<< ポルトガルの首都がブラジルのリオデジャネイロだった時期もあったのだ | main | 東日本大震災発生から1年半 今も34万3334人が避難生活 >>
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | | - | - | pookmark |
ブラジルは、1888年の奴隷制度廃止による労働力不足のため移民を募った

imin

ブラジルへの移民は、1908年(明治41年)の笠戸丸に始まります。

800名弱の移住者の内、自由移民は10名のみ。

残りは皆、『契約移民』といわれる人たちで、沖縄県出身者が半数を占めていました

(今もブラジル日系人の中では沖縄県がルーツの人たちが多く、

アルゼンチンになると日系移民の80%が沖縄県ルーツの人たちだそうです)。
 

そもそも日本人の海外への移民は、1868年(明治元年)には始まっていました。

ハワイや、その後はアメリカ、メキシコ、明治後期には南米(ペルーなど)や

東南アジアへの移民も始まりました。

しかし、その内アメリカ合衆国への移民は、黄禍主義の影響もあって移民送り出しを

制限せざるを得なくなります。

1888年に奴隷制を廃止したブラジルでは、その後のコーヒー農園での

労働力不足を補うためヨーロッパからの移民(コロノ移民と呼ばれる契約移民)を

誘致し、受け入れていました。

しかし、劣悪な条件下での労働は移民の不満を

呼び、ドイツやイタリアといった移民送り出し国の政府は、

「奴隷同然の移民送り出しには協力出来ない」と、出国を停止したりしました。
こうして、労働力不足に悩んでいたコーヒー農園主とブラジル政府に、

当時アメリカ合衆国から日本人移民を締め出され困っていた『皇国殖民会社』が、

日本人移民の受け入れを売り込んでいきました。

やがて『皇国殖民会社』はサンパウロ州政府と契約調印し、

毎年1,000人の農業移民をブラジルへ送り出すことで一致し、

日本国内での移民希望者募集を開始しました。


移民の条件の中に、「移民は夫婦を中心に、12歳以上の子どもか夫婦の兄弟姉妹を

含む『3人以上の家族』であること」というものがありました。

『皇国殖民会社』は、この「家族」の条件を満たすため、移民希望者の中の

独身者たちを名目上の夫婦・親子・兄弟にしたりしました。

また、外務省へ供託するはずだった保証金(10万円)を調達出来なかったため、

移民たちからの「預り金」を流用してこれに充てたりしました。

ヨーロッパは、劣悪な労働条件を調査で知り移民を中止したが、
日本国はそんな中で移民を進めた。
日本政府と皇国殖民会社に、だまされ多くの国民が南米に渡り 死の苦労をして
ようやく今の繁栄を築いた。
| 歴史 | 07:59 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
スポンサーサイト
| - | 07:59 | - | - | pookmark |
コメント
コメントする









この記事のトラックバックURL
トラックバック機能は終了しました。
トラックバック

CALENDAR

S M T W T F S
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031     
<< August 2020 >>

SPONSORED LINKS

RECOMMEND

SELECTED ENTRIES

CATEGORIES

ARCHIVES

RECENT COMMENT

RECENT TRACKBACK

MOBILE

qrcode

LINKS

PROFILE

SEARCH