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タヒチNo.1のダンスグループのトップダンサーと
偶然知り合いになった。
タヒチで知り合ったときは、彼女がタヒチアンダンサーであることを知らなかった。
仲間といっしょに会う約束をして待っていたら、すごいベンツを運転してやって来た。
ちょっと驚き
わいわいと仲間といっしょに食事したあと、これから私、仕事という。
そこで初めてタヒチアンダンスをやっていることを聞いた。
ぜひ、見たいと希望して彼女の踊る大きなシアターレストランへ行ってみた
踊りが始まった
超一流タヒチアン・ダンスチームであることは、その洗練した踊りですぐに分かった
なかなか彼女が出てこない。
ソロダンスが始まった。彼女だった
なんと!彼女はそのチームのトップダンサーだった。
それは、すなわち タヒチ ナンバー1のダンサーを意味する。
後で知ったのだが彼女が所属するチームはタヒチNO1のグループで、日本へも招待された
こともある。またフランス大統領のセレモニーに招かれタヒチアンダンスを披露した
チームであったのだ。
そして、その中でも彼女がトップダンサーであった。
こんな出会いもあるのだ・・・・
タヒチ 夢の島
タヒチの歴史
世界の歴史上に“タヒチ”が現れたのは
1767年にイギリスのサミュエル・ウォリスがタヒチを最初に発見し、
続いて1768年にフランス人のブーゲンビル、
翌1769年にはジェームズ・クックがタヒチを訪れています。
史実「戦艦バウンティー号の反乱」で有名なブライ船長がパンノキの採取でタヒチを
訪れたのは1788年の事。
その後、タヒチはポマレ統一王朝によって支配されていましたが、
1880年にフランスの植民地となり、1957年にフランスの海外領土に昇格した後、
現在では広範な自治権を確立しています。
最初に発見したのがイギリス人だったが、フランスが植民地にしたのだ。
英国領になっていたら彼らは英語が公用語になっていた(タヒチはフランス語)
タヒチとその島々は南太平洋に広がる118の島々から構成されており、
類い希な自然の美しさと、そこに住む人々の温かさ、ゆったりと流れる時間など、
世界中から究極のバカンスを求める人々が集まってくる常夏の楽園だ。
どこまでも広がり抜けるような青空。緑濃くそびえ立つ印象的な山々。
クリスタルのように透きとおったブルーラグーン。
香り高い南国の花々。
あかね色にもえる落日。
満天の星。
タヒチの夕暮れ ホテルの部屋からのモーレア島がみえる
南太平洋に浮かぶ常夏の楽園"タヒチ"。
ブルーのコントラストが美しいラグーン、緑豊かな山々の雄大な景観、
そしてタヒチの人々の温かさ。
タヒチには、ハワイアンフラの起源とされるタヒチアンダンスや、タトゥーの語源
となっているタヒチ語のTatauなど、文化も独自のものをもっており、訪れる人々を
惹き付ける不思議な魅力があります。
上はタヒチ島本島である。
タヒチ・ヌイとタヒチ・イチがつながる瓢箪型で
タヒチ・ヌイの左上に空港やパペーテがある。
車で1周出来るのだが1周180km。
1周したが3時間ほどかかった。
途中にサーフィンポイントや滝、ゴーギャン美術館などがある。
ゴーギャン美術館には、彼が構図を参考にした日本の浮世絵が残されていた
島の真ん中には、オロヘア山が聳える。 2,239mの高さだ。
行く前は、タヒチとは小さな島だと思っていたが、意外に大きな島なのだ。
パペーテの教会
タヒチの正式名称は
フランス領ポリネシア(French Polynesia)
面積
約4000km平方キロメートル
首都
パペーテ(Papeete)
人口
約25万9700人(2007年推計)
言語
公用語はフランス語とタヒチ語です。
ホテルやレストランのような観光業に携わるところでは英語も通じます。
元首
フランソワ・オランド フランス大統領
民族構成
ポリネシア人83%、アジア系人種5%、ヨーロッパ系人種12%。
通貨単位はフレンチ・パシフィック・フラン
この3ヶ所を結ぶと三角形が形成される。
ハワイ、フィジーと書いたので続いてタヒチに触れてみる
この3ヶ所の中で、タヒチに、いちばん多く行っているかもしれない。
マニヒまで飛行機で行き、そこでヘリに乗り換えさらに船で行く。
真珠の養殖場はとても不便な場所にある。
これが環礁である。
タヒチ 10回以上訪ねたと思う。
最初に尋ねたのは1980年ごろだ。
黒真珠が日本で注目されてきた時期だ。
タヒチでポエラバヌイの国際入札会に1人で参加したのが最初である。
その後、直接養殖場から入手できないかと動き回った。
入札会は一大イベントであるのでタヒチのテレビで放映されていた
夏のバカンスでレジャーに来る観光客の中で、仕事をするのもきついものがあったが
タヒチの気候が気分を明るくする。