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休日に久しぶりに歌舞伎を鑑賞した。
東銀座の「歌舞伎座」が改修工事にはいり休館中であるため
16年ぶりに「明治座」で「五月花形歌舞伎」であった。
演目は、市川染五郎の「怪談牡丹燈籠」と
中村勘太郎の「高杯」(たかつき)
であった。
浅草の猿若町のことを書いたように
江戸歌舞伎の創祖は1624年の「猿若勘三郎」だった。
猿若改め中村と姓を換えた。それが中村座の始まりで代々続いていくわけだ。
浅草猿若町に移転させられる前は、人形町に中村座と市村座があった。
森田座は木挽町(こびきちょう)=今の東銀座で、ちょうど歌舞伎座あたりだ。
中村座、市村座、森田座が江戸三座と呼ばれた。
千両役者!!! という言葉がある
実際に、千両の給金をもらっていた役者が何人かいたのだ。
上方から下(くだ)ってきた
(当時は京都が上なので、江戸へは下ることになる)
上方から下ってきた「芳澤あやめ」女形や、2代目「市川団十郎」など
1000両以上の給金をとっていたといわれる。
本当に「千両役者」だった。
歌舞伎役者は江戸市民の憧れの的だった。
そして、ブロマイド(写真はまだ無い)が、浮世絵の役者絵だったわけだ。
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