<< 平安京(京都)は風水の思想で造成された都であった | main | 京都・東の「青龍」賀茂川の流れ >>
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | | - | - | pookmark |
北の船岡山を基点にし、東に川、南に湖沼、西に街道。風水の都・京都
京都は「四神相応」の地であった。しかし・・・

北・冬:玄武(げんぶ)ー山がある <船岡山>

東・春:青龍(せいりゅう)ー川が流れている <賀茂川>
南・夏:朱雀(すざく)ー沼や湖があり、広大な土地 <巨椋池(おぐらいけ)>
西・秋:白虎(びゃっこ) ー大きな道がある <山陽山陰道>
さらに陰陽道で、鬼門に当たる方向に、比叡山延暦寺を魔除けとして置いている。

ogura

                     (写真は大正時代の巨椋池)
「朱雀」

南の朱雀、巨椋池(おぐらいけ)とは、京都府の南部、現在の京都市伏見区、宇治市、

久御山町にまたがる場所に、かつて存在した大きな池です。

規模からいえば池よりも「湖」であった。


しかし豊臣秀吉による伏見城築城期の築堤をはじめとする土木工事などにより、姿を変え、

最終的には1933年(昭和8年)から1941年(昭和16年)にかけて行われた

干拓事業によって農地に姿を変えてしまったのです。

干拓前の巨椋池は周囲約16km、水域面積約800haの広大な湖だったのです。

現在の宇治あたりにあったのだ。

ogura1 


京都が首都機能を失ったのは、この朱雀にあたる巨椋池を埋め立ててしまい、

風水を崩したことによるのである!!! かもしれない・・・

| パワースポット | 07:12 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
スポンサーサイト
| - | 07:12 | - | - | pookmark |
コメント
埋め立ても検討されたようですが、コストがかかるので干拓になったようですよ。因みに首都機能を喪失するのは干拓よりも70年ほどさかのぼるようです。敢えていうと木津川の流れを付け替えたのが明治元年。そこが風水機能喪失のキーポイントでしょうかね?
| 治部煮少将 | 2018/06/05 10:35 AM |
コメントする









この記事のトラックバックURL
http://peaceman.jugem.jp/trackback/1987
トラックバック

CALENDAR

S M T W T F S
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
<< August 2018 >>

SPONSORED LINKS

RECOMMEND

SELECTED ENTRIES

CATEGORIES

ARCHIVES

RECENT COMMENT

RECENT TRACKBACK

MOBILE

qrcode

LINKS

PROFILE

SEARCH