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徳川家康が江戸城に入った時、江戸城はそれほど大きい城ではなかった

家康、秀忠、家光 三代の将軍が江戸城を拡張していったのだ。

 

まず入城した徳川家康によって大改修が施された。

家康は、道灌時代の子城、中城、外城に分かれていた曲輪(くるわ)を一つに

まとめてこれを本丸とし、山下に二の丸、三の丸を設け、

さらに1592年(文禄1)豊臣秀吉が伏見に隠居城を築いたのに便乗して、

隠居城として西の丸を設けた。


edo1今は無い本丸

関ヶ原の戦いを経て1603年(慶長8)に家康が征夷大将軍になるに及んで、

江戸城は単なる大名の居城ではなく、政治、経済上の中心としての位置づけが

加わり、江戸城の整備が要請されたのである。

以後、各地の大名を動員しての天下普請が行われ、家康の代では終わらず、

2代秀忠(ひでただ)、3代家光(いえみつ)に引き継がれ、

結局、1606年(慶長11)から1636年(寛永13)まで大工事が7回も行われた。

 

最終的には6代将軍家宣(いえのぶ)のとき、1710年(宝永7)芝口門(しばぐちもん)が

できて、東西約5キロメートル、南北3.9キロメートルに及ぶ日本最大の城が

できあがったのだ。

 
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