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つばきの絵柄の深鉢
多分昭和初期のものだとおもいますが、藍一色でダイナミックに椿の花を
描いた深鉢である。
表は「おかめ」で、裏返すと「鬼」の杯(さかずき)
私は下戸ですので、お酒を飲みすぎることは絶対ありませんが
大酒のみのご主人に、ここでやめなさいと裏返して知らせた杯なのでしょうか
オシャレだと思いませんか・・・
伊万里首長染付け徳利
幕末頃の徳利と思われます。
味わいのある奔放な絵付、そしてゆったりとした形。
白磁のほうは、酒徳利だと思います。
絵付のほうは、高さが60cmほどありますので、酒徳利では無く、
床の間の飾りや花器として使用されたのではないかと思います。
ユーリス・ナルダンの角型手巻き腕時計
1950年頃製造された腕時計である。
ユリス・ナルダンが日本に上陸したのは、ウオルサム、ジラールペルゴーと同時期
1800年代後半のことである。
大正時代と思われる、銀座天賞堂の広告があるが、当時人気の高い
ブランドであったことが推察できる。
私の使っているモデルは、角型で、アールデコ風のサイドケースが美しい手巻き時計だ。
ガラスも当時のオリジナルで湾曲したカーブを持つ。
これを壊すと大変である。
ULYSSE NARDIN(ユリス・ナルダン)
1846年、ユリス・ナルダンにより、スイス(ル・ロックル)の地で創業。
その後、航海に不可欠な高精度のマリ一ンクロノメーターや精密時計により、
世界的な名声をいち早く確立する。
1862年にロンドンの世界博覧会でのゴールドメダルをはじめ、今日までに
4,300におよぶ賞を受賞。その品質は、世界40力国以上の海軍の公式時計
としても採用されているほど。
トレードマークは、マリーンのイメージの強い、錨(いかり)である。
明治の長火鉢
関東火鉢、或いは江戸長火鉢と呼ばれる箱型で引出しをつけ
物入れ兼用にしたもの。
火鉢部分の右横に猫板とよばれるスペースがある。
猫板の下に2〜3段の引出しが付き、火鉢の下にも横に2つ引出しが
並ぶのが一般的。
引出しは乾燥するので茶筒、煎餅や海苔など湿気を嫌うものを入れる事が多い。
材質は欅がその堅さゆえ多く使用されており、上部の縁に黒柿
(柿の木数百本の1本の割合で存在)を使用したものが特に珍重された。
これには、黒柿が使用されているので、高級品であったと思われる。
欅材は玉杢と呼ばれる杢目の多さでその価値が決まったとされる。
引き出し面の反対側に客人を座らせることから、関東火鉢は引き出し面の
反対側を表側とする。
表面にはその時最も良いとされる杢目の板を使うのが江戸指物師の心意気、
また持ち主は念入りに布巾をかけ、光らせるのが粋だった。
リビングでは、主役のアイテムとして存在感を現す。
もちろん今では、火鉢としての機能は必要とされないので、飾りとなる。
ときには、アジアンタムの植木鉢をここに入れ、花器としても使っております。
昔は車が買えるほど高級品だった、ドイツの名機「ツアイス・スーパーイコンタ」
このカメラは、父の遺品である。
趣味人であった父は、絵画、骨董、刀剣など数多くコレクションしていました。
ただし、カメラは、自分で撮影するためのものだったようです。(蒐集でなく実用品)
蛇腹カメラ ZEISS IKON ツアイスイコン
ボタンを押すとスプリング(バネ)の力で自動起立して撮影状態になるカメラのこと。
畳むと小さく携帯性に優れた折畳み式カメラ(Folding Camera)のうち、スプリングで
自動起立するものを日本やドイツでは特に「スプリングカメラ」と呼んでいます
ツァイス・イコン社
ドイツのツァイス・イコン社は第二次世界大戦前、世界最大のカメラメーカーとして
非常に多種類のカメラを製造したことはよく知られています。
その中で蛇腹折りたたみ式スプリングカメラのイコンタ・シリーズは、
同社初めてのオリジナルカメラであったと同時に、同型式のカメラの中で
最高の品質と性能を持つことで大成功を収め、ツァイス・イコン社の
屋台骨を支えました。
イコンタに高性能の連動距離計を装備したスーパーイコンタシリーズは、
文字通りスプリングカメラの最高峰として、セミ判(6x.4.5cm)、6x6cm判、
6x9cm判さらに大サイズのものまで、多くの種類が製造されました。
独特のドレーカイル式連動距離計を備えたその姿は、カメラらしい精密感と
高級感にあふれており、そしてカール・ツァイスのテッサーレンズの性能は
現在も通用するすばらしさです。
このカメラ、今ももちろん現役であるが、デジタルカメラ時代のため
もっぱら、私のデスクの重厚な飾りとなっている。
シンプルな色使い。薄く焼かれた磁器のカップである。
ロンドンから100kmほど北の街、チッピング・カムデンを車で訪れたとき
1627年に建てられた古いマーケットホールの前にあるアンティークショップに
並べられていたカップである。
中世には羊毛取引の中心地として栄えたチッピング・カムデンは、裕福な
羊毛商人たちの支援を受けて大いに栄えた。
ハイストリートには、コッツウォルズストーンの名で知られるこの地方の特産の
蜂蜜色の石灰岩で造られた建物が並び、素晴らしいこの土地特有の建物が
売りである。
この通りの中程に立つのが、1627年に建てられた豪華なマーケットホールである。
このカップで紅茶をいただくたびに、英国の旅を思い出させてくれる。
「ハルシオンデイズ・エナメル」
イギリスの田舎コッツウォルズを訪ねたとき「ハルシオンデイズ・エナメル」の工房も訪れた。
この数年前に、ロンドンに仕事で行った際、ボンドストリートから少し右に入った
ところにある、Halcyon Days Enamel社のスーザン・ベンジャミン女史から、
ハルシオンの再興の道のり、ウォルバーハンプトンにある
ビルストン・バタシー・エナメル社が昔ながらの職人技で製作していることを聞き、
ぜひ訪ねたいと思ったからです。
私が持っているハルシオンデイズの一部です。奥の左はウイリアム・モリス記念BOX,
手前右はダイアナ妃メモリーBOXです。
また、この街にはウイリアム・モリスが残したワイトウィットナーマナーもありました。
日本ではあまりしられていませんが、英国人はこのような小さなBOXを
集めている方が多くいらっしゃるそうです。
前のイギリス大使にお会いしたとき、大使の奥様がこのハルシオンデイズ・エナメルの
コレクターですとおっしゃっていました。
熊のプーサン
ハルシオンデイズ・エナメルとは
エナメルは、エマイユ・七宝・琺瑯(ホーロウ)とも呼ばれています。
そのエナメルの専門企業が1950年創業の「Halcyon Days Enamel
(ハルシオンデイズ・エナメル)」です。
18世紀半ばのイギリス、ジョージア王朝時代に生まれたのがエナメル工芸です。
その時代の王侯貴族たちは優雅な生活を送っており、文化・芸術の面でも
エレガントなものが好まれ、エナメルボックスは「最良の贈り物」として流行しました。
銅で作られた型の上にエナメルを何層にも塗り、その一塗りごとに高温で焼いて
できた固く真っ白な地に、熟練した職人が絵付けをしたエナメル工芸は一世を
風靡しました。
しかし、19世紀に起きた産業革命や戦争などによってエナメル工芸は衰退し、
姿を消してしまいました。
それから150年以上経った1970年に、スーザン・ベンジャミン夫人経営の
ロンドンにあるアンティークショップ「ハルシオンデイズ」と、エナメルメーカーの
ビルストン&バタシーエナメル社が、昔ながらの職人技でエナメル工芸を蘇らせました。
伝統に培われたその技法は、エレガントで緻密な美しさを作りだします。
「Halcyon Days=平穏で楽しい日々」という名前にふさわしい、
優雅で美しいものばかりです。
「ハルシオンデイズ・エナメル」は故エリザベス皇太后・エリザベス女王・エジンバラ公・
チャールズ皇太子指定の「ロイヤルワラント(イギリス王室御用達)」を受けていますが、
四つの指定を全て受けているのはイギリスでも同社のほかに5社しかなく、
李朝時代のお膳 「盤」
清朝に続いて起きた、朝鮮の王朝 「李朝」
この時代に造られた朝鮮のお膳であるが、サイズが手ごろで、お茶をいただくのに
重宝している。
この膳、和室でも洋室でも合うというのが不思議である。
古い時代のある輪花李朝膳、素朴で味わいのあるお膳
朝鮮では食盤、盤、飯床、床などとよびます。
虎足をした八角の李朝膳は、朝鮮では使い手が漆を塗って艶ぶきをして
使い込んだものだといいます。
こうしてお膳には愛着がこめられ、長旅の際も引越しの折にも家族同様に
運ばれたといいます。
足の形によって産地が分かれます。
シンプルなのは海州盤で、足が内や外へ曲がった虎足、猫足、
十二角の盤面も李朝の膳には多いそうです。
まれに八角や円盤、輪花のような蓮華盤もあります。