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福助のモデルとなったのは、「大丸」の創業者、下村彦右衛門という説もある
fukusuke
 

下村彦右衛門は「福助」のモデルとしても有名。中国から輸入した綿糸を販売し、

巨万の富を築いた彦右衛門は、お礼として、瀧尾神社境内にて食事を振る舞った。

次第に人々は彦右衛門を「福の神のような人」と呼び始め、「福助」の愛称が定着した。

takio

そこで、伏見稲荷の人形師が、彦右衛門をモデルにした伏見人形を作ったところ、

大人気となり「福助」の名前が全国に広がった。
瀧尾神社では、鳥居前の人形師「欽古堂」に製造型を依頼して、

当時の「福助人形」を復刻。授与品として参拝者にお分けしている。


fukusuke1大文字屋

大丸の歴史
は、1717年(享保2年)、京都伏見の古着商の家に生まれた

下村彦右衛門正啓が、伏見に呉服店「大文字屋」を開いたことに始まる。

この時、正啓は、店のしるしとして○に大の文字が入った商標を採用した。

○は天下を表し、大は人と一を組み合わせたものとして、このしるしは天下一の商人

になろうという心意気を示したものであると大丸では伝えられている。

「大文字屋」の人気は上々で、9年後の1726年(享保11年)には

大阪の心斎橋に2号店を出店、続いてその2年後、1728年には名古屋に出店した。

この名古屋店で初めて、商標にちなんだ「大丸屋」という屋号を使用している。

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| 漢方精力剤 | 2018/08/30 11:21 AM |
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