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リニューアルオープンした伊勢神宮外宮の「せんぐう館」を訪れました。
数年前台風で水害にあい2年ほど改修工事をされていたせんぐう館が
ようやく今月開館しました。
外宮手洗い場左手、勾玉池に面して建つ「せんぐう館」
「神宮式年遷宮を伝える」ことを基本理念としており、
20年に一度繰り返してきた式年遷宮の工事に使われた道具、
神事や装束、神宝などの一部を展示する施設です。
この施設は、あまり知られていないのか、観覧客は、まばら、もったいないです。
もっと観てもらいたい素晴らしい展示品があります。
とくにメインとなる外宮正殿の原寸大建造物は、一般には入ることの
できない正宮の一番奥の正殿を実感できます。
太いヒノキの柱や、欄干に載る5色の擬宝珠の玉など
お参りするときに見れない体験ができます。
また、1時間ごとに学芸員による解説もあり、知らなかった伊勢神宮も
発見できます。入館料も300円とお安いです。
(館内は撮影禁止ですので、パンフレットの写真を掲載させていただきます。)
高木君の寅さんの出し物など楽しい宴会の最後
同窓会一次会の締めに校歌を歌おうと誰かが言った
しかし、何十年も経つと皆ほとんど歌詞を覚えていない。
「あけゆく空 きらめく空」の1行しか誰からも出てこない。
間はラララ・・・でごまかして
「みよ われら伊勢高校」と歌い終了。
宿泊の部屋からの英虞湾です
調べたら歌詞があったので参考に書いておきます
伊勢高校校歌
あけゆく空 きらめく空
こころの的に 照りこむひかり
まなざしつよく かなたにそそぎ
しずかにくぐる しずかにくぐる
石の門
伝統の目はすみわたる みよ
われら伊勢高校
せせらぐ瀬々 五十鈴の川
みなかみはるか 真理はこもる
さぐればすすむ 叡智のあゆみ
まどかにめぐる まどかにめぐる
日々の時
友愛の手の むすびめよ みよ
われら伊勢高校
伊勢高校9期生同窓会9月10日伊勢志摩「宝生苑」
宴会は、18時半から始まり、9時頃二次会に移った。
人数が多いので二部屋に別れてしまった。
プロ歌手のような木野戸さんのジャズから始まり11時すぎまで
誰かが歌い続けた。
我々の世代は、カラオケ大好きである。
現役市会議員の浜口三代和君が歌った「プクプク」が良かった。
おもわず同級生だった西岡恭蔵君を思い出した。
この曲の作曲者であり歌った、故・西岡恭蔵君も伊勢高校9期生であり
この歌は福山雅治さんも歌っている。
残念ながら、恭蔵君は、奥さんが亡くなった1年後、後追い自殺で
この世を去ってしまった。
三代和君は、2008年故・西岡恭蔵君のメモリアル コンサート
「第1回 恭蔵とKUROの音楽まつり2008」を運営した責任者だった。
「西岡恭蔵というミュージシャンが志摩町布施田出身であることは
地元でもあまり知られていなかった。
地元の人もそれまでは、現代の若手アーティスト、有名ミュージシャンが
カバーした恭蔵のオリジナル曲『プカプカ』を何気に聞いていた。
というのが実情」NPO浜口三代和実行委員長は話したという記事をみた。
故・西岡恭蔵君は、1960年代に、伝説のフォーク喫茶、「ディラン」の
マスターとなる。その店に集まっていた常連客たちと、ゆるやかな
ユニットのようなフォークグループ「ザ・ディラン」を結成する。
大塚まさじ、あがた森魚、細野晴臣が仲間だった。
タイから帰国して10日。9月10日(土)に
出身の三重県立伊勢高校の9期生同窓会が賢島「宝生苑」で開催された。
何十年ぶりのことなので、東京から参加してきた。
会場は、今年伊勢志摩サミットが開催された地、志摩観光ホテルと
同系列「宝生苑」である。
メインは志摩観光ホテルであったが、安倍総理は宝生苑に宿泊し
ここの屋上でメンバー全員で発表を行った。
志摩観光ホテルは何度も訪れていたが、宝生苑は初めて訪れた。
素晴らしい。
露天温泉も気持ちいい。部屋やロビーから見渡せる英虞湾の
真珠養殖筏、波を立てながら走る船、夕日、朝日によって
表情を変える海の色。
すべてが気持ちいい!
何年ぶりかにあった友人も、「おう、○○井君」など高校時代に
戻ったような親しさに包まれる。
学生時代の友人というのはいいものである。
昨日、首脳の配偶者プログラムで鳥羽のミキモトパールアイランドにおいて
伊勢っ子たちが伊勢音頭をおみせした内容を伊勢の石川さんから
メールいただきました。
ここで私のブログにて、ご紹介させていただきます。
石川さんより
伊勢は 伊勢音頭を伊勢っ子たちが披露し、その後、配偶者の皆様も
伊勢音頭の輪に加わって踊っていただきました。
天気予報では 披露の時間は100%雨だったのに 神がかり的に晴れに
なったのは、やはり天照大神が付いていてくれるからだと思います。
踊った後、カナダのトルドー首相夫人が伊勢っ子たちに駆け寄って感動の中で
ハグしてくださいました。
伊勢っ子たちも、緊張のあとの感動と喜びで、嬉し涙を流していました。
私もその伊勢っ子たちの支援隊長としてお世話したり一緒に踊ったりしましたが
そんな私も、思わずもらい泣き、、、
この交流会は、伊勢っ子たちと配偶者の皆さんの心が通い合ったとても
素敵なひとときとなり、、
日本の温かい印象を持って帰って頂けることだろうと思います。
安倍昭恵夫人はじめ各国首脳の夫人、鈴木三重県知事、伊勢市長、鳥羽市長、志摩市長も参加され
盛大に行われました。
中澤順子さんのファイスブックから。
安倍首相の奥様昭恵夫人が車の中から撮り、ご自分のフェイスブックにアップされた写真。
宇治山田駅で首相をお見送りする場面のようです
「ダブル鈴木」 鈴木英敬三重県知事(右側の頭を下げている方)と鈴木伊勢市長(左側)
お二人とも 30歳代の若くて行動力のある政治家だ
いい写真ですね!!
伊勢志摩サミットの開幕を翌日に控え、首脳らが訪れる三重県伊勢市の
伊勢神宮周辺は多数の警察官が警備に当たり、ものものしい雰囲気に
包まれている。
三重県警によると、県内には全国から集められた約1万6000人の警察官が
配置されている。
伊勢神宮は首脳らが訪れる時間帯の入場禁止を案内されていた。
内宮
26日開幕する主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)に向け首都圏でもテロに
備えた動きが広がっている。
またJR東海は23日、東海道新幹線の主要駅でコインロッカーの預け入れを停止した。
不審者が隠れる恐れがあるとして証明写真機の利用を禁止した鉄道会社もある。
外宮
近鉄では伊勢志摩サミット開催に伴う一部運転休止
伊勢志摩サミット開催に伴い、以下のとおり鵜方駅〜賢島駅間の運転を休止。
1. 運転休止期間
平成28年5月21日(土)から28日(土)までの8日間
※終日(28日は、始発から午前7:00頃までを予定)
2. 運転休止区間
鵜方駅〜賢島駅間
(賢島行きの列車は鵜方駅までとなります。)
日本国民の総氏神。
一方「外宮」に祀られているのは、豊受大御神(とようけ)。産業や衣食住を
守護する神様。天照大御神に食事をお供えする神様である。
同じ時代に創建されたのではなく、外宮は、数百年後に設けられたのです。
見た目の違い
両宮の御正宮の屋根をご覧ください。
両宮とも檜(ひのき)の素木(しらき)造りで、掘立式、
弥生時代の穀倉が原型の唯一神明造りです。
屋根の上に乗る、丸い鰹木(かつおき)という重し木の本数が違うのです。
内宮は偶数の10本。外宮は奇数の9本なのです。
内宮
外宮
もう1点、屋根を飾る千木(ちぎ)の先端の切口が
内宮は水平(内削ぎ)
外宮は垂直(外削ぎ)なのです
さらに最もわかり易いのが、
内宮は 右側通行 手水舎も右側
外宮は 左側通行 手水舎も左側
こんなことも意識しながらお参りするのも一興でしょう。
⇒内宮⇒御幸道路⇒月讀宮⇒倭姫宮⇒宇治山田駅
まず、「伊勢市駅」で下車します
外宮の参道を約200m程行くと突き当たりがめざす伊勢神宮です。
出来るだけ早い時間に伊勢に着き、お参りすることがおすすめです。
朝食は、外宮参道の 「せきや」の朝かゆがおすすめです。
神の食事をイメージした「朝かゆ」は、木の器で神宮の森をみながらいただけます
1000円とアワビ付きの3200円の2種で、6時半から9時半まで
価格の違いはアワビが付くか付かないかです。
落ち着いたところでいよいよ「外宮」にお参りします。
日除橋を渡ります。外宮は左側通行(内宮は右側通行です)。
左に御手洗場がありますので、清めてください。
右側にある樹齢千年といわれる「清盛楠」もご覧ください。
平清盛がこの木の枝を折ったと伝えられています
いよいよ「御正宮」です。
外宮別宮の「多賀宮」、「風宮」、「土宮」もお参りください。
「多賀宮」は外宮第1の別宮で豊受大御神の荒御魂を祭ります
次に「内宮」に向かいます。
内宮の前に道開きの神「猿田彦神社」にお参りしてください。
「方位除け」「物事を良い方向へ導いてくれる」「物事の始まりの道しるべと
なってくれる」神様として、伊勢でも伊勢神宮にお参りする前に参拝します。
ここから「おはらい町」を通って内宮まで歩きます。途中におかげ横丁と
赤福本店があります。
内宮には「御正宮」と重要な別宮にもお参りしてください。
「荒祭宮」、「風日祈宮」です。
帰り道は、御幸通りを通ってください。
途中に神宮別宮「月讀宮」があります。
さらに進みと、天照大御神の魂を大和から運んだ最初の斎宮
「倭姫宮」(やまとひめ)があります。
また、通りと挟んで、江戸時代伊勢御師のりっぱな門が残されています。
(神宮文庫の看板が付けられています)
帰りは、近鉄宇治山田駅から帰路についてください。
それは「猿田彦神社」です
伊勢神宮とあわせてお参りしたい開運パワースポットなのです。
猿田彦神社の歴史について
日本神話をひもとくと、天神降臨の際に瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を、
高千穂へ道案内したのが猿田彦神で、その後伊勢の五十鈴川・川上に
鎮まります。
その子孫の大田命は、天照大御神をお祀りする地として五十鈴川川上を献上しました。
猿田彦が猿の神様という訳では、まったくありません。
天孫降臨のとき、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を、高千穂へ道案内したのが
猿田彦神でであったので、みちひらきの神様として崇められています。
「方位除け」「物事を良い方向へ導いてくれる」「物事の始まりの道しるべと
なってくれる」神様として、伊勢でも伊勢神宮にお参りする前に参拝することが多いです。
またこの神社境内には、天照が天岩戸に、こもったとき外で踊った天宇受売命
(あめのうずめのみこと)を祀った「佐瑠女神社」もあり
芸能の神様として有名です。