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グラースの手前、山の中腹にある
「画家ルノアールの自宅」に立ち寄る。
印象派を代表する画家、ルノワール(Pierre-Auguste Renoir)が
ニースの隣町、カーニュ・シュル・メールに居を構えたのは1907年、66歳の時でした。
中世の街並みが残る旧市街から少し離れたコレットと呼ばれる丘の
オリーブ畑だった土地で、オリーブの古木群が切られてしまうかもしれないと
聞き及んだルノワールは、それらを救うために購入を決断したとも言われています。
畑だった部分は庭として、オリーブには手を付けぬまま、
ルノワールは南の斜面に家を新築したのでした。
すでにリウマチを病んでいたルノワールには、南仏の暖かい太陽が必要でした。
2階には大きな吹き抜けのアトリエ、そして居住スペースからはオリーブの樹々の
向こうに美しい旧市街の景色が見えます。
その佇まいは当時と変わりなく、昔の写真と違うのは樹々の丈が伸びていることだけです。
ルノワールは家の写真は撮っても、絵は1枚も残しませんでした。
サラセン人(アラブ人)の襲撃を恐れた中世の人々は、村を丘や岩山の上に
へばりつくように作りました。
城壁に囲まれた村の内部は、迷路のような細い道に家が連なり、万が一襲撃されても
大軍が一度に入れないように出来ています。
このような村は『鷲の巣村』とよばれ、コート・ダジュールに幾つも残っています。
サンポールもそのうちの1つで、入り組む細い道には16、7世紀の家々が並び、
その多くは現在、職人や画家達のアトリエとして使われています。
そのせいか、土産店の看板や道標は、陶器等で作られたかわいらしいものがいっぱいです。
村の入り口には、イヴ・モンタンが所有していたバーがあります。
このバーや土産店には、村を訪れた60年70年代の映画スタ−たちの写真が
展示されています。
また、村の墓地にはシャガールのお墓があります。
そしてニースを通り再度山あいへ
鷲の巣村と呼ばれる小さな村が点在する
ヴァンス
エズ
サンポール・ド・ヴァンスなど
車なので目指していけば到達できる。
エズのおしゃれなレストランで昼食をいただいた。ここはホテルでもあった。
後に、ある女優がここで結婚式を挙げている番組が放映されていた。
有名なレストランだったのかもしれない・・
地中海沿いに広がる一帯はコート・ダジュール、すなわち「紺碧の海岸」と呼ばれている。
冬でも温暖な気候を求めて北ヨーロッパ、特にイギリスからニースやカンヌなどに
やってくるようになったのは19世紀のこと。
以来、世界中の貴族や富裕な人びとのリゾート地として、一年を通してヴァカンスに興じる
人びとでにぎわう。豪奢なホテルがその建築美を競い合っている。
周辺には鷲の巣村と呼ばれる魅力的な村々が点在する。
ピカソやマティス、コクトーら芸術家や詩人はコート・ダジュールをこよなく愛し、各地には
彼らのアトリエが残る。また、彼ら近・現代の芸術家たちの美術館も多い。
今回のツール・ド・フランスがここを走り抜けた。
私がこの地をレンタカーで走った。(自転車では私の力では坂道が多すぎてキツイ)
そのときの、旅を少しご紹介しよう
スタートはモナコ、イタリア方向に進み「マントン」へ
イタリアとの国境、海岸沿いの美しい街であった。
住むならこの街だと思わせる。
ジャン・コクトー美術館など芸術家が住んだ街とのことである
中心に市場があり、地中海の野菜や果物が豊富
とにかく明るい街だ
市場の傍に素敵な帽子店があった
ここでパナマ帽を買い求めた。
これ以降この帽子が私と一緒に多くの国を旅することになる。