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安部晴明よりすごい、冥土通いの井戸から魔界を行き来した小野篁

六道珍皇寺が建つ辺りはその昔 、阿弥陀ヶ峰山麓一帯(清水から今熊野辺りの

東山山麓)の鳥辺野(とりべの)呼ばれた東の葬送地へ続く道に面して建っていた

ことから”六道寺”とも呼ばれていた。

六道とは、仏家のいう地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六種の冥界をいい、

死後、霊は必ずそのどこかに行くといわれる。

六道の辻は、その分岐点で冥土への入口といわれている。

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閻魔王宮の役人で第二の冥官だったと伝説をもつ小野篁(おのたかむら)

冥府へ通う井戸(入口)が寺に在ったためとされる。
小野篁はあの世とこの世とを行き来するのに、井戸を使った
といわれている。江戸時代の蘭田耕筆なる随筆には

小野篁は閤王の化身にして、常に冥府に往来し給ふといひて、

五候(今の松原通なり)の来に死の六道、上嵯峨に生の六道といふは、

出入の穴有し所なりと博ふ】とある。死の六道とは六道の辻のあたりを指し、

六道珍皇寺の井戸を使って、たかむらは冥界に入った。


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境内の閻魔堂には、閻魔大王と篁の木像が並んでいる。

 

小野篁は遣隋使を務めた小野妹子の末裔で、父は小野岑守。

孫に三蹟の一人小野道風がいる。

また謎多い美貌の歌人小野小町も一族である。

青年時代、父に従って陸奥国へ赴き、弓馬をよくしたが、嵯峨天皇の言葉に触れて

発奮し学業に励んだとされる。弘仁13年(822年)文章生に補せられ、

大内記・蔵人を経て、天長9年(832年)従五位下に叙せられた。

承和元年(834年)、遣唐副使に任ぜられるが、承和5年(838年)に

正使藤原常嗣の専断に憤慨しいさかいを起こし、病気と称して乗船を拒否する。

さらに、「西道謡」という朝廷を批判する詩を作ったため、嵯峨上皇の怒りを買い、

官位剥奪の上、隠岐への配流に処された。

のち承和7年(840年)2月許されて平安京に帰り・本位に復った。

その後も蔵人頭・左中弁と要職を歴任。陸奥国司時代の承和9年(842年)には、

竹駒神社を創建した。承和14年(847年)には参議として公卿に列した。

仁寿2年12月(853年1月)従三位に叙せられる。

 

死罪に等しい隠岐への流罪だったが、たった1年半で現職復帰したことも当時

魔力を使ったと思われた。

 
| 日本を旅する・京都 | 07:14 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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