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もともとこの島には、黒蝶貝が豊富に生息していました。
この貝を母貝にして10年ほど前からフィジーの黒蝶真珠の養殖が成功したのです。
場所は、このとき訪ねたヴァヌアレブ島のサブサブ地区だ。
サブサブの街の銀座通りである・・・
養分豊かな海に育まれた母貝から生まれたフィジーの黒真珠は
独特のテリと干渉色を持っています。
生きのいい天然貝を母貝にするため、金、ブルー、グリーン、赤など
黒の中にフィジー独自の虹のような豊かなカラーバリエイションを誇る
珠が生まれます。
また、黒蝶真珠では貴重な13ミリ以上の魅力的な大珠が産出します。
日本のあこや真珠のように水面のイカダに吊るす養殖ではなく
湾の底に物干し台のように貝を吊るすため、スキューバダイビングで
貝を揚げるのです。
フィジーの黒蝶貝は、非常に強い。
黒蝶貝に挿核施術を行う、3年後に素晴らしい黒真珠が生まれる
「バヌアレブ島」の隣の小さな島「タベウニ島」の脇を日付変更線が走るため
フィジーは世界でいちばん早く朝を迎える国なのです。
ミレニアム2000年の1月1日をいちばん早くフィジーで迎えるツアーが
話題になった。
ダンスはハワイなどと違い、木製のドラムのリズムで男性が踊る戦闘の踊りだ
また、セブセブというカバを飲む儀式がある。
ピリとした舌触り、酒とはちがいリラックスさせる効果のある液体だ。
出張の目的地は、バヌアレブ島のサブサブであった。
ここで、黒蝶真珠を養殖している。
フィジーの首都は、スヴァ(SUVA)である。
位置は、国際空港のあるナンディから車で5時間ぐらいかかるところ。
この時は、水産大臣にお会いすることになっていた
また目的地が、隣の島で、このビチレブ島に次ぐ大きさのバヌアレブ島であったので
スバに近いナウソリ空港から1時間ぐらいのフライトでバヌアレブ島に渡った。
バヌアレブ島のサブサブ空港
フィジーの人口比率で
フィジー系 47.8%
インド系 47.4%
その他 4.8%
ほぼ100%が敬虔なクリスチャン
すべての人がやさしい
初めてなのにすれ違うと「ハロー!」と声をかけてくれる。
子豚の丸焼きをご馳走になった。
フィジーへ行きたいのだと聞かされた。
彼は、ハワイの大学を卒業してワシントンDCで生活したのち日本に戻った
なぜ、フィジーに興味を持つのだろうか?
アメリカ人にはどうもTVドラマの影響でフィジーの人気高いと聞いた。
また、「FIJI WATER」にミネラル成分が多く身体にいいとアメリカで売れている。
日本でも英語の留学先としてフィジーが注目されているらしい。
前に訪ねたフィジーについてもう一度、目を向けてみよう
フィジーが位置するのは、日本から南へ約 7,000Kmの南太平洋のほぼ中央部。
西経/東経 180度、南緯18度を 中心とする、13万hの海上に散らばる島々で
構成される島嶼(とうしょ)国家である。
正式国名は「フィジー諸島共和国」。1970年に英国から独立した新しい国で、
元英国領であったので、公用語は英語だ。
日本からの直航便が発着するナンディ国際空港や首都スバ、
多くの大型リゾートホテルのある「ビチレブ島」を最大として、
島の総数は300以上。
総面積は1万8千平方Kmほどで、日本の四国よりやや大きいくらいです。
その地理的位置のみならず、南太平洋の 民族や文化が交差する島々として
「南太平洋の十字路」とも呼ばれています。
隣にはニューカレドニア、ツバル、サモア、トンガなどがある。
元英国領であったから公用語が英語。
ここで使われなくなった学校の校舎と、英語教師を集め日本人経営者が学校を作った。
少子化や物価の安さで英語学校が非常にリーゾナブルに学校運営できることが
人気のわけであろう。
同じく南太平洋にあるタヒチはフランス領であったため公用語はフランス語
南太平洋の島は植民地の所有国により公用語がかわり隣の島では別の言語である
ことも起こる。
もちろん元もとの言語、タヒチ語やフィジー語を話すこともある。
帰国の前日、首都スバでフィジーの水産大臣とお会いしました。
水産省は、フィジーの首都スバにある。国内線の飛行機で行きとは異なる
ラインで向かいました。
空港にチャーターした車を待たしてある。空港から街までは近い。
スバから、国際空港のナンディまでは、この車で行くことにしている。
(電車はありません。約4時間かかります)
水産省大臣とのアポイント
10月5日11時半アポイントであったが1時間飛行機の出発時間が遅れる
連絡がはいり、水産省に変更の連絡。
飛行機は9時半出発が10時半に変更になってしまった。 45分の飛行時間
首都スバにある水産省に12時に尋ねることになった。
内容は、発表会のご案内ということだったのだが、翌週10月10日ジャスティン氏
が水産省とアポイントになっているため、あまり具体的な話はしないで、
表敬訪問にすませた。
フィジー水産大臣はヤンバキ氏
名刺は
MINISTER FOR FISHERIES & FOREST
Hon. Konisi Tabu Yabaki
大臣であるがとても気のいいおじさんという感じの方であった。
何度かお会いして、私たちのイベントにもご尽力いただいた飯田裕子さん
彼女が出版した本に「フィジーの魔法」(千早書房)があります。
フィジーに興味を持たれた方は、ぜひお読みください。
フィジーの素晴らしさを 島中を巡り体験され撮影・書かれた美しい本です。
私自身は、フィジーに仕事で行ったため、本当の観光地には行っておりません
しかし、仕事先だけでもフィジーの素晴らしさを実感できました。
フィジーの大自然を体験するには、まず下調べを十分にして、訪れることを推奨します。
ブラ!! フィジー
最高です
ジャスティン氏が、我々を歓待してくれ、子豚の丸蒸しの料理をふるまってくれました。
子豚をバナナの葉に包み蒸し焼きにした料理で、南太平洋の多くの島で体験しました
が、フィジーでも贅沢なもてなしとされています。
みんなで野菜や果物、魚もいっしょに野生料理を堪能しました。
養殖場のメンバーをまとめるのが、ジョージ・ワシントン氏(本名)
彼は、村長を務める人格者であるが楽しい人だ。
ジャスティン・パールの事務所にて
会社の大きさは、土地300坪ぐらい。
1階が作業場とジャスティンの部屋 2階にショールームと事務室。
作業場は、タヒチにこの大きさのスペースを取っているところがないほど広い
2階には、ディスプレされたショールームがある。
養殖用資材の作製を地元の村に渡し、村の発展に貢献している。
養殖場は、町の前に島がありその裏側ほとんどを占めている。街から近い海で養殖は、
難しいわけですが、
この島が排水をガードするいい働きをしていました。
養殖は、いかだの上で作業し、1つのブイに約2〜300さがり、1つに20個の真珠貝が
入れられている。
半年で揚げるのが、約25000貝
稚貝から母貝になるまで 3年置きます。この母貝に挿核するのです。
そして18ヶ月たちまして、いよいよ浜揚げです。
すぐ近くにフィジー水産省のいかだがあり、3500貝の養殖をしている。
サブサブで宿泊したのが温泉の湧く場所の傍の高台にあるホテルでした。
このホテルからは、ジャスティン氏の会社まで歩いてすぐなのでとても便利でした。
サブサブの繁華街がここですが、小さな村です。
しかしこの島には、1000メートル級の山があり、手付かずの自然が残る森があります。
この栄養分が雨により海に流れ込み肥沃な海水が真珠の養分になるのです。
FIJI 笑顔の楽園
フィジーは南太平洋の中央部に位置しており、寒暖の差がほとんどない常夏の楽園。
そこに住む人々は大らかでゆったりした気持ちを持っており、
道で出会えば笑顔で「ブラ!」の挨拶がお決まり。
(写真は子供の笑顔でなくてすみません)
フィジーの子供たちの可愛らしい笑顔に出会えば、
フィジーをイメージするのが、ブルック・シールズが若い頃主演した
「青い珊瑚礁」である。美しい海と珊瑚礁、燦燦と照りつける太陽
この映画が撮影されたのがフィジーのヤサワ諸島であった。
フィジー諸島の中で、人口・面積ともに第二位のバヌアレブ島は、
その広さゆえに大変豊富な見所に恵まれています。
素朴な村々が数多く点在する自然豊かな島内には、北側に産業の町ともいえる、
砂糖の精製で発展を遂げたインド人の多く暮らす町、ランバサ。
南側に観光地としてのサブサブという海に面した小さな町があります。
ここサブサブは温泉の湧く町としても有名です。
(ただし、お風呂としてではなく、現地では蒸し料理に使う程度でもったいない)
サブサブには“ダイビングの神様”とも言われる世界的に有名な海洋探検家、
ジャン・ミッシェル・クスト−氏が数人の仲間と共に創設したリゾ-トをはじめ、
最高の条件が整った隠れ家的なプチ・リゾ−トなどもあり、たくさんの美しい
ダイブサイトを訪れながら、フィジーの自然環境を様々なアングルから体験し
楽しむ事のできるエリアといえます。
産業と観光・そして豊かな自然とバヌアレブ島はフィジ−を知るには、
欠かせない存在とも言えるでしょう。
この街からそれほど遠いところでなく、ジャスティン・ハンターの真珠養殖場があります。
海の状態がよく、プランクトンも豊富で、貝が順調に発育する素晴らしい場所です。