<< 東京の里山「小野路」にある「小野路城址」と「小野小町の井戸」 | main | 「三億円事件」が、今から44年前の今日12月10日に起きた >>
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | | - | - | pookmark |
絶世の美女「小野小町」が逗留した小野路
訪れた小野路であるが、駅では鶴川、地名では厚木市にはいる。

とうことは、世田谷喜多見から自転車で厚木まで往復したことになる。

素人の私としては、頑張ったかもしれない。

 

小野城址のそばにあった小町井戸

この小町井戸について

ここで、月岡芳年の「月百姿」に結びついた

有名な「卒塔婆の月」であるが、小野小町の晩年の姿を描いた作品だ。

老いたる小野小町の月を仰ぎ見る姿、晩年京から故郷秋田に帰る途中

ここで療養したかもしれない。
秋田で生まれたことも定かではないが、お米の「あきたこまち」や新幹線
「こまち」も小野小町から由来している。

加えて、小野の小町は小野篁の息子である出羽郡司・小野良真の娘とされている。

すなわち小野篁の孫ということだ。

父親が郡司であったということで、秋田に赴任している時に生まれたと推察できよう。


yoshitoshi卒塔婆の月
 

小野小町について

小野 小町(おの の こまち、生没年不詳)は、平安前期9世紀頃の女流歌人。

六歌仙、三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人。


onono
 

花の色は移りにけりな いたづらに我が身世にふるながめせし間に

— 『古今集』

この歌からも美女であった事が窺える。これは、百人一首にあるので

わたしでも知っている。

 

生誕地については、一説によると現在の秋田県湯沢市小野(旧雄勝郡雄勝町小野)と

いわれており、晩年も同地で過ごしたとする地域の言い伝えが残っている。


komachi 


そう考えると、小野路、今はこんな山の中であるが、この地は、鎌倉道の宿場であり

東国へ旅の途中、小野小町が親戚の小野氏の治めるこの地に何日か逗留して

目の病気を療養したことは、充分考えられることであるのだ。
| 東京の里山 | 07:57 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
スポンサーサイト
| - | 07:57 | - | - | pookmark |
コメント
コメントする









この記事のトラックバックURL
トラックバック機能は終了しました。
トラックバック

CALENDAR

S M T W T F S
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031     
<< August 2020 >>

SPONSORED LINKS

RECOMMEND

SELECTED ENTRIES

CATEGORIES

ARCHIVES

RECENT COMMENT

RECENT TRACKBACK

MOBILE

qrcode

LINKS

PROFILE

SEARCH