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古くて新しい東京新発見!湯島聖堂に立ち寄る
この広重の「昌平橋聖堂神田川」を紹介する前に立ち寄ったのが「湯島聖堂」だった。

 

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「神田明神」からさらに下っていくと立派な建物が目に入る、
「湯島聖堂」である。

さだまさしさんの歌にも出てくる湯島聖堂だが横を車で何度も通りすぎたことはあるが

中に入ることはなかった。今回徒歩で動いているので立ち寄ろうと思った。

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さださんの歌は「檸檬」だった。この白い階段に腰かけレモンに口をつけた・・
♪♪

或の日 湯島聖堂の白い石の階段に腰かけて
君は陽溜まりの中へ盗んだ檸檬細い手でかざす
それを暫くみつめた後で
きれいねと云った後で齧る
指のすきまから蒼い空に
金糸雀色の風が舞う

喰べかけの檸檬 
聖橋から放る
快速電車の赤い色がそれとすれ違う
川面に波紋の拡がり数えたあと
小さな溜息混じりに振り返り
捨て去る時には こうして出来るだけ
遠くへ投げ上げるものよ

 

湯島聖堂

1690年(元禄3年)、林羅山が上野忍が岡(現在の上野恩賜公園)の私邸内に

建てた忍岡聖堂「先聖殿」に代わる孔子廟を造営し、将軍徳川綱吉がこれを

「大成殿」と改称して自ら額の字を執筆した。
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またそれに付属する建物を含めて
「聖堂」と呼ぶように改めた。

1691年(元禄4年)2月7日に神位の奉遷が行われて完成した。

林家の学問所も当地に移転している。

大成院の建物は、当初朱塗りにして青緑に彩色されていたと言われているが、

その後度々の火災によって焼失した上、幕府の実学重視への転換の影響を

受けて再建も思うように出来ないままに荒廃していった。

その後寛政異学の禁により聖堂の役目も見直され、1797年(寛政9年)林家の

私塾が、林家の手を離れて幕府の官立の昌平坂学問所となる。

これは「昌平黌(しょうへいこう)」とも呼ばれる。

「昌平」とは、孔子が生まれた村の名前で、

そこからとって「孔子の諸説、儒学を教える学校」の名前とし、それがこの地の

地名にもなった。
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                           巨大な孔子像に驚かされる

これ以降、聖堂とは、湯島聖堂の中でも大成殿のみを指すようになる。

また、2年後の1799年(寛政11年)には長年荒廃していた湯島聖堂の大改築が

完成し、敷地面積は1万2千坪から1万6千坪余りとなり、大成殿の建物も

水戸の孔子廟にならい創建時の2.5倍規模の黒塗りの建物に改められた。

この大成殿は明治以降も残っていた。

ここには多くの人材が集まったが、維新政府に引き継がれた後、

1871年(明治4年)に閉鎖された。


教育・研究機関としての昌平坂学問所は、幕府天文方の流れを組む開成所、

種痘所の流れを組む医学所と併せて、後の東京大学へ連なる系譜上に載せる

ことができるほか、この地に設立された東京師範学校(現在の筑波大学)や

東京女子師範学校(現在のお茶の水女子大学) の源流ともなった。

| 名所江戸百景 | 07:02 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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