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明日10月23日より世田谷美術館にて「橋本平八と北園克衛展」が開催される

明日から世田谷美術館で開催の「橋本平八と北園克衛展」に

出品されている橋本平八の作品のうち2点は、私の父のコレクションである。


heihachi 

明日レセプションがあり招待されているので出かけることにしているが、

我が家の橋本平八の作品は、多分一番大きいサイズなのでわかりやすいとおもいます。


写真の「達磨立像」73cm
と、達磨太子を描いた掛け軸の2点です。


彫刻家「橋本平八」については、知らない方が多いと思うが

1920年代に、ロダンや高村光雲とは異なる世界を表現する彫刻を発表していた。

 その彫刻は実に多彩。作風を一言で形容できないのが特徴といえようか。

例えば、自然の石を写実的に表しながら不思議なオーラを放つ「石に就て」とか、

柔らかな曲線美の天女の全身に細い線で桜の花が彫られた「花園に遊ぶ天女」。

創作時期は2年しか違わないのに、同じ作者とは思えない。


 
毛利伊知郎・三重県立美術館学芸員は「仏教と神道、そして朝熊の自然が合体した
ような
複合的な宗教観が、創作の動機となった。さらに東西の哲学や芸術思想も

反映している」と説明する。

 heihachi1


弟の北園は兄を追い、1920年に上京。ダダなどから影響を受け、前衛詩の創作を

始めた。1935年、詩の実験を推し進める「VOUクラブ」を結成し、

機関誌『VOU』を刊行した(死去した78年、160号で終刊)。


「橋本平八」

1897年、現在の三重県伊勢市朝熊町に生まれる。

1919年に上京、佐藤朝山や三宅正直に師事し、彫刻を学んだ。

1922年に日本美術院展に出品して初入選、1927年に同展の同人となった。

ほかに再興院展、聖徳太子奉賛展などにも出品。

橋本の作風は、西洋美術と東洋美術を独自に融合させた作風とされる。

橋本の故郷は伊勢神宮の近くで、神仏を尊ぶ価値観や仏教彫刻に触れ、

自身でも仏像などを多く製作するなど少なからぬ影響を受けていた。

一方で弟の北園克衛を通じて、シュルレアリスムなどの西洋美術なども研究していた。

28歳で故郷の三重に戻ったが、その後も製作活動を行い、院展などに出品をつづけた。

しかし1935年、38歳で早世した。

「橋本平八と北園克衛展」

会期:2010年10月23日(土)〜2010年12月12日(日)

会場:世田谷美術館

| 橋本平八と北園克衛展 | 07:14 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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