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雑誌「DIME 2月号」で「日常が変わる 腕時計選び」という特集がされていた

dime1


その巻頭のページ 「機械式」の「ミドルライン」

ウオルサムのムーブメントが1ページで掲載されていました。


dime
 

その説明文によりますと

 

1900年代初頭に製造・販売されたウオルサムのポケットウオッチ。

1世紀近い年月を経た今も、実直に時を刻み続けている。そんな愛すべき1本

をぜひ見つけてほしい。・・・と

 

この写真のウオルサムは、シリアルNo22604723

2千200万台である。ウオルサムは1854年 N0.100からスタートして

3500万番まで連綿と、製作番号が刻印されていて、この番号から

この時計は、1919年製造された時計であることがわかります。

95年前に作られた時計が、今でも動くことが奇跡でしょう。

ウオルサムは

何年に製造された、どの大きさの、どのムーブメントかが、すべてわかるのです。

 

| waltham ウオルサム | 07:25 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
私が愛用するウオルサム・リバーサイドについて

ウオルサム社が、この復刻版の懐中時計を製造するにあたり、カタログが

作られていましたので紹介します

紹介文章

このたび、懐かしい名品ウオルサム・リバーサイドのレプリカ(複製品)を

お届けできますことは、このうえない喜びです。

ノーベル賞作家、故川端康成氏をはじめ、

世界の名士の紋章として伝説的に語り継がれてきた時計、その復元は、

クオリティと味わいを伝統とするウオルサムならではの妙技です


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<リバーサイド>のネーミングの由来

ウオルサム時計会社は、1850年にアメリカ・マサチューセッツ州ウオルサム市に流れる

チャールズリバー(Charles River)河畔に設立されました。

後年、世界時計界を代表する懐中時計が世に出されたとき、この地に因んで 

RIVERSIDE (リバーサイド河畔)と命名されたのです。

 

river
 

このウオルサム・リバーサイドは、今世紀初頭の時計界に於いて、最高傑作と謳

われた WALTHAM RIVERSIDE をそっくりそのまま復元した謹製です。

現在僅かに存命する当時の技術者を訪ね、また発見不可能と思われたその

時代の時計製造機を探し当ててはじめて作り得た完全な復元品です。スイスは

恐らく最初にして最後となる画期的な事業の成果と自負するところであります。


move

ムーブメントの表面は美しいスピン仕上げが施されています。この文様は10数

工程を経てはじめて完成されるウオルサム・リバーサイド独自のパターンで、

当時の技術そのままの細心の手作業によってなされています。

また、ムーブメントに彫られた製造ナンバーやペットネームは熟練彫刻師による

もので、個性的でデリケートなバランスの書体を見事なタッチで表現しています。

 

掌にやさしいプレクシガラス、目に和むエナメル仕上げの文字盤やインデックス、

スナップ式で蝶番の付いた裏蓋・・・など現在ではほとんど見ることの出来なくなった

時間をたっぷりとかけた手仕事も見事に再現しています。

また、各パーツの忠実な復元のほかに、ウオルサム・リバーサイドの持っている

独特の香りも見事に再現いたしました。

それは例えばリズミカルに刻むセコンドの音、そしてネジを捲く時のリューズの

感触にまでも求めた完璧な気配りに表れています。


wa 

機械式懐中時計、これから百年以上も使うことができる時計である。

わたしの持っている時計で最も古いものは1880年製造だから

133年前のものであるが、今でもほぼ正確に時を刻む。


150万円であっても、百年使えれば 1年 1万5千円にすぎない。

考えてみると、安いものかもしれない。


自動車だと,たとえ1000万円の車でも20年もたてば、お金を払って
処分しなければならない。

時計というのは、百年経ってもその機能を有す。価値あるものだと思う。

 
| waltham ウオルサム | 07:48 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
私の所有しているウオルサム・リバーサイド(故川端康成モデル)

久しぶりに趣味の時計について書いてみようと思う。

川端康成氏がウオルサム・リバーサイドを愛用されていたのは有名な話である。


kawabata
 

写真はノーベル賞作家川端康成が長年愛用していたウオルサム・リバーサイド(実物)。

ムーブメントのシリアルナンバーから1914年製であることがわかる。

この時計、当時の価格で250円だったといわれている。

小学校教師の初任給が12円の時代だから、初任給の約21倍。

現在の初任給を15万円とすると 315万円に相当する。

当時の舶来懐中時計、自動車が買えるほど飛びぬけた高級品であった。

ウオルサム・リバーサイドは、1874年から米国で作られ、バンガードや

クレセントストリート、ロイヤルなどと、ともにウオルサム社の代表的ムーブメント(機械)

であった。

 

川端康成氏がこの時計を気に入ったのは、リバーサイドという名称からだろう。

川(リバー)、端(サイド)=Riverside

とういうのはすぐに推測がつく。

1914年製の時計の文字盤には、Riverside の文字は表記されていないが、裏蓋を

開けるとムーブメントに Riverside と大きく彫刻されている。

原稿を受け取りに来た出版社の人間に、川端氏は、

「この時計は、River(川)、Side(端) だろう」と洒落っ気をみせたことが伝わっている。


waltham
 

わたしの持っているRiverside は、1980年ごろに、スイスのウオルサム社が

総力をあげて1914年モデルを忠実に復刻した懐中時計である。

発売価格は、150万円。

限定モデルであったため日本国内での流通量は、非常に少ない。

スイス・ウオルサム社の粋を集めた代表的時計である。

 
| waltham ウオルサム | 07:06 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
さらにリンカーンの時計の文字盤の下に秘密のメッセージが刻まれていたことが最近判った

waltham6

リンカーンは、南北戦争の直前に、このウオルサム懐中時計を修理に出していた。

戦争の際、時計がいかに需要なものとなるか

リンカーンはわかっていた。

正確な時間に一斉攻撃を行うために、時計には絶対的な正確さを要求したのだ。

 

この時計を預かったのはワシントンのペンシルバニア通り(Pennsylvania Avenue)

にある時計店M.W. Galt and Co.に務めていた時計職人ジョナサン・ディロン

Jonathan Dillon)だった。

ムーブメントを修理すると同時に、リンカーンの時計の文字盤の下(普通は文字盤を

外すことはないので後日オーバーホールしても気が付くことのない場所)に文字を

彫りこんでいた。


waltham
 

刻み込まれた秘密のメッセージは

April 13 1861

Fort thumter was attacked by the rebels

 Thank God we have a gavernmennt.

(Jonathan Dillon)


翻訳しますと

「サムター要塞は反逆者に攻撃された。

私たちには政府があることを神に感謝する」

この時計がリンカーン大統領の所有するウオルサムの懐中時計であったことが重要だ。

この年1861年3月4日にリンカーンは大統領に就任し、そして1ヶ月後の

4月12日南軍がサムター要塞を攻撃して南北戦争の戦端が開かれたことで、

重要な意味を持つ。

修理したのが この懐中時計に彫りこみがなされた4月13日南北戦争開始の翌日なのだ。

 

時計職人ジョナサン・ディロンは、北軍に属し、大統領のリンカーンに

絶大なる信頼を置いていたことが、この文章で理解できる。

 

開戦当初は南軍が優勢だったが、最終的にリンカーンの北軍が勝てたのは

このように市民の信頼が高かったことによるのだろう。


(るんるん様のご指摘で気づきました、攻撃したのが北軍だと勘違いしてそのまま、
 南軍北軍を逆に書いておりました。大変申し訳ありませんでした。
 るんるん様有難うございました今後ともご指導ご鞭撻の程宜しくお願いします。
 なお、リンカーンは北軍を率いてグラント将軍が南軍のリー将軍を
 打ち破ったのでした。)
| waltham ウオルサム | 07:57 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
米国16代大統領リンカーンが愛用していた懐中時計は「ウオルサム」

lincoln3

4月に日本でも封切りされるスピルバーグ監督の映画「リンカーン」

映画はアカデミー賞最多の12部門でノミネートされ、リンカーン役の

ダニエル・デイ=ルイスは史上最多となる3度目の主演男優賞を受賞、

さらに作品はアカデミー美術賞も受賞している。

関東では4月19日からお近くの映画館で観覧できる。

 

昨年も「リンカーン秘密の書」という映画もあったが、第16代米国大統領

エイブラハム・リンカーン(Abraham Lincoln)が今まさに注目されている。

 lincoln1


このリンカーンが愛用していた時計

現在米スミソニアン協会(Smithsonian Institution)のスミソニアン博物館内の

米国歴史博物館(National Museum of American History)に展示されていました。

 

時計は、リンカーンのお孫さんが寄贈した歴史的時計である。

時計は、1857年製のウオルサム・バートレット

当時、米国の技術の粋を結集した最高級懐中時計である。

 

リンカーンは1850年代、イリノイ(Illinois)州スプリングフィールド(Springfield)の

宝飾店でこの金色の懐中時計を購入したという記録があったが実際の時計の

写真がようやく入手できたのでご披露します。


lincoln
 

18金のケース、金色のチェーン付き

A L(Abraham Lincoln)の刻印を彫刻されたボタンが付属する。

 

スピルバーグ監督は映画の中で、この本物のリンカーンの時計

「ウオルサム・バートレット」のカチカチ刻む音を映画の中に使っています。

 

当時のウオルサム社は、社名がアメリカン・ウオッチ・カンパニーであり、

ウオルサムをブランドとして販売していました。

そのため、文字盤には WALTHAM のロゴはプリントされていませんが、

ムーブメントにWALTHAMの刻印がはいっています。


もちろん当時の懐中時計は、鍵巻き式で、裏蓋をあけるとゼンマイを巻き上げる
鍵穴があり、付属の鍵で巻き上げるのです。


 
| waltham ウオルサム | 07:36 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
リンカーンの懐中時計に刻まれたメッセージその時計は?
先週「リンカーンの時計内部に、南北戦争についての言葉が刻まれていた」と

ロイター通信が伝えた。

この写真をご覧になった方も多いとおもうが、では、この時計はどこのメーカーの

懐中時計だったのだろうか?

 

刻印は、リンカーンの時計を修理していた時計屋のジョナサン・ディロン氏に

よって1861年4月13日に彫られたもので、その前日に始まった南北戦争に

関して「サムター要塞が反逆者に攻撃された」「わたしたちには政府があることを

神に感謝する」などと記されている。

すなわち、1861年に修理にもちこまれたのでそれ以前に購入された品であることが分かる。

わたしの持つ文献の中で平和堂貿易株式会社の最高顧問「高木克二」氏の書かれた

「ウオルサムものがたり」(プレジデント社発行非売品)の16ページに

リンカーン大統領の工場訪問を全社員が整列して迎えた。

威風堂々たる工場の全貌と活気がうかがえる。とコメントされた写真と

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リンカーン大統領が愛用していたウオルサム時計のエッチング

w5 

が記載されていた。

ウオルサムといえば、1850年アメリカ、ウオルサム市に創業された1800年代の

世界一の時計会社であり、このエッチングにある時計と同一と思えるモデルが、

1857年に造られたバートレットと呼ばれる名ムーブメント懐中時計が現存する。

w7 

エッチングと較べるとほぼ同一と確信できる。

 

しかし、発見された文字が刻まれた部分は、裏蓋を開けてムーブを見た写真ではなく、

すべてケースから離し、針、文字盤を外した字板部分に彫りこまれたものである。

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ムーブを観れば確定できるのだが、穴位置で推定するしかないのであるが、

推定であるがこれは、ウオルサム・バートレットであると私は結論つける。

 

約150年前のリンカーンの時計が、今、何を語りたかったのだろうか?

再度、リンカーンについて調べてみようと思う。

| waltham ウオルサム | 07:03 | comments(5) | trackbacks(0) | pookmark |
リンカーンの懐中時計に秘密の文字が・・・
3月11日のAFPBB Newsの記事を再度掲載します

この記事の最初のページに本当に珍しいことですが、ミスプリントがありました。

 

「第16代大統領、エイブラハム・リンカーン(Abraham Lincoln)の懐中時計の内部。

南北先頭(戦争)についての言葉が刻まれているのが分かる(2009年3月10日提供)

 

本文

 米スミソニアン協会(Smithsonian Institution)は、約150年前、リンカーンが大統領に

就任し南北戦争が開戦した直後にこの時計を修理した職人ジョナサン・ディロン

Jonathan Dillon)が懐中時計に刻んだ言葉を発見した。

南北戦争の発端となったサムター要塞(Fort Sumter)の戦いに言及し、

リンカーン大統領就任後の南部諸州の脱退を懸念しているようなメッセージだ。

「サムター要塞は反逆者に攻撃された。幸いにも我々には政府がある」

 1906年、当時84歳だったディロンはニューヨーク・タイムズ(New York Times)紙に、

ワシントンのペンシルバニア通り(Pennsylvania Avenue)にある時計店

M.W. Galt and Co.に務めていた際にリンカーンの時計を修理したと語っていた。

文字盤のねじをはずし、鋭利な道具で言葉を刻み込んだという。

w3

 歴史家たちは懐中時計に刻まれた言葉の存在をこれまで疑問視してきたが、

今回の発見でそれが事実だったことが確認された。

 リンカーンは1850年代、イリノイ(Illinois)州スプリングフィールド(Springfield)の

宝飾店でこの金色の懐中時計を購入した。

 米国歴史博物館(National Museum of American History)の

ブレント・グラス(Brent Glass)館長はリンカーンが懐中時計に刻まれた言葉を知ることは

なかったと述べ、「後世に何か残そうと考えた普通の時計職人による、歴史上の

ごく個人的なできごとですよ」と語った。(AFP)

 

以上であったが、館長の個人的なできごとと言うのではなく、
この時計が修理に出された日の前日
の4月12日に、
南北戦争の火蓋が切って落とされた。わけであり、その時に修理に出すということは

活動に際し、正確な時の重要性をリンカーンが意識してのことで
意味あることだと私は思う。

そして、この時計が、ウオルサム・バートレットであったのだ。
 

リンカーンについては、オバマ大統領が演説の中に引き合いに出すなど

150年経ってもその思想は引き継がれているのである。

| waltham ウオルサム | 07:34 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
最近一番気になっているウオルサムの腕時計
waltham
先週21日に「月に行ったウオルサム」をブログに書きました。
この歴史的ウオルサム・クロノグラフを現代の最新テクノロジーで蘇らせたのが
ウオルサム・ローンイーグル(孤高の鷲)です。
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この名称は、太平洋無着陸飛行を成功させたリンドバーグの愛称の
ローンイーグル(孤高のワシ)と名づけられたもので
リンドバーグが太平洋単独飛行の際、その記念すべき時を計ったのが
唯一ウオルサムの航空時計であったことからつけられました。
(ロンジンが有名ですが実際飛行にはロンジンは関係なく、その後
 航空時計としてリンドバーグが開発にたずさわって商品化されたのです)
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長い距離を飛ぶために多くの燃料を必要として、時計は1点ウオルサムのみでした。
リンドバーグは機体を軽くするため食事すらほんの少ししか積まない、腕時計も
もちろん着けておりませんでした。
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クロノグラフとしての最高の技術を結集したこの時計には
C.O.S.C.認定クロノメーターの自動巻きムーブメントでこれはデュボア・デプラ社製
GMT(セカンドタイムゾーン)付きクロノグラフ、フライバック方式
価格が 945000円 この機能であれば、150万円でも安いぐらいである。
頑張って買いたいと思っているいい時計だ・・・
| waltham ウオルサム | 07:47 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
米国ブキャナン大統領とウオルサム
使節団一行は1860年6月20日、ニューヨーク市のメトロポリタン・
ホテルでの歓迎会の席で米国からの贈り物としてウオルサム金時計2個を
贈られている。
一つは第14代将軍徳川家茂に、もう一つは首席大使新見豊前守へであった。
waltham2
将軍への金時計は両蓋式で表蓋にブキャナン大統領の肖像が細密に彫刻され、
裏蓋には翼を拡げた鷲の国章が刻まれている。
文字盤はアラビア数字のインデックスとなっているがそれぞれに対応する
漢数字が手書きで書き込まれていた。

この時計実物は麻布台の外務省外交資料館に収蔵されている。
同館の資料目録に「ブキャナン大統領より贈られた金時計とメダル」という
タイトルで次のように説明されている。
waltham3
「万延元年(1860)日米修好通商条約批准書交換のため渡米し、
ブキャナン大統領に謁見し使節団に贈られたものである。
この時計は二個贈られたうちのヒズ・マジェスティ・オブ・タイクーン・
オブ・ジャバン宛のものといわれる。
| waltham ウオルサム | 07:42 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
今日、2月26日は「咸臨丸の日」だそうです。
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1860(万延元)年、江戸幕府が日米通商条約批准のため米国に派遣した使節団が、
咸臨丸で太平洋を横断してサンフランシスコに到着した日です。

日米修好通商条約批准書交換のため新見豊前守を正使とした遣米使節一行が
米艦ポーハタン号でアメリカへ赴いた。咸臨丸は随行であった。
咸臨丸には勝海舟が船長で福沢諭吉らが乗船していました。

4月 3日 日米修好通商条約の批准書を交換。
5月19日 ブキャナン アメリカ大統領と謁見
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5月23日 条約交換の日
6月24日咸臨丸品川に到着

使節団一行は6月20日、ニューヨーク市のメトロポリタン・ホテルでの歓迎会の席で米国からの贈り物としてウオルサム金時計二個を贈られています。
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一つは第14代将軍徳川家茂に、もう一つは首席大使新見豊前守へであった。
この将軍へ贈られたウオルサム金時計については米紙「フランク・レズリーズ・イラストレーテザ、ニュース・ぺーパー」(1860年6月30日号)に詳述されている。

このウオルサム金製懐中時計は、当時のアメリカの近代化を象徴する品として将軍あてに贈られたわけで、ウオルサムという時計が、歴史上大きな意味をもつ。

この時計の実物が外務省外交資料館に保存されている。
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わたしは、実際手に取り今でも正確な時を刻んでいることを確認しました。
この写真は、私が直接写真に写したものです。(手袋は私の手です)
| waltham ウオルサム | 07:13 | comments(3) | trackbacks(0) | pookmark |

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