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ミャンマーを救えるか?アウンサンスーチー女史

suchi7

ノーベル平和賞を授与されているミャンマーのアウンサンスーチー女史

日本との深い関わりを知っていますか。


suchi
 

ミャンマーというと必ず登場するアウンサンスーチーさん

どのような経歴の方かお話しますと


syogun ビルマの英雄アウンサン将軍

まず、お父さんが「ビルマ独立の父」と尊敬されるアウンサン将軍であります。

その3人兄弟の末子としてラングーンで生まれました。

アウンサン将軍はビルマ独立の際、指導者として活躍、

しかし1947年、32歳の若さで暗殺されたのです。


母キンチーさんは、その後、駐インド大使に任命され1960年インドに移り住みます。

ここからアウンサンスーチーの長きにわたる海外生活が始まります。

インドではレイディー・シュリラム・カレッジに進学、その後1964年英国の

オクスフォード大学に入学し、卒業後研究助手として大学に残り研究にはげみました。

さらに1969年米国に渡りニューヨーク大学大学院に進み、

そして国連本部職員として3年間国連で働いた。

 

1972年26歳のときオクスフォードで知り合ったマイケル・アリスと結婚。

マイケル氏は、その後チベットおよびブータン、ヒマラヤの研究者として大成する。

夫が結婚直後ブータンに赴任した際は、スーチーさんも同行した。
翌年英国に戻り
2人の男子を産む。

子育てに追われる日々から開放されると、ビルマのナショナリズムについて、そして

父アウンサン将軍の生き方を知ることに集中していった。

アウンサンのことを調べると必然的に日本との関係についてより深く知りたくなる。

日本側の資料を読む必要も出てきたため、オクスフォード大学で日本語の勉強を

開始した。2年ほどで三島由紀夫の小説を原書で読めるまで力をつけた。

そして1985年日本の国際交流基金の招きで、京都大学東南アジア研究センターに

客員研究員として迎えられた。2年間日本に滞在していたのです。

 

父アウンサン将軍の資料を読むためにオクスフォードで日本語を学び、さらに日本に来て

京都大学で研究をされたのです。これは、思想的なことがらは、実際原書で読まないと

歪曲されたり、間違った解釈で翻訳されたものを読んでしまうことを避けるためでした。

アウンサンスーチーさんの力で早く民族闘争を解決していただきたいと思うものである。

 
| ミャンマー | 07:28 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
ビルマ時代に私も何度か訪れた、ミャンマーについて

ミャンマーに駐在するニガム国連人道調整官は10月28日、同国西部での

民族衝突により2万人以上が住む家を失ったとの見方を示した。

西部ラカイン州では多数派の仏教徒とイスラム教少数民族ロヒンギャ族の

衝突が続き、これまでに少なくとも64人が死亡、住宅数千棟が焼失した。
同国のイスラム団体連合は犠牲祭の中止を発表。


ミャンマーは、恐ろしいほどの多民族国家であることがその原因だろう。


ミャンマーでは、主な民族だけでもビルマ族(人口の6割)、カイン(カレン)族、

カヤー族、シャン族、カチン族、ラカイン族、モン族、チン族などが

それぞれの州を持ち、各地でその文化の一端を垣間見る事が出来る。

公式に認められた民族が 135 もあるとのこと。


langoon RANGOON空港

人口:約6,300万人
首都 :ヤンゴン Yangon (以前はラングーンと呼ばれていた)人口約500万人
昔からタイに侵略するなど、交戦的な歴史を持つ。


neuin ビルマ時代の独裁者 ネ・ウイン将軍

また、ネ・ウイン将軍による第2次世界大戦後の長い間の軍事独裁政治と

厳正な中立政策をとり近隣諸国の混乱に巻き込まれずにすんだが

経済政策では完全に失敗し世界の最貧国に転落していた。


ようやく、2010年に総選挙が実施され二院制の議会が誕生。

議会はテイン・セイン大統領を選出し2011年3月、民政に移行したところである。

biruma
ビルマ市内の繁華街にて

| ミャンマー | 07:11 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
先日、また、ミャンマーで民族衝突が!
ミャンマー西部のラカイン州で民族衝突が再燃し、3人が死亡、民家や寺院、

モスク(イスラム教礼拝所)など400棟以上が焼失した。

州司法当局によると、衝突は10月21日夜から始まり、州内の4地域に広がった。

同州では5月から6月にかけても多数派の仏教徒の住民とイスラム教の

少数民族ロヒンギャ族の住民との間で衝突が発生し、緊張が高まっていた。

 

今年5月に起きた衝突は、仏教徒の女性の強姦致死事件に関連して警察が

イスラム教徒の男性3人を拘束したことが発端だった。

拘束された3人のうち2人は死刑を言い渡され、残る1人は拘束中に死亡した。

この事件がきっかけとなって6月下旬にラカイン州で数百人がバスを襲撃し、

乗っていたイスラム教徒10人が死亡。暴動は州北部にも飛び火し、民家など

数千棟が破壊され、数十人が死亡している。

 

これは、ミャンマーが宗教もからむ多民族国家であるため起きたことでもある。
ロヒンギャ族は、同国の軍事政権下で長年にわたって抑圧されてきたと訴えており、

民主化を目指すテイン・セイン政権の少数民族に対する対応が試される。
| ミャンマー | 07:07 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

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