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東福寺には、紅葉に加え「重森三玲」の手になる名庭がいくつかある

東福寺・通天橋を望む紅葉は、もちろん最高であるが
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     (先週11月17日(土)小雨の中で撮影した。今年の紅葉は素晴らしい)
今回、東福寺駅の近隣に驚くべき寺社が多くあることを発見できた。


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東福寺の塔頭寺院である霊雲院には、重森三玲の庭があるのに

東福寺の紅葉を見学にくる人々の目には入っていない。残念なことである。

東福寺へ行く路、少し右にはいったところにあるお寺なのに誰も行かない。

 

霊雲院は、
元中7年(明徳1年・1390年)に岐陽方秀によって開かれ、はじめは不二庵と

称していた。

岐陽和尚は、天龍寺第六十四世、南禅寺第九十六世、東福寺第八十世に

歴任した高僧。明徳4年(1394)に遣明船が明国から四書や詩経集伝などを

舶載した時、岐陽和尚がはじめてこれらに注釈を加えて講義をされ、後に

足利将軍義持に暑く帰依されている。
 

書院前(南)庭の「九山八海の庭(霊の庭)」は庭の中央に珍しい形の石塔が立っている。

この石塔は「遺愛石」といい、寛永年間(1624〜1644)に当時和尚の湘雪守元に

帰依した肥後(熊本)藩細川忠利、光尚父子から当院第七世湘雪和尚へ贈られたもの。

遺愛石と名付けた須弥台と石船は九山八海の庭における須弥山である。


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九山八海の庭

江戸時代中期に作庭され、久しく荒廃していたものを、昭和を代表する

造園家・重森三玲が昭和45年(1970年)に復元した

九山八海(くせんはっかい)とは須弥山を中心に八つの山脈と八つの海が

とりまくという仏教の世界観で、遺愛石(いあいせき)を須弥山に見立て、

白砂の波紋が山海を表現している。


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遺愛石

高さ三尺、横四尺余りの青味をおびた小石で、須弥台の上に設けた

四角い石船の中に据えられている。

7世住持の湘雪守沅は肥後熊本の人で、藩主細川忠利と親交があり、

湘雪和尚が住職として霊雲院へ移られる時に500石の禄を送ろうとしたが、

「出家の後、禄の貴きは参禅の邪気なり。庭上の貴石を賜れば寺宝とすべし」と

申された。そこで細川家では、遺愛石と銘じた石を須弥台と石船とともに寄贈した。


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臥雲(がうん)の庭


こちらも重森三玲の手によるもので、寺号霊雲を主題にした創造的な枯山水庭園である。

渓谷に流れる川の流れと、山腹に湧く雲を白砂や鞍馬砂で表現している。

 
| 日本を旅する・京都 | 07:25 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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