恋ヶ窪「姿見の池」へ行く
koi
野川 大沢の里には多くの鯉のぼりが泳いでいた
 

バイク(自転車)が無事戻ったので、少し先まで足を延ばしてみる。

野川の源流の1つ「真姿の池湧水群(ますがたのいけゆうすいぐん)」

へは何度も訪れているが、その先の恋ヶ窪にあるもう1つの野川源流である

「姿見の池」まで行ってみた。


sugatami
 

西国分寺駅のそば、昔の鎌倉街道沿いにこの池はあった。

姿見の池は、かつて付近の湧水や恋ヶ窪用水が流れ込み、清水を

湛えていました。

現在の府中街道とほぼ同じ道筋にあたる鎌倉街道の宿場町であった

恋ヶ窪の遊女達が、朝な夕なに自らの姿を映して見ていた ことから、

「姿見の池」と呼ばれるようになったと言い伝えられています。

 

恋ヶ窪という地名の由来の一つとも云われ、傾城・夙妻太夫が

武将・畠山重忠を慕って身を投げた池といわれています。

また「武蔵野夫人」(大岡昇平著)など文学作品にもよく登場する名所です。

 

「姿見の池」は、昭和40年代(1965年)に埋め立てられたが、平成10年(1998年)

に昔の池をイメージして整備された。

鎌倉時代はもっと大きな池だった。


kawasemi
 

ちょうど「うぐいす」が鳴き、カワセミが池の枯れ枝にとまっていた。

自然が今も生きている。

| 浮世絵 | 07:12 | comments(3) | trackbacks(0) | pookmark |
月岡芳年の名作「月百姿(つきひゃくし)」◆。毅院檻隠娃虻酩
51.芭蕉: 三日月の頃より待し今宵哉 翁≫ 52.林下美人: 月明林下美人図
53.王昌齢:
西宮夜静百花香 欲捲珠簾春恨長 斜抱雲和深見月 朧々樹色隠照陽 王昌齢

54.玉渕斎: 忍丘月 玉渕斎≫ 55.物狂: 月のものくるい 文ひろけ

56.平八郎: 雪浮の暁月 小林平八郎 57.高師直: 垣間見の月

 

58 

58. 孫悟空: 玉兎 孫悟空
59.砧:

60:夕顔棚: たのしみは夕顔たなのゆう涼 男はててら女はふたのして


61
61.熊坂
朧月夜 熊坂 62.孤家: 孤家月

63.辰の助: 桜さくすみたの川に 水木辰之助

64.狼: むさしのゝ月 65.暁月: 《しはゐまちの暁月》

66.辻君: 《田毎ある中にもつらき辻君のかほさらしなや園の月かげ 一とせ》

67.北山月: 《豊原統秋 北山月》 68:音羽山: 《音羽山 月 田村明神》

69.高倉月: 《高倉月 長谷部 信連》 70. 世尊寺: 《世尊寺の月 少将義孝》

71.命婦: 《五節の命婦》 72.淮水: 《淮水月 伍子胥》

73.鳶巣山: 《鳶巣山 暁月 戸田半平重之》

74.玄以: 《常にこそ曇りもいとへ今宵そとおもうは月の光なりけり 玄以》。
75.幸盛: 《信仰の三日月 幸盛》 76.堅田: 《堅田浦の月 斉藤内蔵介》
77.足柄山: 《足柄山月 義光》 78.師長: 《宮路山の月 師長》
79.千代能: 《千代能かいたゝく桶の底ぬけて みつたまらねは月もやとらす》

80.秀次: 《おもひきや 雲ゐの秋のそらならて 竹あむ窓の月を見んとは 秀次》

81.児島高徳: 《雨中月 児島高徳》 82.小野篁: 《孝子の月 小野篁》
83.儀太夫: 《弓取りの数に入るさの身となれは おしまさりけり夏夜月 明石儀太夫》

84.虫の音: 《かしかまし 野もせにすたく虫の音よ 我たになかく ものをこそおもへ》

85.横笛: 《法輪寺の月 横笛》 86. 花山寺: 《花山寺の月》
87.調布: 《調布 里の月》 88. 蝉丸: 《月の四の緒 蝉丸》

 

89 

89.月の桂: 《つきのかつら》

90.鵺 : 《鵺》 91.小栗栖: 《山城小栗栖月》 92.心観月: 《心観月 手友梅》
93.斥候: 《月下の斥候 斉藤利三》

 

94 

94雨後: 《雨後の山月 時致》

95.稲葉山: 《稲葉山の月》 96. 鶏鳴山: 《鶏鳴山の月 子房》

97.山木館: 《山木館の月 景兼》 98.竹生島: 《竹生島月 経正》

99.朱雀門: 《朱雀門の月 博雅三位》

 

100 

100. 猿楽月 《猿楽月》
太田美術館ではすべての作品を保有されているとおもいますが、10作品ほどしか
展示されていませんでした。ぜひ、「月百姿」の全作品の展示をしていただきたいと
希望します。

月岡芳年

しかし、江戸から明治へと混沌とした時代を迎えると、芳年は一時画題が

見つからずスランプに陥ります。神経を病み病床に伏せる日々を過ごした後、

芳年が画題として選んだのは歴史画でした。

西洋絵画の手法を柔軟に取り入れた芳年は、歴史画の分野で独自の世界を

切り拓いていきます。また、浮世絵師としても筆頭にまで上り詰め80人の弟子を

抱えるまでになりました。

ところが、次第に芳年は浮世絵に対して鬱々たる思いを抱くようになります。

他ならぬ浮世絵に対して得心がいかなくなるのです。

北斎、広重、そして国芳など名を馳せた浮世絵師たちは既にこの世を去り、

自分だけが新しい時代に生き残ってしまった。ならば、自分は何を描くべきなのか

考えた末に芳年は、『月百姿』の制作へと向かいました。

最後の浮世絵師が月に託して描いたものとは何だったのか、考えながらあらためて

全作品をご覧になることをお勧めします。

| 浮世絵 | 07:02 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
月岡芳年の晩年の名作「月百姿(つきひゃくし)」

「血みどろ」と呼ばれた月岡芳年の亡くなる2年前の作「月百姿」

色彩・構図の素晴らしさで世界でも高い評価を受けている。

日本人がもっと見直すべき作品群だと思う。

半分の五十作品の題名と私の好きな作品を紹介します


1.石山 :
石山月は、源氏物語を執筆中の紫式部。
2.高雄: 花魁
たか雄≫ 3.竹とり: 月宮迎 竹とりは、竹取物語。
4.孝女:
朝野川晴雪 孝女 ちか子≫ 5. 銀河: 銀河月は、牽牛織女。
6. 四条納涼:
四条納涼≫ 7. 神事: 神事残月

8.其角: 《名月や畳の上に松の影 其角》 9.小碓皇子: 賊巣の月

10.曹操: 南屏山昇月 曹操≫ 11. 源経基: 貞観殿月

12. 九紋龍: 四家村月夜 九紋龍 13.嵯峨野: 嵯峨野の月

14.嫦娥: 嫦娥奔月

 

 15

15.平清経:舵楼の月 平清経

16.祇園: 祇園まち≫ 17.有子: 有子≫ 18.廓: 廓の月

 

19 

19.稲村ケ崎: 稲むらか崎の明ほのゝ月

 

20 

20.火事: 烟中月

21.信玄: きよみかた空にも関のあるならば 月をとゞめて三保の松原 信玄

22.夕顔: 源氏夕顔

23.謙信: 霜満軍営秋気清 数行過雁月三更 謙信

24.厳島: いつくしまの月 室遊女≫ 25.秀吉: しつか嶽月 秀吉

26.高砂: いてしほの月≫ 27.南海: 南海月

28 

28.卒塔婆: 卒塔婆の月
29.悟道 :
悟道の月≫ 30.釣狐: ?(こんかい)

31.受桂子 梵僧月夜

32.道真: 《月輝如晴雪梅花似照星可憐金鏡転庭上玉房香 菅原道真

33.赤壁: 赤壁月≫ 34.月夜釜: 月夜釜 小鮒の源吾 鳴矢伴蔵

35.読書: 読書の月 子路≫ 36.伊賀局: 吉野山夜半月 伊賀局

37.公任: しらしらとしらけたる夜の月かけに 雪かきわけて梅の花折る 公任

 

38 

38.弁慶: 大物海上月

39.赤染衛門: やすらはで寝なましものを 小夜ふけて かたふく迄の月を見しかな

40.破窗月: 破窗月≫ 41.定家: 住吉の名月 定家

42. 盆の月: 盆の月 43.姥捨: 姥捨月

44.経信: から衣うつ声きけば月きよみまだねぬ人を空にしるかな 経信

 

45 

45.金時: 金時山の月
46. 仲麻呂
あまのはらふりさけみれば 春日なる三笠の山に出でし月かも 
   安倍仲麻呂

47.寶蔵院 つきの発明 寶蔵院≫ 48. 原の月: 原野月 保昌

49.深見自休: 名月や 来て見よかしの ひたい際 深見自休

50.五条橋: 五条橋の月


月岡芳年

幕末に生まれた芳年は、12歳の時に浮世絵師・歌川国芳のもとに入門し、

わずか3年後には浮世絵師としてデビューを果たしました。

やがて、歌舞伎の惨劇シーンを描いた「英名二十八衆句」シリーズで

人気浮世絵師の仲間入りを果たすと、勇壮な武者絵からユーモア溢れる狂画まで

幅広く手掛けていきます。

特に血の表現にはこだわり、せい惨な作品を描いて「血みどろの絵師」とも呼ばれました。

 
| 浮世絵 | 07:50 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
月岡芳年について(第鹸、第拘)

月岡芳年

第鹸
 (明治9年1876〜明治17年1884)

II期が芳年の特色の噴出期であったとすると、本期は二度目の噴出期であり、

これ以降安定した活動期に入っていく。 

この噴出を促したのが、明治10年(1877年)の西南戦争の勃発であり、

西南戦争の錦絵が盛んになる。 

実際に取材に行ったわけではないが、構成的で、演劇調の戦争画として、

芳年の人気が素晴らしく、版元は門前市をなしたと言われる。 

経済的にもゆとりがで、住居を新たにするとともに、芸者お楽を迎え入れる。

戦争ものもやがて下火になると、作品には「新柳二十四時」、

「東京自慢十二ヶ月」などの風俗画が主題になっていく。

明治11年(1878年)40歳の時には天皇の侍女を描いた『美立七曜星』が問題になる。 

この年より刊行が開始された「大日本名将鑑」は以後5年の間に51番まで制作され、

ベストセラーとなり、版行部数もまた未曾有となった。

明治12年(1879年)四十一歳。宮永町に移転し、手伝いに来ていた坂巻妙子と

出会い、愛妾お楽と別離し妙子と結婚する。(妙子夫人は世話女房型の賢夫人で、

芳年没後二十年あまりして明治四十四年大森で亡くなっている)
明治15年(1882年)、絵入自由新聞などにも関係し、明治17年ごろまで精力的に本、

雑誌、新聞の挿絵にも打ち込む。

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明治15年の第1回国内絵画共進会では肉筆画の「藤原保昌月下弄笛圖」で

一等賞を得、これを翌年三枚続きの錦繪に摺った版画は当時のベストセラーになった。 

さらに一枚ものシリーズ「芳年武者尤類」を刊行している。

同時に西南戦争後の世相の反映の一つとして,文教政策の強化にともない、

芳年の錦絵にも「教導立志基」などがでてくる。
明治17年 四十六歳には芳年の門人は80人を超え、評判は日本随一で、

浮世絵界の泰斗と称せられた。


第拘 (明治18年1885〜明治25年1892)

明治18年四十七歳、よりライフワーク「月百姿」(百枚)の刊行が開始され、

明治24年に完結する。また、「新撰東錦繪」二枚続23図を刊行。 

さらに代表作「奥州安達が原ひとつ家の図」などによって、「東京流行細見記」の

浮世絵師番付けで一番になる。

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これに前後して縦二枚続きの一連の作品を刊行。 

明治21年には「風俗三十二相」(32枚)を刊行。 

明治24年(1891年)『新形三十六怪撰』の完成間近の頃から体が酒のために

蝕まれていき、再度神経を病み目を悪くし、脚気も患う。

明治25年(1892年)五十四歳、病状が悪化し、巣鴨病院に入院。 

病床でも絵筆を取った芳年は松川の病院に転じるが、5月21日に医師に見放され退院。 

6月9日、本所藤代町の仮寓で脳充血のために死亡。 


芳年の墓は東
大久保の専福寺にある。

明治31年(1898年)には岡倉天心を中心とする人々によって向島百花園内に

記念碑が建てられている。


月岡芳年 日本より海外で高く評価されている。
浮世絵に対して日本美術界は、昔から評価が低い、挿絵と考えられていたのだろうか・・
これだから良い浮世絵など文化財が外国に流失していったのだ。

 
| 浮世絵 | 07:49 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
月岡芳年について◆並茘挟、第郡)

第挟 (慶応元年1865〜明治2年1869)

慶応元年(1865年)二十七歳の時に祖父の弟である月岡雪斎の画姓を継承し、 

「和漢百物語」などのシリーズもの、歴史繪、合戦繪 など多数を発表。 

この年の浮世絵師番付で第十位となる。

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慶応2年(1866年)12月から慶応3年(1867年)6月にかけて、兄弟子の

落合芳幾と競作で《血みどろ繪》として有名な『英名二十八衆句』を表す。 

これは歌舞伎の残酷シーンを集めたもので、芳年は28枚のうち半分の14枚を描く。 

これと相前後して「美勇水滸伝」などのシリーズものも発表する。 

慶応3年には、芳年、国周、芳幾が浮世絵の三傑と称せられる。

この年12月、幕府は大政奉還。

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明治元年(1868年)、4月官軍江戸進攻、5月上野戦争。 芳年三十歳。 

彰義隊と官軍の実際の戦いを弟子の年景とともに取材した作品、『魁題百撰相』を刊行。 

以降、芳年の作品は故事歴史ものに集中する。 

と同時に風俗画『東錦浮世稿談』なども発表する。

 

 

第郡 (明治3年1870〜明治8年1875)

明治3年(1870年)三十二歳。 このころから神経衰弱に陥り

極めて作品数が少なくなる。 

明治5年(1872年)、自信作であった『一魁随筆』のシリーズがかんばしくなく、

ショックを受け、強度の神経衰弱に陥る。 躁鬱病の鬱状態と思われる。 

生活も貧窮の極に達したと云われる。 このとき愛妾お琴と別離している。

翌明治6年(1873年)には立ち直り、新しい蘇りを意図して
号を「大蘇」に変える

(それまでの号に一魁斎、一魁、玉桜、などがある)。 

名を改め、気を一新して作品を発表しはじめが、前期の合戦ものなどから、

明治初期風俗ものに移ってくる。

明治7年(1874年)三十六歳。『郵便報知新聞(錦絵)』を創刊し、翌年に及ぶ。 

これは当時の事件を錦絵に仕立てたもの。 

兄弟子芳幾は『東京日々新聞』を出したが、芳年の人気は芳幾を凌駕した。 
また、芳年自身文明開化になじめずにいたらしいが、旧江戸人にも徳川家再興の

願いがあって、錦絵もこれに応ずるかのように徳川家関係の物が刊行され、売れた。


 
| 浮世絵 | 07:47 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
月岡芳年について

yoshitoshi1

月岡芳年(つきおかよしとし
、大蘇芳年とも、1839〜92)は、

幕末から明治にかけて活躍した浮世絵師です。

鎖国の世から突然の文明開化を求められた動乱の時代の中、激しい個性に

満ち溢れた作品を次々と生み出し、しばしば「最後の浮世絵師」とも称されています。

 

武者絵や戯画で知られる歌川国芳の下で浮世絵を学んだ芳年は、

武者絵や歴史画、美人画などさまざまなジャンルで活躍しました。

 

当時の人気は随一で、名実ともに明治時代を代表する浮世絵師と言うことができます。

迫力ある構図が特徴で、血みどろ絵と呼ばれる残酷な表現や

女性の妖艶さを捉えた美人画などの魅力は、時代を越えて現代の私たちをも

惹き付けて止みません。

江戸川乱歩・三島由紀夫などの偏愛のために「芳年といえば血みどろ繪・無惨絵」

と思われがちだが、その画業は幅広く、歴史絵・美人画・風俗画・古典画・役者絵に渡る。

近年はこれら無惨絵以外の分野でも再評価されてきており、

彼の作品は海外でのほうが評価が高い。 

また当時、没落していく浮世絵師の中で成功したこともあり「最後の浮世絵師」と

評価されることもある。
河鍋暁斎とは、ともに歌川国芳に師事した兄弟弟子でもある。

明治25年54歳で病死する。

 

1.略伝

天保10年(1839年)、江戸新橋南大阪町)の商家である吉岡兵部の次男、

米次郎として生まれる。 ただし父については諸説あり、定かではない。 

のちに、京都の画家の家である月岡家の養子となる。

月岡芳年の画業は、5つの期に分けられる。

 

まず第鬼 <12歳で入門、15歳にして錦絵を発表>

第鬼 (嘉永3年1850〜元治元年1864)

嘉永3年(1850年)、十二歳で歌川国芳に入門。 (前年に葛飾北斎が永眠。)
嘉永6年(1853年)、十五歳のときに処女錦絵作品「文治元年平家一門海中落入図」

を一魁斎芳年の号で発表。
以降、芝居絵、役者絵、子供繪、故事、歴史繪の類を師国芳のもとで修行し、


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houne1

安政5年(1858年)には、二十歳で「江戸の花子供遊の図」(三枚続)を版行。

万延元年(1860年)二十二歳頃から、芝居絵、役者絵、歴史繪のみならず吉原繪、

横浜絵、など多岐に亘るジャンルで小品、大判、三枚続大作などの作品を刊行し始める。
文久元年(1861年)には師歌川国芳が没している。(享年65歳)

 

供↓掘↓検↓拘の作風は順次記載していきます。

 
| 浮世絵 | 07:21 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
太田美術館にて月岡芳年の浮世絵を観賞する

oota

太田美術館が造られた理由

浮世絵は、我が国独自の大衆美術として、江戸時代前期に誕生し発展したものです。
しかし江戸時代末期より明治時代にかけ、
欧米に膨大な数量の秀品が流出し、

版画、肉筆画の鑑賞は、海外に出向かなければ不可能とさえ言われるようになりました。

五代太田清藏(1893〜1977)は、このような実情を嘆き、昭和の初めより

半世紀以上に渡り浮世絵の蒐集に努めました

そのコレクションは約12000点にのぼります。
太田清藏は生前、このコレクションを一般に公開し、情操教育の発展に寄与する

ことを強く願っていました。遣族はその遣志を受け、未公開であった作品の展示を行い、

広く我が国の美術振興の一助とすることを決意し、美術館開設に至りました。

五代太田清藏コレクションは、浮世絵の初期から末期にいたるまでの代表作品を

網羅しているばかりでなく、色目の美しい、保存状態に優れた作品が多く含まれる

ことに特色があります。

現在開催されている「没後150年記念 月岡芳年」
11月1日から11月25日の特別展です。


yoshitoshi

月岡芳年の「月百姿」は、前々から大好きな作品集であり、ここのところ月に関する

話題が私の周りに多く(月食、十三夜、国立天文台、等等)こともあり、楽しみに

観てまいりました。

思った以上に素晴らしい作品が多く、江戸から明治にかけての最後の浮世絵師として

月岡芳年。

もっともっと日本美術界で高く評価されるべき人物だと強く感じ満足して帰ってきました。

明日のブログで月岡芳年について詳しく書いてみます。 
| 浮世絵 | 07:31 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
NHKの牧野氏に教えていただいた浮世絵の世界

NHKの牧野様から、浮世絵の見方を教えていただき、新たな浮世絵の
世界を少し知ったなかで、
きわめつきは、鍬形恵斎(くわがた・けいさい)

「江戸鳥瞰図」だった。

当時世界一、人口百万人、大江戸の繁栄のさまを

空の上から一望した浮世絵だった。


kuwagata
 

向島の上空から西の方向を見渡す。真正面に富士山がみえる。

隅田川が右から左にゆるやかに流れ江戸湾にまで注ぐ。

手前の吾妻橋を渡るところに浅草・浅草寺、上野寛永寺

青山、赤坂、そして左に新橋、品川、遠く千葉まで描かれていた。

私の持っているデーターでは細かな地名は読み取ることは出来ないが
NHKのデーターのすごいのは、すべての文字が拡大して読めることだ。
 

見せていただいたデーターには、地名がカタカナでかかれており

観ながら写生しないとこれだけ精密な絵は書けない。

 

鳥瞰図(ちょうかんず)と名づけられているので

鳥となって空から見通した絵なのであるが

この絵 

先日、歌川国芳が描いた「東京スカイツリー」が書かれていると噂される
浮世絵を
紹介したが、実は本当に、ここに東京スカイツリーあったので

鍬形恵斎が展望台に登り描いたので

このようなすごい浮世絵がうまれたのかもしれない。

kuniyoshi 


こんな見方が浮世絵で出来るとは、NHKの牧野氏に

教えていただいたからこそである。

 
| 浮世絵 | 07:09 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
広重の浮世絵に残る「安政の大地震」の爪あと
先週NHKを訪ねた。

浮世絵デジタル化プロジェクトの中心であったNHKプロモーション 

執行役員 牧野健太郎氏にお会いした。


ボストン美術館所蔵の2万点にもの浮世絵を

高細密デジタルデーターとした大プロジェクトだった。

デジタルデーターにすることによりその絵が描かれた時の色が

再現できるのである。また、見えないほど細かく描かれたものが

見えてくる。

パソコンでデーターを見せていただいて、牧野氏よりいろいろ説明していただいた。

実際に刷られた本物を我々が、ルーペで詳しく観ることは不可能だったが、

デジタル化することで、部分部分を拡大できることで

いままで見えていなかった事実がみえることが理解できた。

見せていただいたことで、浮世絵の見方がかわってしまった。

asakusa 

歌川広重の「江戸百」といわれる最後の大作がある。

その中に「浅草金龍寺」と名づけられた1857年作の浮世絵がある。

これは、現在の浅草の雷門と浅草寺の絵である。

ここに安政の大地震の証拠を知った。

安政の大地震について詳しい記録が残されていないのであまり知られていないが

安政の大地震

江戸時代後期の1855年11月11日(安政2年10月2日)の

10時頃、関東地方で発生した地震(マグニチュード6.9)である。

直下型地震であったと考えられており、江戸においては江戸城の石垣が

崩壊し、本所や深川など下町を中心に死者約4300人

倒壊家屋約1万戸など大きな被害があった。この地震で水戸藩主徳川斉昭

腹心で水戸の両田といわれたと戸田忠太夫、藤田東湖が死亡、

更に、大番頭の逸見長道が死亡したとの説もある。

 tower(東京タワーの上部が曲がってしまった時の写真)

この浮世絵が作成されたのが安政の大地震の翌年1856年であると推測できる

なにが描かれているかというと

五重塔の上にある九輪が地震で曲がっているということだ。

東日本大震災で東京タワーが曲がったことを前に書いたが本当に同じようなことが

江戸時代に起こっていたことを浮世絵で知った。

| 浮世絵 | 07:47 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

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