伊勢の古刹「青峯山正福寺」にお参りする

内宮の手前にある伊勢道路を抜けて、鳥羽と磯部のさかい

「青峯山・正福寺」にお参りすることに決め、オートバイで向かう。

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青峯山頂上付近くのこの寺院、創建は奈良時代、何と七五〇年頃なのだそうだ。

天平期の僧 行基が建立し、八〇七年弘法大師空海により、

朝熊山金剛正寺と並び真言密教の中心として栄えたといわれている。

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正福寺(しょうふくじ)は、高野山真言宗の仏教寺院。

山号は青峯山(あおのみねさん)で、同名の山の頂上付近にある。別名は嵯峨御所。

海上守護の霊峰として漁業関係者の篤い信仰を集め、

信者は北海道小平町から鹿児島県鹿児島市まで日本中に分布

 

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青峯山正福寺の御本尊

十一面観音を本尊とする。身丈1寸8分の黄金仏で秘仏として厨子に安置されている。

御船祭の際にのみご開帳となる。

この観音は相差村(おうさつむら、現在の鳥羽市相差町)白浜の海から

クジラの背に乗って現れた黄金仏であるという伝説があり、この時、

クジラがやってきた場所の岬が「鯨崎」となり、観音を乗せたクジラが

石化したとされる「鯨石」もあるのだそうだ。

その後、婆羅門僧正が来訪し観音像を拝むと像が光り、腰蓑の漁夫の

姿になったという。僧正は篤い崇敬の念を抱き、木仏を掘って中に観音像を納めた。

御本尊は 11面観世音

| - | 10:06 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
5ツ星ホテル 「ダラデヴィ・チェンマイ」にお茶をしに行ってきました。

タイの古都が誇る珠玉の5ツ星ホテル 「ダラデヴィ・チェンマイ」に

お茶をしに行ってきました。

 

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ヴィラですと1泊17万円。チェンマイでは、フォーシーズンズホテルと

並ぶ超高級リゾートホテルです。

 

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タイ北部の「北方の薔薇」とも称される古都チェンマイにある

「ダラデヴィ・チェンマイ Dhara Dhevi Chiang Mai」は、

かつてのラーンナー王朝時代の「都市づくり」をコンセプトに造られており、

城壁都市(集落の集合)を見事に再現しています。

広大な敷地内に広がる大自然や、ラーンナー王朝を彷彿させる建造物、

そしてこだわり抜かれたレストランなどスケールが違いすぎていました

 

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ダラデヴィ・チェンマイ Dhara Dhevi Chiang Mai」、

このホテルのヴィラ1泊が、私が現在滞在中のホテルの48泊分に

なると考えると恐ろしいですね・・・

しかし、私も現役時代、世界最高級のパリの「プラザ・アテネ」や

「ロイヤルモンソー」モナコの「オテル・ド・パリ」や

チェンマイの「フォーシーズンズホテル」に何泊か宿泊しました。

馬鹿ですね・・・

| - | 21:12 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
1年ぶりのチェンマイ第1日目

チェンマイ第1日目、今日は、バンコク銀行の自分の口座からATMで出金して、

オートバイをレンタバイク屋で借り、

携帯電話のシムカードを入れ替え、3週間の滞在の日常品を買う予定。

こうしておけば、明日から自由に動け回れる。

10時にホテルから近い大型商業施設MAYA(メイヤー)のATMで

お金をおろそうと行くと、平日11時オープンなのだ。

しかたないのでソンテオ(タクシー)をひろい少し離れた

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レンタバイク屋まで40バーツ。

宿泊しているホテルのそばのレンタバイク屋は1台1日250バーツである。

125ccのホンダかヤマハのバイク。875円である。

私の顔見知りの店は、200バーツであるがこれを120バーツに割引してくれる。

420円である。20日も借りているとその差は大きい。

日本では、自転車でさえ1日1000円取られるのに125ccのスクーターを

420円で使えるのです。

さっそく借りて、センタンの電気用品市場に行く。

nokia

タイでは専用のノキア携帯を持っているが、1年に1度だとシムカードがその都度、

期限切れになる。

新たなシムカードを購入して電話料金を払い込む。合わせて200バーツ(700円)だ。

これでタイ市内通話と日本への電話がまかなえる。

ここにもATMがあったのでカードで2万バーツを出金した。

| 世界の旅・タイ | 22:44 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
1年ぶりにチェンマイ行きです

しばし日本を離れます。TGのジャンボです。

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羽田空港国際線、タイ航空の乗り場は、一番奥でした

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| - | 14:14 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
「お伊勢さんへの道」No6

玄忠寺(二俣1丁目)

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本寺の草創は、慶長13年(1608年)と伝えられています。

しかしながら、現在の通りから外れており、1回目には、

どこにあるか私には探し当てられませんでした。

伊勢在住の友人、東さんに場所を教えていただきまして、何とか探しあてました。

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慶長13年(1608年)創建と伝えられていますが、やはり一度廃寺と

なっているため庭などは、少し荒れていましたが、とても興味深いお寺さんでした。

 

ご本尊と不動明王立像、弘法大師座像や、紀州徳川家の位牌をまつっています。

普段本堂は閉められておりますが、訪ねた時、偶然ご住職が

いらっしゃったのでご本堂を開けてご説明していただきました。

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また、境内に弘法大師八十八か所の霊場碑があり、

ここを回ることで四国八十八か所巡礼が出来るようになっています。

伊勢は、神宮で成り立っている町なので、お寺をどうも粗末に扱いすぎるような気がします。

歴史ある素晴らしいお寺が、こんなにあるのに伊勢市は、手をつけていないことは、情けない!

| お伊勢さんへの道 | 10:37 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
「お伊勢さんへの道」No5

久留山威勝寺跡(辻久留1丁目)

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ミステリアスな廃寺である。

廃墟になっているが、池もまだそのまま残されていた。

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上社の裏側に位置していて、非常に見つけにくかった。しかし、知人は、

30年ほど前ここで宴会をしたと言う、

昭和のころはまだ、どなたかが、住んでいたのかもしれない。

上社も威勝寺跡も住所は伊勢市辻久留である。

久留家が住んでいた地の辻だったということかも。

寺院としては明治時代に廃寺となったと伝えられている。

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この寺は、久留喜左衛門威勝が天文年中(16世紀)に創建したとされ、

寛永20年(1643年)の伊勢市最古の地図にも大きく描かれている。

境内には、池も残されており、池辺に弁財天座像(室町時代)を祀る

小祠があります。

夜一人で立ち寄るには勇気がいるミステリアスな雰囲気が漂う場所です。

| - | 10:34 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
「お伊勢さんへの道」No4

「お伊勢さんへの道」No4

上社(辻久留1丁目)

「かみのやしろ」と読みます。 北向庚申塚のすぐ近くにあり、

 

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このあたりが旧参宮街道のメインロードであったことを示しています。

昔、ここは、外宮の摂社志等美神社・同大河内神社・同本社打かけ神社が

あったのですが、戦国時代荒れ果て、このあたりの住人が地の神(産上神)として

祀って今日に至りました。

宮川堤を守護している神も上社のご祭神です。

川端町の柳の渡しを渡り伊勢神宮に向かう旧参宮街道、ですが、

度会橋が出来てからは、23号が真っすぐ伊勢市駅まで延び外宮に入れるようになり、

人もまばらになってしまいました。

さらに今は2本のトンネルを抜けて外宮へ向かえます。

江戸時代は徳川山を越えて歩いて行ったためこの上社や 北向庚申塚の細い道が

本街道だったと思われます。

| お伊勢さんへの道 | 18:48 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
「お伊勢さんへの道」No3 です

3、北向庚申塚(辻久留)

青石材、伊勢市で130余の庚申塔中、青面金剛像では最古最大のものです。

青面金剛像は普通3面5像が多いのですが、この像は1面2です。

 

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道の辻や、寺社や墓地の入り口などによく置かれ、延命長寿にご利益ある

といわれる庚申塚、その中で主流となるのは、「青面金剛刻像塔」 です。
この「青面金剛刻像塔」には、主尊の青面金剛以外に、日月や猿、鶏、

邪鬼、等が配されている。

青面金剛のほうは、本来奇病を流行らす鬼神で、猿の化身ともいわれる。

その容姿については、『陀羅尼集経第九』 に、

「一身四手、左辺の上手は三股叉を把り、下手は棒を把る。右辺の上手は

掌に一輪を託し、下手は羂索を把る。其身は、青色にして大張口、狗牙は上出す。

眼の赤きこと血の如くして三眼あり・・・・・」

とある。要約すると「三眼の憤怒相で四臂、それぞれの手に、

三叉戟(三又になった矛のような法具)、棒、法輪、羂索(綱)を持ち、

足下に二匹の邪鬼を踏まえ、両脇に二童子と四鬼神を伴う」姿で現されるが、

一般には、足元に邪鬼を踏みつけ、六臂(二・四・八臂の場合もある)で

法輪・弓・矢・剣・錫杖・ショケラ(人間)を持つ忿怒相で描かれることが多い。

頭髪の間で蛇がとぐろを巻いていたり、手や足に巻き付いている場合もある。

また、どくろを首や胸に掛けた像も見られる。彩色される時は、その名の通り

青い肌に塗られる。この青は、釈迦の前世に関係している。

 

| お伊勢さんへの道 | 08:33 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
「お伊勢さんへの道」No2 宮川堤

「お伊勢さんへの道」No2です。

 

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宮川堤(中島1丁目)

宮川はその源を大台ケ原に発する延長およそ130キロメートル

にも及ぶ、三重県最大の河川です。

古くは渡会大河、渡会川、豊会川とも呼ばれました。

下流では古来しばしば氾濫を繰り返し、住民はそのたびに洪水の

被害をうけていました。

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平安の昔、平清盛の築堤伝承をはじめ、近世徳川幕府からの巨額の援助を

仰ぐなど両岸住民の堤防の修築保全には、たび重なる努力が続けられていました。

寛永10年(1633年)たび重なる宮川の洪水の被害から人々を護るため、

自ら人柱となったのが庄屋・松井孫右衛門です。

その後は宮川堤が決壊したことがないと伝えられています。

宮川橋の辺りは桜の渡しとも呼ばれ、古くから桜の木が多くありました。

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| お伊勢さんへの道 | 10:45 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
「お伊勢さんへの道」を尋ねる

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河崎の古書店ぽらんさんで店主と話しながら購入した平成6年に発刊

された「お伊勢さんへの道」伊勢文化会議所出版、

本誌は、伊勢路の歴史的文化遺産を5つのコースに分けて

合計85か所をガイドしてくれていた。

伊勢出身であるが、知らない場所が多いので、一度この本に出ている

場所すべてを伊勢滞在中順次訪ねてみようとおもいたった。

25年前の本であるため、出来るだけ探し当てて順次再紹介して

いこうと思う。

 

まず、始まりが「柳の渡しコース」である。

柳の渡し路(川端町)

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ここは、「上の渡し」であった。江戸時代宮川には橋がありませんでした。

少し下流に「下の渡し」があり、伊勢神宮に向かう参拝者が

ここ上の渡しで船か人足が客を渡していたのです。

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江戸時代この水辺には掛茶屋が軒を並べ賑わっていました。

明治44年度会橋の架橋で渡し船の業務は終了したのです。

この渡し場は、今の度会橋より上流にあったので参拝者はそこから

真っすぐ行くと筋会橋経由で外宮にお参りに向かったのである。

| お伊勢さんへの道 | 10:43 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

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