ジュネーブ
三日月形のレマン湖に面し、サレーヴ山(Mont Salève)、ジュラ山脈等の山地に
囲まれ、市内をアルヴ川、ローヌ川が流れる。
第二次世界大戦前には国際連盟の本部が置かれ、現在も、国際連合の諸機関等の
多くの国際機関が所在する国際都市であり、条約の作成やさまざまな国際会議が
行われている。
また、サロン・アンテルナショナル・ド・ロト(ジュネーヴ・モーターショー)、
国際高級宝飾時計展(ジュネーヴ・サロン)をはじめとする様々な国際見本市も
開催される。
ピクテ銀行やロンバーオーディエ・ダリエヘンチ銀行等のプライベートバンクの
本店が集中しており、プライベートバンクの中心地でもある。
また、
スイスの時計産業の起源は、ジュネーブなのである。
スイスの時計産業は16世紀半ばにジュネーブに始まった。
なぜジュネーブだったかというと、その背景には16世紀にヨーロッパで起こった
マルチン・ルターの宗教改革にあるのだ。
当時フランスでは、カルヴァン派の新教徒(ユグノー)とカトリック教会との
対立が激化し、内乱に発展していった。
多くのユグノーたちは宗教的迫害から逃れて国外に脱出。
その主な行き先が、宗教改革の中心的指導者であるカルヴァンが改革の
のろしをあげた町、フランス語圏のジュネーブであった。
ユグノーたちの多くは時計技術を身につけた手工業者だった。
一方当時のジュネーブは優れた宝飾加工品の産地でもあった。ところがカルヴァンの
改革は市民生活にまでおよび、ぜいたくは厳しく制限されたため、宝飾加工業者は
生計をたてるのが難しくなった。
そこで彼らはユグノーから時計作りを学び、宝飾で培った繊細な技術を生かして
いったのである。
やがて、カルヴァン派の戒律が緩められ、装飾工芸が復活。
美しい装飾を施した時計がジュネーブを代表する工芸となっていった。
18世紀になると時計つくりはジュラ山脈に沿って広がり、19世紀に入ると
自動巻きの発明、永久カレンダーなどの新機構が生み出されスイスは時計王国と
なっていった。
今もジュラ山脈沿いに時計会社の本社があるが、すべてがユグノーの時計技術を
継承しているのである。