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武蔵野といえば国木田独歩著の「武蔵野」を思い浮かべる
明治29年10月26日に「林中にて黙想し、回顧し、睇視し、俯仰せり。

「武蔵野」の想益々成る。われは神の詩人たるべし・・・」
ああ、「武蔵野」。これ余が数年間のかんさつを試むべき詩題なり。

余は東京府民に大なる公園を供せん。」
と書いています。

『昔の武蔵野は萱原(かやはら)のはてなき光景を以て絶類の美を鳴らして

いたように言い伝えてあるが、今の武蔵野は林である。林は実に今の武蔵野の

特色といっても宜(よ)い。則ち木は重に楢の類で・・・
 武蔵野の美はただその縦横に通ずる数千条の路を当てもなく歩くことによって

始めて得られる。・・・これが実にまた、武蔵野第一の特色だろうと自分は

しみじみ感じている。
 ・・・林と野とが斯くも能(よ)く入り乱れて、生活と自然とがこの様に密接している

処が何処にあるか・・・。』
独歩は武蔵野を愛し、玉川上水を散歩していたのだろう

doppo2 


桜橋から1−2分の上流にある橋が、「独歩橋」と名づけられている。

独歩の名をしるす橋があることは何ともいい。

 

 

桜橋交差点の信号機からわずかに右へ目を移すと、この碑があった。

桜橋のたもと、玉川上水の雑木林に覆われています。
doppo

碑面には

 『今より三年前の夏のことであった。自分は或友と市中の寓居を出でて

三崎町の停車場から境まで乗り、其処で下りて北へ真直に四五丁ゆくと

桜橋という小さな橋がある・・・』

武蔵野の第1章と

 国木田独歩の名前が右から左に書かれています。

doppo1

国木田独歩
明治4年〜41年(1871〜1908)詩人・小説家。千葉県銚子市生まれ。

少年時、山口県下で過ごす。早稲田大学中退。青年時代、大分県佐伯で

教師、東京で徳富蘇峰の下『国民之友』『国民新聞』の編集に従事。

日清戦争では海軍従軍記者として『愛弟通信』(明治27〜28)を書き文名を得た。

佐々城信子との恋愛結婚に破れてのち文学者として立ち、初め詩人として

『独歩吟』等を発表。ついで「源叔父」「武蔵野」「忘れ得ぬ人々」等の短編小説

を発表した。

初期の作品には詩的、浪漫的なものが多いが、中期あたりから現実的、

運命的なものも多くなり、死を前にした晩年の「竹の木戸」「二老人」に

至ってそれらを止揚した清澄な境地をかいま見せた。
「武蔵野」では、信子と玉川上水の辺を歩き回った様子を描いている。

| 玉川上水 | 07:12 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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