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ベルギーのアントワープを訪ねたのは、10年ほど前だった

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歴史ある市庁舎の前で

ブリュッセルから約50km、汽車で30分。人口48万のこの町はブリュッセルに

次いで二番目に大きな町です。

スヘルデ川(フランス語でエスコー川)の河口にある世界第三位の港町。

アントワープは、15世紀来ダイヤモンド産業の中心地

取り引き総額は年間390億米ドル、世界のダイヤの7割はアントワープで

取り引きされています。
アントワープ

15世紀後半にブルージュを追い越してフランダースの毛織物交易の中心地となり、

さらに16世紀にはスペインやポルトガルが植民地から仕入れた品物をさばいて

隆盛をきわめました。

一時スペイン領となって衰えましたが、現在は活気のある臨海工業地帯として、

バロック芸術の花開いた芸術の都として、ダイヤモンドの町として、

そしてファッションの町として国際的に知られています。

日本人にはとくに名作「フランダースの犬」の舞台の町として有名です。
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 宿泊したホテルの部屋もおしゃれ

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そして、高速列車の発着駅となる中央駅のロータリーの近くにあるのが、

世界最大規模となるダイヤモンドに特化した専門博物館。

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ダイヤモンド産業の歴史や研磨技術、仕上げまでの全行程を豊富な展示と

資料で紹介します。月曜から金曜までは昔ながらの工房内で、地元の研磨職人に

よる加工作業の一般公開も。「カット・イン・アントワープ」と呼ばれ名高い職人技術を

間近で見学できます。溜め息の出るようなジュエリーコレクションの数々も見逃せません。

この博物館のある中央駅付近は、4つのダイヤモンド専用の取引場や関連会社が

集まる世界でも珍しいダイヤモンド街。

1500以上のダイヤ関連会社が密集し、有名宝石店も数多く集まる。

 
| 世界の旅・ベルギー | 07:35 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
オードリー・ヘップバーン主演映画「尼僧物語」の舞台となったペギン修道院
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中世に始まったベギン会は、一人の指導者のもとに質素で敬虔な生活を送る

婦人たちの集団で、会院(ベゲインホフ)の中で起居していました。

ブルージュのベギン会は、1245年にフランドル伯夫人によって設立されたもの

ですが、現在の建物は17世紀以降のものです。

白い建物が緑の中庭を取り囲んで、静穏な雰囲気をただよわせています。

現在はベネディクト会女子修道院として利用されています。

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映画「尼僧物語」のあらすじ
第二次世界大戦頃のヨーロッパ、ベルギーのブルージュ。医師の娘ガブリエル

(オードリー・ヘップバーン)は父親の反対を押し切り家族や恋人との関係を断ち

切って修道院に入る。
この修道院の舞台は、ブルージュのペギン会であった。

そこでは修道女となるための厳しい日々が待っていた。落伍していく者もいる中、

彼女はシスターの名をもらい、看護尼としてコンゴに派遣される。

そこで無神論者であるフォルテュナティ医師 (ピーター・フィンチ)の下で

働くことになる。

休む暇もなく忙しい日々の中、最初は医師に反感を抱いていた彼女も医師の

優しさや心の大きさに惹かれていくようになる。過労がたたり、結核にかかるが

医師のおかげで快方に向かう。その中で彼女は次第に自分の信仰に疑問を

抱くようになってきた。医師は「君は神に対する愛より人間に対する愛の方が

強い」と言う。やがて彼女はベルギーに呼び戻された。祖国はナチスに侵略され、

父は殺され兄弟たちも行方がわからなくなっていた。

聖職者は地下活動を禁じられていて、修道院はそのような状況とはいっさい

関わろうとはしなかった。彼女は悩み苦しんだがついに還俗を決意する。

尼衣を脱ぎ元の服に着替えた彼女は門を開け修道院を後にした、
| 世界の旅・ベルギー | 07:48 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
ミケランジェロ作の聖母子像があるノートルダム教会

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ブルージュを代表する教会ノートルダム教会は、10世紀に建てられた。

高さ122メートルの尖塔。
ノートルダム教会の内部には、ミケランジェロ作の貴重な聖母子像がある。

ローマにおいて「ピエタ」を完成させたほどなく彫られたもので

大理石の美しい像である。

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この北の地にミケランジェロが来て、彫刻を作るということは、

いかにブルージュが経済的に力を持っていたかを証明するものであろう。

 

 
| 世界の旅・ベルギー | 07:51 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
北のヴェニス「ブルージュ」
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「北のヴェニス」と呼ばれる水の都ブルージュ

 

何よりも街を際立たせているのは、水路(運河)と


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その上に架けられている多くの石橋であろう

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石橋と数百年の歴史的建物、そしてそれを映し出す水の流れ

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まさに光と影が醸し出す幻影の世界のように思える

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ホテルの部屋から運河を望む
| 世界の旅・ベルギー | 07:42 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
カリオンが鳴り響く鐘楼

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ゴシックの体表的建築

商業活動の中心地、マルクト広場にそびえる鐘楼
高さ 83m。ここで鳴らされるカリオンの調べは、世界一である。

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聖血礼拝堂(H.Bloedbasilied)

12世紀に十字軍に参加したフランドル伯のティエリー・ダルザスが、

コンスタンチノープルから持ち帰った「聖血の遺物」(キリストの流した血)

奥の祭壇に納められています。

下部は聖バシリウスをまつった12世紀ロマネスク様式の礼拝堂ですが、

上部の聖血礼拝堂部分は15世紀にゴシック様式に改修されました。

聖血をおさめる厨子は別室に陳列されています。

 

 
| 世界の旅・ベルギー | 07:34 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
ブルージュは蘇った街だった

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          私の写真の後ろに下の14世紀の街並の銅像がある
しかし、繁栄はやがて衰退をもたらすものであった。

当時の経済の基盤は、繊維産業だったのですが、

内陸に入るブルージュは海からの運河が流通の手段でした。

この運河が砂などの堆積物で浅くなってしまい船がブリュージュまで入ってこなくなり

近くのアントワープに着くようになったのです。

それによりブルージュは衰退していき、約200年街は捨てられていたのです。

この街を再生させたのがフランスの小説家ローデンバックが「死都ブリュージュ」でした。

たぶん1870年ごろに書かれたのだと思うが、彼がこの街を舞台に小説を

書いたことでブルージュが見直され再開発されたのだ。

200年間手付かずの死都だったことで14世紀そのままの形で街が再生できたのでした。

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ローデンバック       小説「死都ブリュージュ」

そこは灰色の都。
40歳になるユーグ・ヴィアーヌは愛する妻の死後、フランドル地方の都市ブリュージュ

に引っ越してきた。妻の死は彼から生きる気力を奪い、彼は喪に服し、家政婦を雇って

静かにやもめ暮らしを送っている。

ブリュージュはカトリックの信仰篤く、「信仰深い女」の面影のある都市。雨と霧、沈黙と

憂愁に支配されたブリュージュでの生活は、悲しみに沈むユーグに安らぎをもたらす。

半ば死者のような、半ば修道僧のような暮らしを送るユーグ。

しかし、町中で妻と瓜二つの若い女を見かけたとき、彼のこの暮らしは終わりを迎える。

亡くなって5年、常に脳裡を去らなかった妻の顔がいま幻のように目の前に現れたのだ。

彼は呆気にとられ、そのあとでこの女の素性を探る。

彼女は踊り子で、名をジャーヌといった。ユーグは彼女を情婦として囲う・・・・・ 
| 世界の旅・ベルギー | 07:26 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
ベルギーの古都ブルージュ
土曜朝TV「旅サラダ」を観ていたらベルギーのブルージュが取材されていた

懐かしくなった。

 

何年か前の夏期休暇を使いベルギーを訪ねました

このときは、アントワープ2泊、ブリュッセル1泊、ブルージュ2泊、デリュビイ1泊という

ハードスケジュールでした。

ブリュッセル空港で、レンタカーを借り1週間ベルギーを巡ったのです。

すべての街が魅力的で歴史の奥深さを感じさせる素敵な場所で

多くの思い出が作れました。

今回は、ブルージュをご紹介いたします。

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  運河を進む船から街を写した写真です(人の頭もご愛嬌)

ブルージュという街の名前は、橋を意味するフラマン語Brugge(ブリュッヘ)に由来します。

仏語:Bruges(ブリュージュ)、英語:Bruges(ブルージュ)
ブルージュの街

12世紀初頭にフランドル伯ボードゥアン2世が、ヴァイキングとして各地の海岸を

襲うノルマン防衛のためにこの地に砦を築きました。

砦はやがて町へと発展し、14世紀には北西ヨーロッパを代表する商業都市となりました。

特に15世紀の初めに、ブルゴーニュ公国のフィリップ善良公が、豪華な宮廷をここに移し、

学問芸術の保護者となってからの繁栄はめざましいものでした。

ガントやイーブルとともに毛織物売買の中心地であり、ハンザ同盟の主要な都市で

あったブルージュは、「黄金の世界」と讃えられました。

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ブルージュでは、洗練された芸術に加えて、宗教的建造物が都市の美観と風格に

拍車をかける。13世紀に着工され、15世紀に完成した中央広場のベフロワ

(鐘楼を兼ねた物見の塔)、
ノートル・ダム教会、サン・ソヴェール聖堂、エルサレム教会、サナ・サン大聖堂・・・
ブルージュのめぼしい教会や聖堂は、すべて13世紀から15世紀にかけての

黄金時代に建築されたものです。

| 世界の旅・ベルギー | 07:50 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
2年に1度、それもたった1日だけのブリュッセル「フラワーカーペット」

せっかくですから、ブリュッセルのグランプラスをもう少し詳しく

実はこの時、アントワープ、ブルージュ、デュルビイも訪ねました。

それぞれの街が歴史の博物館のようで素晴らしく、そのうちブログで紹介します。

 

いずれにせよ、「フラワーカーペット」は、720日分の1日の確率しかない日に

奇跡的なタイミングでベルギー・ブリュッセルを訪ねたことになりました。

 

ブリュッセルの中心。市庁舎、ギルドハウス、王の家、ブラバン公の館といった

歴史的建物に囲まれたグランプラスは世界遺産に登録されており、

ブリュッセルを訪れる人なら必ず立ち寄る場所。

グランプラスとその周辺には老舗のカフェやレストラン、

お土産物屋が数多く立ち並ぶ。土日でも開いている店も多く、

チョコレートやレースなどお土産のショッピングにおすすめ。

ギャルリ・サンチュベールや食べ物横丁のイロ・サクレ、ファッションの店が

立ち並ぶダンサール通りも近く、グランプラスを中心に、各エリアへの街歩きする。

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市庁舎
Hôtel de Ville

ブリュッセルを代表する建造物のひとつ。15世紀に建てられたフランボワイヤン
(後期フランス・ゴシック)様式の建物で、中央の塔の高さは96メートルあります。
先端の像は、ブリュッセルの守護聖人である大天使ミカエルです。

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王の家
Maison du Roi

市庁舎に向き合って建っています。16世紀にスペイン王カール5世の命で建てられたのに因み、現在の名がありますが、王様が住んだことはありません。フランス革命後は「人民の館」Maison du Peupleと呼ばれました。1695年に火災に遭い、1873年から1895年にかけて全体的にネオ・ゴシック様式に改築。現在は市立博物館として利用され、「小便小僧」の衣装などが展示されています。

ブリュッセル市立博物館〈王の家〉
Maison du Roi, Musée de la Ville de Bruxelles
ブリュッセルの歴史に関する古文書、古地図、15〜16世紀祭壇装飾、絵画、陶器、小便小僧の衣装。

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ビール博物館
Musée des Brasseurs Belges

ベルギービール醸造者組合が運営する博物館。
18世紀のビール醸造器具の展示や、最新のハイテク醸造法を紹介。

チョコレート博物館
Musée du cacao et du chocolat

カカオとチョコレートについて、その起源から歴史、製法など・…すべてについて学べる博物館。

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| 世界の旅・ベルギー | 07:13 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

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