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幻の宝刀「陽寳劔」「陰寳劔」は、東大寺の大仏の足元に埋められていた
約1250年間も行方が分からなかった正倉院宝物の幻の大刀(たち)

「陽寳劔(ようほうけん)」「陰寳劔(いんほうけん)」は、

東大寺の大仏の足元から100年も前に見つかっていた国宝の

「金銀荘大刀(きんぎんそうたち)」だった。

東大寺では10月15日から3日間、光明(こうみょう)皇后(701〜760)の

1250年忌が営まれたばかり。

なぜ大仏の足元に大刀は埋められたのか? 

古代史の謎がまた一つ増えた。

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  大刀は1907(明治40)年、大仏が座る蓮華(れんげ)座と

須弥壇(しゅみだん)の境目付近の深さ約45センチの土中から見つかった。

鉄製で、大仏殿(金堂)の永続を願って埋められた「鎮壇具」と判断され、

近くに埋まっていた別の大刀などと一緒に1930年に国宝に指定された。


 東大寺は今年度から2年がかりで、金堂鎮壇具の保存修理を研究所に依頼。

X線調査で、長さ98.3センチの大刀(鉄製)の刀身の根元近くに

1辺約1.5センチの楷書(かいしょ)で「陽劔(ようけん)」

97.5センチの大刀(同)には「陰劔(いんけん)」と象眼(ぞうがん)が

施されていたことが分かった。

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 「陽寳劔」「陰寳劔」は756(天平勝宝8)年に光明皇后が大仏に

献納した品々の目録「国家珍宝帳(こっかちんぽうちょう)」の刀剣類のトップに

記されている。そこに書かれた長さや構造が今回の大刀と一致した。

 

聖武(しょうむ)天皇の即位後、たびたび飢饉(ききん)が起き、737年には

天然痘が大流行した。聖武天皇と光明皇后は仏教の力で国を治める

鎮護国家を実現するため、全国に国分寺、国分尼寺を建立するとともに、

東大寺を建て、大仏を造立する一大事業に着手した。

 光明皇后は、初めて皇室以外から迎えられた皇后だった。

仏教をあつく信じ、続日本紀(しょくにほんぎ)などによると、皇后になった

翌年の730年には平城京に病人や孤児を救済する施設の悲田(ひでん)院、

薬草などによる治療所の施薬(せやく)院を置いた。

 

 「陽寳劔」「陰寳劔」は聖武天皇の遺愛品六百数十点の目録

「国家珍宝帳(こっかちんぽうちょう)」のなかでも、大刀の筆頭に登場する

宝物だった。それを正倉院から持ち出したのは、妻であり、献納した

光明皇后以外にはいないとされてきた。


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