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下重さんの「老いの戒め」より
 

子供の頃の純粋さを持ち続ける。

肉体の若さは失われても、精神のみずみずしさは、変わらない。

いつまでもその頃の感覚持ち続ける。

心は年をとらないのだ

 

老いは、その人が生きてきた結果である。長い道程が、

器量のある老人と器量のない老人を生む。

環境、運によって人生は様々だが、器量のある老人になるためには、

今をどう生きるかの積み重ねしかないのだ

 

最後は、いい人生だったなと思う終焉を迎えたいものである。
| 言葉の宝石箱(ポルタジョイエ) | 07:10 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
下重暁子さんの著書「老いの戒め」を読んだ
すごく共感する言葉が、書かれていたのでご紹介しようと思う。


shimojyu
 

冒頭に

「年とともに器を少しずつ大きくして」

年をとったら器量よしになりたい。器量とは外見のことではない。

その人の持つ器(うつわ)、心の大きさ、美しさである。

年とともに器を少しずつ大きくしていき、その中につめ込むものを

豊かにしたい。

自分を戒めて年とともに器量よしになる。

 

素敵な考え方だと思う。いくつになっても、うつわを大きくしていけば

新しいものが入ってくる。そのための努力を惜しまない。

私もそうありたい。

| 言葉の宝石箱(ポルタジョイエ) | 07:03 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
「寿屋」トリスを飲んでハワイへ行こう!!
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「トリスを飲んでハワイへ行こう!!」
宣伝業界の歴史的キャンペーンでした
1960年代には「トリスを飲んでハワイへ行こう!!」というCMが放送され、
これはトリスウィスキーを購入すると抽選券が同封されており、当選者は
所定のあて先に応募するとハワイ旅行の資金(積立預金証書)が贈呈される
という画期的なものだったのです。

寿屋宣伝部(右の写真)
前述の「アンクル・トリス」を生み出したサントリー(当時は寿屋)宣伝部には、
開高健さん、山口瞳さん、柳原良平さんなど、後に、作家や漫画家として名を成す
ことになる錚々たる人材が集まっておりました。

「アンクル・トリス」シリーズは、1958(昭和33)年に初登場した時の、
あまりにも有名な「トリス・バー」に始まり、翌年の浪花節による西部劇の
パロディ「浪曲西部劇ヘルメスジン」が続き、下町の職人バージョンや横丁
の銭湯バージョンなど、数多くの傑作を残しました。

また、トリスを中心に、サントリーが製造販売しているウイスキーを出す、
ウイスキーバーは愛称トリスバーと呼ばれ、気軽な値段の庶民酒場として
1960年代を中心に人気を博しました。
| 言葉の宝石箱(ポルタジョイエ) | 08:05 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
日本最初のブランド・プロデューサー御木本幸吉
mikimoto2
私の実家に御木本幸吉翁がいらっしゃった話を前に書きましたが、
御木本幸吉翁のすごさは、「日本発の真珠ブランド」を明治時代に作り上げた
人であることであるのです。
「世界の女性の首を飾りたい、日本の真珠で」と言った真珠王 御木本幸吉。
この時代にこの思想はすごいと思う!
初めてロンドンの市場に送り込んだ真円真珠。色といい光沢といい形といい
完璧な御木本真珠を、天然真珠より2割5分低いだけの価格で売り出したのです。
大正10年ロンドンにおいてロンドン・スター紙は、「某商人が日本産の養殖真珠
を天然真珠として発売したが、それは驚くべき精巧な品物で、切断しなければ
見分けがつかない。このサギ物真珠の出現は、市場に大恐慌をきたし始めた。」
という排斥記事を掲載。これがパリに飛び火し、ついにはフランスの商工会議所を
中心にミキモトパールの輸入禁止運動へと激化します。
これに対し幸吉は、真正面から裁判をおこしました。結果、生物学の立場から
救われることとなります。
フランスのボルドー大学教授・ブータン博士の発表が決め手でした。
「天然真珠と養殖真珠の違いは、種玉が人工か否か、種玉に真珠層を巻かせる
きっかけを人工的に行うか否かであり、真珠層そのものに違いはない。
つまり、真珠の場合は、本質的に天然も養殖も変わらない」と結論つけました。
この騒ぎにより、かえってミキモトパールの名は広く知られるようになり、
品質の良さに対する太鼓判が押されたような結果になりました。
「禍転じて福となす」これが晩年の幸吉の口癖ですが、苦境に立たされたときに
こそ生まれるパワーというものを体感した人物ならではの重みがあります

昭和4年秋、アメリカ合衆国ウィルソン前大統領のエディス夫人が来日し、
ミキモト真珠島を訪れました。
「真珠は月のしずくの結晶と昔から言われていますがまさにそのとおりの
美しさですね」と感嘆するエディス夫人に、幸吉は答えます。
「いいえ、私のつくる真珠は人の涙の結晶です。」気障なせりふのようですが、
そのことばには、幸吉の本当のつらさがにじみでているのです。
| 言葉の宝石箱(ポルタジョイエ) | 06:24 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
DVDで「がばいばあちゃん」を観た
gabai
「もみじ饅頭」のギャグで漫才ブームの火付け役として一時代を築いた
B&Bの島田洋七が、少年時代に佐賀の祖母の家へ預けられた体験を基に
書き下ろした同名自伝小説を映画化した作品。

どんな極貧生活にあっても持ち前の人生哲学でポジティブに乗り越える
ばあちゃんを、ベテラン女優の吉行和子が人間味たっぷりに熱演する。
あふれる愛情と明るくたくましい生き様で、人生の指針を指し示す
ばあちゃんのパワフルな姿に元気がもらえた。
| 言葉の宝石箱(ポルタジョイエ) | 07:29 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
がばいばあさんの素敵な言葉
gabai
“人生山あり谷あり”という言葉もよく言われるけど、がばいばあさんの
考え方はもっと深い。
「山に登り頂上で記念写真撮ったら、降りてきんしゃい。
山はずっといるところじゃなかと。頂上は住むところとちゃうと。
確かにそうですよ。山の頂上には家も川もない。人間は住まれへん。
人間は大体谷に住んでる。谷を悪く言うのはいかん、
谷が普通やと。
鳥も川に水を飲みに来るし、人もそこで洗濯したりできる。
昔から川のそばに人はおるわけです。」

「二、三人に嫌われても、反対を向けば一億人いる」
「山頂には、食べ物も無い、水も無い、高い山なら人も来ない、声も聞こえない」
「山に登れば降りてこい そして次はもっと高い山に登るために体力、
知力経験をして体を洗って、もう一回山に向かって上っていけ」
「山頂から山頂へは行けない」
「人生は総合力」
「死ぬまで夢を持て。叶わなくても、しょせん夢だから」
「人生、決まってないから面白い」
「拾う(学ぶ)ものはあっても捨てるものはない」
| 言葉の宝石箱(ポルタジョイエ) | 07:22 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
「一日一日が旅だから」仙仁温泉岩の湯で出会ったすてきな本
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一日一日が旅だから    メイ・サートン著

一日一日が旅だから
家はわたしの奥の細道
上り下りの坂があり
遠回りする小道もある
夕食のテーブルはおごそかに
儀式のようにしつらえて
花には水を欠かさない
ひとつひとつが大事なつとめ
わたしの心の砂時計で
きちんと測ってあるとおり。

そうして体を横たえれば
ひたひたとよせる追憶が
わたしの時間をみたしてゆく。
八十年の生涯を
どんなにたっぷり生きてきたか
思えばめまいをおぼえるほど
追憶はあまさず心に生きている
変化してやまない大海原
その満ちる潮 また引く潮。

ニネット・ド・ヴァロアが
詩に詠んだことばが いまわかる
いのちは生きるだけじゃない
感じることです より深く

詩人はこのとき九十四歳。

こんなに素敵な詩集が、仙仁温泉岩の湯の本棚にありました。
| 言葉の宝石箱(ポルタジョイエ) | 09:29 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

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