宝石・宝飾品は、遣唐使の貿易にのみ使われたのです
 藤原不比等の功績に

「遣唐使」を再開したという記録がある。

今年、奈良1300年のイベントとして、奈良市が遣唐使船を造った。

 kentousi

その中国唐との取引にどの貨幣を使ったか考えると

宝飾品が消えた理由が見えてくる。

日本最初のお金「和銅開弥」では、何も買えません。

 

そうなんです、貿易の代価として大変貴重な「天然真珠」と

「翡翠の玉」、「金」、「銀」が使われたのです。

gold
 

藤原氏の強大な権力で、日本中の宝飾品が集められ、

貿易にだけ使用されたとしたら、絶対に一般の人たちに

これらのジュエリーやレアメタルは手に入らないのです。

そして、そのまま宝飾品は忘れ去られていったのです。

ほんの一部刀の柄や、簪(かんざし)の技術で残るのみ。

 

そして、明治維新に鹿鳴館の文化の中、ようやく日本の宝飾文化が

復活していったのです。

1000年以上の空白時代を経て・・・・

 

現代の日本の宝飾製造のレベルは、1000年の空白を越え完全に世界に追いつき

素晴らしい作品を作り出しているのです。

| 阿修羅 | 07:34 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
日本の文化で宝飾品が消えた理由

宝飾品が、消え去った時期を推察すると

ちょうど阿修羅像が出来た頃からであろうと思われる。

阿修羅像は、光明皇后が、亡き母 橘三千代を偲んで造営した

奈良「興福寺」の西京堂に、八部神の1つとして造られたものである。

 

光明皇后の父は、藤原不比等である。

藤原不比等は、藤原鎌足の子供であり、

強大な権力を持っていた藤原一族である。

 

当時日本で生み出される宝飾品は、まず天然真珠である。

次に翡翠であり、さらに金、銀があった。

当然この時期に伊勢で天然真珠が産出していた記録がある。

また、翡翠の勾玉が出雲で造られていたことも判っている。

(ただし、最近まで翡翠の原石は、アジアより輸入されたと思われていた)

出雲には今でも玉造の地名が残っている。

jade 

では、これらの宝物は、どこに行ってしまったのだろうか?

ここに宝飾文化が消え去ったヒントがある。

 
| 阿修羅 | 07:30 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
宝飾文化が消え去った(長い空白期間)時を持つ日本
 

日本の宝飾の歴史で、私がいつも不思議におもうことは、日本の宝飾文化が

天平、奈良時代以降、消え去ったことなのです。

平安、鎌倉、室町、江戸時代には、宝飾品が消えてしまったのです。

 

武家社会には、宝飾品がまったくないのである!

 

縄文、弥生時代には、勾玉やブレスレットや、アンクレットまで使われていたのに・・・・

実際たくさん発掘されている。
阿修羅も、素晴らしい宝飾品を身に纏っていた。

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これは、どうしてなのだろうか?

もしかすると、天皇家、藤原氏の権力関係にも何かあるのかもしれない。

| 阿修羅 | 07:13 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
阿修羅ではないけれど、私自身、宝飾品がいまだに護符です。
asyura2
先月末まで阿修羅の宝飾品護符(お守り)だったとブログに書きました。

宝飾業界に所属している男性として、やはり、何か宝飾品を身につけるべきだと

思っていましたが、時計以外なかなかつけられずにいました。

あるとき、ゲーフレーヤー(フランス)の金のブレスレットを買い、腕につけるようにしました。

思い切りキザですが、仕事として割り切り、腕につけ始めました。

 gf

車を運転するときは必ずつけていないと落ち着きません。

これを外して運転していた時、不思議に2度事故に合いました。

今まで、40年以上の運転暦で3度の事故を経験していますが

最初の事故はジュエリー(ブレスレット)を身に着ける前のこと

ジュエリーをつけるようになって2度とも、たまたまブレスレットを

つけ忘れたときに事故にあいました。

1度は、赤信号で止まっていたら、坂道を無人の駐車していた車が

下り降りてきてサイドドアにぶつかった(運転手がサイドブレーキをしていなかった)

もう1度は、細い道で横から自転車が飛び出してきてサイドにぶつかった。

(これも不可抗力)

両方とも、「あれブレスレットを付け忘れた」と意識していた。

自分で追突するなどでなく、不可抗力の事故が2度もあると

この金のブレスレットが離せなくなった。

ここにおいて、私にとってジュエリーがお守り(護符)となったのです

 

同じことが昔、ダイヤモンドやルビーのような宝石を

戦争に出陣する王侯貴族がつけたことも共通するのです。

硬さの象徴であるダイヤなどの宝石をつけて戦場に出て、

無事生還できたことで、それが大切なお守りとなったのです。

 

すなわちヨーロッパにおいても男性の装飾品として宝石や金、銀が

使われる(お守りとして)ことになっていったのです。

阿修羅のジュエリーも、たぶんにこのような護符的意味だったのです。
日曜は時計を忘れますが、お守りのジュエリーは着けております。
| 阿修羅 | 07:01 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
何故、阿修羅が、王女が着けるような豪華な宝飾品を身につけていたのだろうか?
asyura10 

そこには、天平時代にすでに遠いヨーロッパ(ペルシャ)文明の影響を

百済を通して受けていたことを物語っているのです。

 

宝飾品には、護符(お守り)の役目があったのだ。

 

仏教における最高神お釈迦様(仏陀)は、宝飾品など何も着けておりません。

しかし、釈迦(仏陀)への修業を続ける菩薩は、宝飾品を身に纏っているのです

 

菩薩とは仏教で「自力で悟る人」の意味があり、「弥勒菩薩」「観音菩薩」「文殊菩薩」

「普賢菩薩」「地蔵菩薩」「虚空蔵菩薩」などさまざまな姿があります。

 

金の希少性と不変性が永遠の命を思い起こされ、それを身につけることで

装飾というより、身を護る(護符)としての働きを期待したのである。

asyura11
 

しかし、悟りを開いた釈迦(仏陀)には、そんなものは必要なく

彼はその装飾をいっさい捨てて、仏陀になるのです。

だから釈迦の像では1枚の布だけをさらりとまといいっさいの

装飾をしていないのです

 

仏教を開いた釈迦ただ一人を仏陀とするのです。

| 阿修羅 | 07:35 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
だれが、阿修羅像を生み出したのでしょうか?
asyura9 

この阿修羅像は、光明皇后が亡母橘三千代の追善のため天平6年(734年)

建立した興福寺西金堂に八部衆像の1体として安置されたのです。

材質は麻布を漆で貼り重ねた脱乾漆造である。

作者は、像造は朝鮮百済からの渡来人「将軍万福」

彩色は「秦牛養 」が色付けしたとされる。

asyura8 

そうなんです、元の阿修羅の肌の色は、朱に塗られていたのです。(まさに赤鬼)

そして、宝飾品は金色に輝いていたのです。

 

八部衆を含む興福寺西金堂諸像については、法華経序品ではなく、

金光明最勝王経所説に基づく造像だと解釈されている。

| 阿修羅 | 07:26 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
この阿修羅像がある奈良の興福寺とは?

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藤原氏の氏寺
であり、法相宗の大本山として知られる興福寺。

その前身は飛鳥の「厩坂寺」であり、

さらにさかのぼると天智朝の山背国「山階寺」が起源となります。

山階寺は、天智8年(669)に藤原鎌足が重い病気を患った際に、

夫人である鏡大王が夫の回復を祈願して、釈迦三尊、四天王などの諸仏を

安置するために造営したものと伝えられており、この名称は後世においても

興福寺の別称として使われています。

その後、壬申の乱(672)ののち、飛鳥に都が戻った際に、山階寺も移建され、

その地名を取って厩坂寺とされました。

 

さらに、平城遷都の際、和銅3年(710)藤原不比等の計画によって

移されるとともに、「興福寺」と名付けられたのです。

 
| 阿修羅 | 09:29 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
そもそも、阿修羅とは、どのような神であろうか?
asyura3 

阿修羅像の起源は、インド仏教をはるかにさかのぼり、西方ペルシャ起源である。

仏教の中で登場する阿修羅は、六道輪廻の世界にあって、天の神々に

日々戦いを挑む悪神の存在として描かれている。

 

鎧を着た阿修羅たちが、天の神々を下方から仰ぎ、無数の矢を天に向かって

放つことで神々と対抗する。ここでは、阿修羅の世界に住むものたちは、

嫉妬心がもとで、他のものとたえず競い、争い続ける存在として知られている。

しかし、この阿修羅の起源はそもそもペルシャの太陽神であって、

光の神がインドに到達したときに、はじめて天の神々の対抗者へと

姿を変えることになった。

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asyura4


修羅場(しゅらば)という言葉
が今も使われる。非常に暴力的はことである。

このように元々荒ぶる神であったのだが、今、やさしいイメージに変身したのだ。

| 阿修羅 | 07:26 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
奈良興福寺の「阿修羅」が、1300年前に纏った宝飾品について

今若い人にも仏像がブームとなっており、特に興福寺の阿修羅像

その象徴ともいえる仏像であります。

「仏像ガール」「アシュラー」と呼ばれるファンも大勢いるぐらいです。

 

なぜ人気があるかというと、まず、その神秘的な「お顔」からです。

モナリザにも匹敵する、安らぎの微笑みさえ感じさせる美少年であるからでしょう。

 asyura

加えて三面六臂(さんめんろっぴ)の不可思議なお姿であること

(顔が3面、手が6本ある)

上半身裸で条帛(じょうはく)と天衣(てんね)をかけ、裳(も)をまとい、

足には板金剛(いたこんごう)をはいています。

その不思議なお姿に人は魅せられるのです。

 

しかし、

彼が今から1300年前の天平時代にネックレスとブレスレットをしていた

ことが話題にのぼらないのは、何故だろう?

asyura1 

ネックレスを当時は胸飾り、

上腕のジュエリーを臂釧(ひせん)

そして、ブレスレットを腕釧(わんせん)と呼んでいた。

阿修羅

このように素晴らしい宝飾品を1300年前に身につけていたのです。

 asyura2
| 阿修羅 | 08:19 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

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