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神代植物公園での薔薇の見方は、原種からモダーンローズへの
薔薇の歴史の流れをつかみ、そのポイントとなった薔薇を
種類別に順次観ていくと、薔薇どのように進化していったか判る。
まず、薔薇の原種は、ロサ・ガリカや日本原産のノイバラなのです。
センターでなく藤棚の奥にオールドローズが植えられています。
まず、ここのシンプル(?)な薔薇を鑑賞して大輪の薔薇を楽しむのです。
オールドローズとモダーンローズ(現代薔薇)の区別は?
アメリカ・ローズ・ソサエティによると
ハイブリット・ティ・ローズの初代「ラ・フランス」が1867年にフランスの
オーギスト・ギョーの手で生み出された、この年以前をオールドローズ
それ以降をモダーンローズと区分します。
1867年は、日本では坂本龍馬が暗殺された年です。
パパメイアン
16日日耀、今月2度目の神代植物公園に、自転車で行ってきました。
いよいよ薔薇の季節。
ここ神代植物公園は薔薇のメッカです。
モダンローズが267種、5500株あります。このほか、
蕾薇はどこから来たか
エジプト最古の農耕文化の遺跡であるファイユームの墓地からは、
約7000年前の薔薇の花束が発見されています。
それほどエジプトでは古くから薔薇が栽培されていたことになるのです。
薔薇の原種は、ロサ・ガリカ
薔薇の歴史は、紀元前15世紀のロサ・ガリカとロサ・フェニキアから始まった。
これらは薔薇の祖先である。
ロサ・ガリカとは、現代のバラ品種を成立させた祖先種で
ノイバラ、ハマナス、庚申バラなど7、8種の野生バラにたどり着きます。
このような野生種を一般にバラの「原種」と呼んでいます。
一つの流れは、ロサ・ガリカとロサ・フェニキアが「ロサ・ダマスセナ」を生み、
ロサ・ダマスセナとロサ・カニナが「ロサ・アルバ」を生む。
そして、センチフォリアを経て甘い華麗な香りの
ハイブリッドパペチュアルローズヘとたどり着くのです。
もう一つの流れは、ロサ・ギガンティアとロサ・シネンシスとの爽やかで
品のある香りの中国の薔薇が、
チャイナ、ノアゼットを経てティーローズヘと結晶する。
これらのハイブリッドパペチュアルローズとティーローズが出会って、
モダンローズと呼ばれるハイブリッドティーローズ「ラ・フランス」ができ上がった。
「ラ・フランス」はまさにTHE FRANCE=定冠詞つきのフランス国名であり、
フランスの威信をかけてつけられたネーミングである。
明治・大正時代に日本で「天地開」と呼ばれていた品種と同じと考えられている。
もともと1回しか咲かない花を四季咲きにしたり、小さな花弁を大輪に変え
香りを交配により長い時間をかけてつくりだしていったのが、現代の薔薇のなのである。
垣根に這わせている、つる薔薇の「カクテル」がにぎやかに咲き誇り
ほのかな香りをただよわせている。
また、ハイブリット・ティの代表「ラ・フランス」ももうすぐ咲く。
大輪・四季咲きのハイブリット・ティとは?
ルネッサンス期を経て、ヨーロッパで薔薇の発展に偉大な貢献を果たしたのは、
ナポレオン一世の妃のジョセフィーヌでした。
彼女は1802年にフランス・マルメゾン離宮に広大な薔薇園を造営し、
世界から集めた珍しいバラを栽培。
そのコレクションは250種類にも達し、遺された図譜は後世の薔薇栽培家に
貴重な史料となっている。
新種のバラを手に入れるために、ナポレオン戦争の間も、
敵対する英国の薔薇育種家を庇護することさえしたという。
この薔薇園の園芸主任アンドレ・デュポンが、史上初の人工交雑によって新しい薔薇を作出し、
薔薇園で育った多くの育種家たちも鮮やかな色彩のバラを次々と生み出していった。
1867年「ラ・フランス」(La France=Gillot Fils作出)の誕生が、モダンローズ時代の
幕開けとなった。
剣のように尖った花びらが外側にそり返ったこの薔薇は、ハイブリッド・ティーの元祖とされ、
これ以後、薔薇は四季咲き・大輪・高芯咲きタイプが主流となっていく。
ジョセフィーヌは、世界の薔薇の流れを一新したのである。
とりわけ「ラ・フランス」は薔薇の歴史の結節点に姿を現した名花といわれる。
我が家の「ラ・フランス」も大きなつぼみをつけて、今にも花を咲かせようとしている。
写真は昨年咲いたときのもの
Musée du Château de Malmaison
マルメゾン城美術館
1, avenue de l'Impératrice 92500, Rueil-Malmaison
RER Rueile-Malmaison駅から バス144 〜 乗り換え258 (シーズンによっては乗り換え不要)
イル・ド・フランス、パリから西に1時間ほど離れた場所に所在する「マルメゾン城」は、
1799年にジョゼフィーヌとナポレオンが購入して以来、ジョゼフィーヌが自分好みに手を加え、
亡くなるまでを過ごした城。
食卓から寝室まで、当時の内装のまま残っている部屋から、ナポレオン栄光の時代の肖像画や
彫刻作品に至るまで、そこにはナポレオンとジョゼフィーヌのプライベートな暮らしぶりや
思想を見て取ることができます。
そこには、バラだけでも約250品種集められました。ジョセフィーヌの援助を受けた、
園芸家のアンドレ・デュポンは、人工交配によりバラの新品種を作り出しています。
その後、品種改良は飛躍的に発展していったのです。
近代の薔薇は、ここから始まっていったのです。
日本ではあまり知られていない。
当時、数十種ほどしかなかった薔薇の原種を掛け合わせ、最終的には
250種類もの薔薇を生み出した「薔薇の母」であったことを
そして、それを描き印刷することによって、人々に薔薇のすばらしさを教えたこと・・
統計的に歴史に残す偉業をなしとげたのは「画家ルドゥーテ」あったのだ。
宮廷画家ルドゥーテ
現代薔薇への歩み
ルネッサンス期を経て、ヨーロッパで薔薇の発展に偉大な貢献を果たしたのは、
ナポレオン一世の第一妃ジョセフィーヌ(Josefine)であった。
彼女は1802年にフランス・マルメゾン離宮に広大な薔薇園を造営し、
世界から集めた珍しいバラを栽培した。
そのコレクションは250種類にも達し、遺された図譜は後世の薔薇栽培家に貴重な史料となっている。
新種のバラを手に入れるために、ナポレオン戦争(1799‐1815年にわたる欧州征服戦争)の間も、
敵対する英国の薔薇育種家を庇護することさえしたという。
この薔薇園の園芸主任アンドレ・デュポンが、史上初の人工交雑によって新しい薔薇を作出し、
薔薇園で育った多くの育種家たちも鮮やかな色彩のバラを次々と生み出していった。
1867年「ラ・フランス」(La France=Gillot Fils作出)の誕生は、モダンローズ時代の幕開けとなった。
剣のように尖った花びらが外側にそり返ったこの薔薇は、ハイブリッド・ティーの元祖とされ、
以後薔薇は四季咲き・大輪・高芯咲きタイプが主流となっていく。
ジョセフィーヌは、世界の薔薇の流れを一新したのである。
とりわけ「ラ・フランス」は薔薇の歴史の結節点に姿を現した名花といわれる。
我が家の「ラ・フランス」も大きなつぼみをつけて、今にも花を咲かせようとしている。
玉川高島屋での
ルドゥーテ生誕250年記念
「王妃の愛した薔薇 宮廷画家ルドゥーテの世界」に行ってきました
天気も良かったので、自宅の狛江から自転車で出かけてみました。
水道道路から多摩堤通りを通り、玉川高島屋まで、約20分。意外と近い
今まで、深大寺まで自転車で行ったことは何度かあるが、こちらの方向は初めてだった。
道は平坦で走りやすい。車で行くと駐車場で待つことが多いので、
自転車はとても便利である。
西館1Fアレーナホールの場所は、本館に隣接した駐車場のビルであった。
ここの1Fが入り口で地下ホールを使い約100点のルドゥーテのリトグラフと
原画 3点が展示されている。
会場内は撮影禁止であったのでお見せできないが、入り口部分の
薔薇を植え込んだところの写真は可であったので掲載します。
印象は
期待していたのは、もっと多くの生花の薔薇が、飾られていると思っていたので
すこし・・・?期待はずれであった!
ナポレオンの元王妃であった「ジョセフィーヌ」の薔薇の庭園の宮廷画家
「ルドゥーテ」の描いた薔薇の絵の意味するものが、
ただ、種類別に並べられているため、意味無く人が流れているように感じられた。
細密な絵には、感動させられ、おもわず「ルデゥーテの花の画集」を買い求めた。
今年最初に咲いたのが、「アンネ・フランク」でした。
オレンジ色に咲き、だんだんピンクに変わっていく。
そして次に咲いたのが、大輪・四季咲き薔薇の初代となる
純血種「ラ・フランス」であった。
昨日、美しいハイブリット・ティ「プリンセス・ド・モナコ」
モナコ王妃グレース・ケリーの名前をもった薔薇が咲きました。
そういえばモナコグランプリが開催され、中島が好成績をあげていました
私も、モナコに行ったときこのグランプリコースをレンタカーで走りましたが
すごいヘヤピンカーブでこんな細い道を300kmで走り抜けるなど
とんでもないことだと思いました。
1週間おきに咲き出すことで、大輪の薔薇が長く楽しめました。
今月初めから咲いている、ツルバラ「カクテル」も今年は25日の日曜に
つぼみを切り剪定しましたが、約20日間美しく花をつけてくれました。
我が家のほんの少しの薔薇なんですが、色と香りが心を落ち着かせてくれます。
(「ローズ・フェスティバル」とも呼ばれる)が、
そのカザンラクおよび周辺地域で毎年6月初めに開催されます。
かつては村ごとに民俗的な収集祭であったものが、近代にいたって全国から
観光客を集める一大フェスティバルとして定着した。
祭の見どころはバラ公園(カザンラク市の北西)で開かれる国際フォークダンス・
フェスティバル。
ブルガリア近隣諸国の舞踊団がー堂に会して、民族舞踊と音楽を競い合う様は
−見の価値があります。
祭り最大見せ場であるバラ摘みが行われるのは最終日。バラの畑が会場になる。
民族衣装を着てのバラ摘みは、結構真剣な作業だ。
最後はホテルカザンラク前の広場に集まり、閉会式が終わった後、人気の舞踊団と
観光客が一緒に手をつないでの踊りが始まる。
肩を組んで記念写真を撮ったり、サインを求めたり、と和やかな雰囲気の中、
約1週間の祭りは幕を閉じる。
出来れば来年6月、バラの収穫と水蒸気蒸留の作業そして、この「バラ祭り」を
体験したいと思っています。
ぜひ、ローズドリナの愛用者で、ブルガリアへのチャーター便を飛ばしたいと考えて
おります。皆さんいかがですか?