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深大寺蕎麦
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                                  深大寺山門
江戸時代近在の農家から深大寺に寄進されたそば粉を参拝した人に供したのが

始まりといわれ三代将軍徳川家光が鷹狩の途中立ち寄った際、寺僧が打つそばの

味を激賞し、以後、現在の新宿御苑から毎年献上したのが始まりともいわれます。
又、上野寛永寺大明院法親王の御時、深大寺境内にて作ったそばを献上し、

賞賛を得て以来ともいわれます。

しかし、三代将軍家光の時代の献上そばであったものが、八代将軍吉宗は幕府財政

立て直しの「享保の改革」中で、そばは、地味の悪いところでも栽培が可能なことから、

深大寺村(今の調布市)の農家に督励されました。
soba


深大寺そばの佳味は、江戸の一般庶民にはなお程遠いもので、ごく一部の上層階級

のみのものでしたが、やがて江戸時代後期の文化文政年間(1804年〜30年)に、

江戸文化人の一人太田蜀山人が、幕府の役人として多摩川を巡視した折に、

深大寺に止宿して深大寺そばを広く世に宣伝してからは、江戸の人士とりわけ

武蔵野を散策する文人墨客(詩文・書画などの道にたずさわる人)に愛され、

それが深大寺そばの名を高めたことになりました。
 
昭和29年(嶋田屋)以降、深大寺前にそば屋が増え、昭和36年神代植物園が

開園してから、改めて深大寺自体と、深大寺ゆかりのそばに注目が集まり、

門前町らしくなりました。


今まで私が頂いた蕎麦は、嶋田屋さん、雀のお宿、一休庵、湧水、大師茶屋

と結構食べている。

今回はじめてのお店「きよし」で食べてみた。

 soba2


ここの女将さんなかなか面白い方だった。

お勧めは「天ざる蕎麦」とのことでこれをいただいた
「きよし」ご主人の名前ですか?と尋ねたら
自分の名前 きよこ から名づけたそうです。
45年間この地で深大寺蕎麦を打ち続けているのだそうで、
深大寺のことは、きよこさんに聞けばなんでも分かりそうです。
| 武蔵野 | 07:51 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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