浮かべた。


mikimoto1銘「昭和八年八月 西望作」

父にとっては、北村西望より、御木本幸吉翁への思い入れでこの像を手に入れたと思う。

というのも、父が真珠を教えられたのが叔父の惣五郎からであった。

真珠振興会の記録で、御木本幸吉といっしょに不良真珠を燃やしている叔父の写真が

残されている。叔父は、立神真珠組合の組合長だったし、御木本氏と、ほぼ

同じころ真珠の養殖事業を始めていた。


mikimoto2
 

北村西望 きたむら-せいぼう
1884−1987年 明治-昭和時代の彫刻家。
明治17年12月16日生まれ。大正5年文展で「晩鐘」が特選となる。

10年母校東京美術学校(現東京芸大)の教授。14年帝国美術院会員。

昭和30年長崎の「平和祈念像」を完成。33年文化勲章。

力づよい男性裸像にすぐれた。昭和62年3月4日死去。102歳。長崎県出身。

本名は西望(にしも)。著作に「百歳のかたつむり」。


御木本幸吉

生年: 安政5.1.25 (1858.3.10) 没年: 昭和29.9.21 (1954)
明治大正期の真珠養殖業者。志摩国(三重県)鳥羽のうどん製造販売業者の長男。

進取的な祖父の血を受けた幸吉は,地の利をいかした海産物取引に着眼し,

干しアワビを取り扱ううちに真珠に関心を寄せていった。

明治26(1893)年志摩相島において養殖に成功し,英虞湾田徳島(のちの多徳島)に

御木本養殖場を開設,その後も明治末から大正にかけて,県外にも漁場を拡大する

ことに意を用いた。

事業を成功に導いたのは,優良漁場の確保とともに,29年の養殖技術に関する

特許取得を手始めとする数々の特許獲得による養殖技術の独占,真珠加工工場の

併設,および積極的なPR活動である。

32年東京銀座に開店。

その前後からほぼ毎年海外博覧会に出品し,大正末以降,ロンドン,ニューヨーク,パリ

などにも直販店を開設して「世界のミキモト」としての地位を確立した。

 
| 芸術 | 07:34 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
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人気歌手の藤井フミヤさん(51)が七日夜、伊勢市宇治館町の伊勢神宮内宮参集殿で、第六十二回神宮式年遷宮奉祝コンサート(同実行委主催)を開いた。藤井さんは、七百人の観客とかがり火に囲まれた能舞台で、式年遷宮イメージソング「鎮守の里」などを歌い、奉納した。
藤井さんは、中庭にせり出した能舞台にスーツ姿で登場した。最初に観客と「君が代」を斉唱し、伊勢に滞在して作詞、作曲した「鎮守の里」など九曲を披露した。バンドとストリングスの演奏をバックに、静寂に包まれた夜の神域に歌声を響かせた。応募約二万人から抽選で選ばれた観客は、特別ステージを堪能していた。
歌の合間に、「この場所で歌えることは、歌手をなりわいとする者としては最高のこと」と話し、先日、お白石持(しらいしもち)行事に参加したエピソードを語った。
藤井さんは、「鎮守の里」が完成した平成十八年にも、同所で関係者を前に歌を奉納している
| るんるん | 2013/08/09 1:10 AM |
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