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月岡芳年について

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月岡芳年(つきおかよしとし
、大蘇芳年とも、1839〜92)は、

幕末から明治にかけて活躍した浮世絵師です。

鎖国の世から突然の文明開化を求められた動乱の時代の中、激しい個性に

満ち溢れた作品を次々と生み出し、しばしば「最後の浮世絵師」とも称されています。

 

武者絵や戯画で知られる歌川国芳の下で浮世絵を学んだ芳年は、

武者絵や歴史画、美人画などさまざまなジャンルで活躍しました。

 

当時の人気は随一で、名実ともに明治時代を代表する浮世絵師と言うことができます。

迫力ある構図が特徴で、血みどろ絵と呼ばれる残酷な表現や

女性の妖艶さを捉えた美人画などの魅力は、時代を越えて現代の私たちをも

惹き付けて止みません。

江戸川乱歩・三島由紀夫などの偏愛のために「芳年といえば血みどろ繪・無惨絵」

と思われがちだが、その画業は幅広く、歴史絵・美人画・風俗画・古典画・役者絵に渡る。

近年はこれら無惨絵以外の分野でも再評価されてきており、

彼の作品は海外でのほうが評価が高い。 

また当時、没落していく浮世絵師の中で成功したこともあり「最後の浮世絵師」と

評価されることもある。
河鍋暁斎とは、ともに歌川国芳に師事した兄弟弟子でもある。

明治25年54歳で病死する。

 

1.略伝

天保10年(1839年)、江戸新橋南大阪町)の商家である吉岡兵部の次男、

米次郎として生まれる。 ただし父については諸説あり、定かではない。 

のちに、京都の画家の家である月岡家の養子となる。

月岡芳年の画業は、5つの期に分けられる。

 

まず第鬼 <12歳で入門、15歳にして錦絵を発表>

第鬼 (嘉永3年1850〜元治元年1864)

嘉永3年(1850年)、十二歳で歌川国芳に入門。 (前年に葛飾北斎が永眠。)
嘉永6年(1853年)、十五歳のときに処女錦絵作品「文治元年平家一門海中落入図」

を一魁斎芳年の号で発表。
以降、芝居絵、役者絵、子供繪、故事、歴史繪の類を師国芳のもとで修行し、


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安政5年(1858年)には、二十歳で「江戸の花子供遊の図」(三枚続)を版行。

万延元年(1860年)二十二歳頃から、芝居絵、役者絵、歴史繪のみならず吉原繪、

横浜絵、など多岐に亘るジャンルで小品、大判、三枚続大作などの作品を刊行し始める。
文久元年(1861年)には師歌川国芳が没している。(享年65歳)

 

供↓掘↓検↓拘の作風は順次記載していきます。

 
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